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![]() 地価公示価格でも1平米180万円以上の東京の超高級住宅地、南青山に約26万平米もの広大な青山霊園がある。ここは、かつて美濃国郡上藩主、青山家の下屋敷の跡地を明治7年(1874)、市民のため公共墓地として東京府が管轄したところだ。(上の写真は、六本木ヒルズから青山霊園) ここを訪れる人々は、近代日本の建設に貢献した数多くの日本人、外国人の足跡を感じ取ることができる。政治家の大久保利通、その次男の牧野伸顕、森有礼。思想家の西 周、中江兆民。科学者では、細菌学者の北里柴三郎、物理学者の長岡半太郎。歌人の斉藤茂吉、小説家の尾崎紅葉、37歳で日銀初代総裁に就任した吉原重俊、軍人では乃木希典など。 ![]() 外国人墓地には、西洋最先端の知識,技術を我が国にもたらした「お雇い外国人」やその家族の墓がある。その一角にJulius Carl Scribaの墓と並んで「エミル スクリバ之墓」「日本医科大学教師フリッツ スクリバ之墓」「ヘンリー スクリバ之墓」と日本語の墓標がある(上の写真)。 Julius Carl Scribaは、東京大学創立4年後の明治14年(1881)に明治政府のお雇い外国人教師として東大病院に着任したドイツ人外科医で、任期終了後、聖路加病院の主任となり、この間、我が国の外科学の基礎を築いた人物。また日本語の3基の墓標の人物は、日本人の女性神谷ヤスとの間に生まれた3人息子の墓地だ(東大病院だより No.62 平成20年8月31日による)。なお、カール・スクリバの胸像は、我が国内科学の祖、ベルツ(Erwin von Baelz)の胸像と並んで東京大学構内にある。また、外国人墓地には、このほか著名な外国人が多く眠っているが、その約6割が霊園管理費が5年以上滞納されている無縁墓で、基本的には整理対象の墓地だが、国際的歴史的遺産として、残す方針のようだ。 ![]() もう一つ、私の関心をひいたのは、「無名戦士墓」(上の写真)。初めこれを日清・日露戦争などの無名戦死者の墓かと誤解していたが、すでに日中戦争が泥沼と化していた1935年(昭和10年)、特高警察の激しい弾圧に抗して闘い、命を落とした人々の安息の地として、まだ墓のなかったプロレタリア作家細井和喜蔵氏の友人の藤森成吉氏らが細井氏の著書『女工哀史』の印税で青山墓地の権利を買って建立し、当局の弾圧を避けるため、藤森氏が「無名戦士墓」と揮毫し、ひそかに建碑式を行った。「戦前にはこの墓に有刺鉄線が張りめぐらされ、近づく者は厳しく監視された」(長沼節夫「日比谷で出会った『開放運動無名戦士合葬追悼会』「ジャーナリスト同盟通信 2008年3月18日から引用)とあるように、ここには、細井和喜蔵氏のほか、部落解放同盟初代執行委員長で参議院議員の松本治一郎氏、日本共産党書記長で衆議院議員の徳田球一氏などのほか在日韓国、朝鮮人も含め、当局から、社会主義者、国の秩序を乱す好ましからざる人物とみなされた44,021人が合葬されている。 ![]() 渋谷駅前広場のハチ公銅像前は、いつも待ち合わせの人、海外観光客で込み合っている。飼い主の見送り、出迎えに毎日、渋谷駅前に姿を見せていた秋田犬ハチが、主人が教授室で急死されたのも知らず、毎日、主人の出迎えに7年間通い続けた後、駅の近くで死んでいたのが見つけられたという忠犬ぶりの話はほとんどの日本人が知っている。そのハチの飼い主、東京帝大農科大学教授の上野英三郎氏(1871~1925年)の墓地が青山霊園にあり、その脇に「忠犬ハチ公碑」が立っている。博士の墓前よりもハチ公の小屋の方に供え物が多いのは庶民の人気の差か。私は見ていないが、ハチのはく製は、上野の科学博物館に展示されてはいるが、ハチの墓はない。 #
by dankkochiku
| 2016-06-05 23:09
| 徘徊老人紀行
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前の家の2階の戸袋に藁をくわえたムク鳥が忙しく出入りしていたのが、このごろ、戸袋の中からヒナ鳥の鳴き声が聞こえる。その家の高齢の住人がしばらく2階の雨戸を開け閉めしないのを、幸いと目ざとく見つけたむムク鳥が巣作りに好適とばかり住み着いたのだ。
![]() 朝8時ともなると、窓の手すりにムク鳥が並んで止まっている。やがて、二羽のうちの一羽が何処かへ飛び立ち、一羽が留守番をしている。しばらくして餌をくわえて戻ってきたムクドリは、すぐ戸袋の中へもぐりこむ。途端に、中からヒナ鳥の鳴き声が響く。大口を開けたひな鳥たちに餌分け与えているのだ。その朝食の騒ぎの中、留守番をしていた一羽は、戸袋の外でじっと待っている。よそ者がこないかと警戒している様子。(上の写真:つがいのムク鳥) ![]() ![]() 餌を与え終わって、戸袋から出てきた鳥は、外で待つ一羽と並んで一息継すると、再び餌をとりに飛び立つ。一方のつがいの鳥は、そのままじっとお留守番。ヒナたちの留守番を仰せつかっているようだ。この間、スズメ、カラス、ハトなどがやって来ても、ヒナたちを守って身動きせず、睨みをきかせているようだ。こんな情景が30分くらい続く。留守番役と餌運び役とは互いに交代しながらやっている。 ![]() 毎年、12月から翌年1月にかけて、ムク鳥の大群が上空を飛び回っていたのが、3月ともなると、群れは小さくなり、やがて消えてなくなったけれども、数千羽の大群の中から気に入った相手を見つける。つがいになる基準は何だろうか。 ![]() 今朝もムク鳥が十数羽、つがいになって畑を飛び回りながら虫を探し、ついばみ、ヒナ鳥の分もせっせと運んでいる。近年、都市化が進み、町ではムク鳥は、うるさい、糞で町を汚す、など人間の勝手な言い分で、害鳥扱いされているが、まだ、畑が残っているこの辺りでは、益鳥とみられ、秋になると、鳥たちが大好物の柿の大木のある農家に集まってくる(上の写真)。また、前の家の住人は、外から巣作りされているのを見上げながら、そっとしている心優しさのあるこの地域は、鳥たちには天国のようだ。 追記:そして5月29日、二つの戸袋から6羽のヒナが元気に出てきました。ちゃんと飛べるもの。2羽がふざけあってもつれながら地上に落ちるもの。飛べる自信ないのか戸袋の中へ戻るもの。大賑わいです。 #
by dankkochiku
| 2016-05-27 17:37
| その他
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五月の祭りは、メーデーに始まる。街頭行進出発間際の一隊が日比谷公園口に並んでいる。 ![]() ![]() 今年は第87回メーデー。1989年以来、労働組合は、連合、全労連、全労協のメーデーに3分裂してそれぞれがメーデー大会を催してきたが、今年7月の参院選を前に野党が統一候補を立て、安倍政権に対抗する姿勢を見せているのにあわせ、労働組合も一つに結集し、約7500人が参加したという。行進は、日比谷公園祝田通り口から桜田通り、虎ノ門交差点から新橋駅方向へ進んだ。 思い出すのは、1952年5月1日のメーデー。その数日前に対日講和条約、日米安保条約が発効し、占領法規に代わるゼネスト制限・禁止法案、破壊活動防止法案の国会上程に対して労働者だけでなく進歩的文化人、学生団体の間から結社の自由、表現の自由を侵す逆コース法との反対運動が盛り上がっていた。そのさなかのメーデー行進隊の一部は、禁止されていた皇居・馬場先門前広場ー彼らは「人民広場」と呼んでいた―へ突入し、警備に当たる警官隊と大乱闘の挙句、催涙弾、拳銃が発砲され、デモ隊側に死者1人のほか、双方500人以上の重軽傷者をだした、いわゆる血のメーデー事件だ。 あれから、64年。この日、馬場先門前広場では、温かい日差しの芝生で食事をとる人たち、毎週日曜、500台もの各種自転車が貸し出され、車の交通が制限され、内堀通りを大人も子どももサイクリングを楽しむ人々の平和広場だった。1975年以来、祝田橋から北の丸公園までの5.5キロの車道がサイクリングコースに開放されていたのを不勉強ながら初めて知った。 ![]() もう一つ、東京の5月の祭りに欠かせないのが三社祭。 ![]() ![]() 昨15日は、三社祭最終日とあって、神輿の主役たちにいささかの疲れが見えたが、海外観光客は引きも切らず浅草寺一帯を埋め尽くしている。一緒にと、撮影をもとめる観光客に和服姿の娘たちは親善大使並みの受けようだ。 #
by dankkochiku
| 2016-05-16 22:48
| 徘徊老人紀行
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昭和の日を前に、昭和記念公園を訪れた。戦前、ここは陸軍立川飛行場、敗戦で米軍が接収、拡張して米空軍立川基地になり、返還後、その跡地の一部を昭和天皇在位50年記念事業として昭和58年開園したところ。公園の面積は、約180万平米と東京ドームの約40倍あり、都内では、明治の森高尾公園に次ぐ広さだ。公園に隣接し、陸上自衛隊立川駐屯地、立川広域防災基地などもあり、米軍基地は相当広大な土地を占めていたかが分かる。
最寄の西立川駅を降りた乗客のほとんどが目と鼻の先の昭和記念公園へと向う。休日のせいか、家族連れが目立つ。今、盛りのチューリップ、つつじ、菜の花畑の先に見える東京ドーム2つ分の広さという「みんなの原っぱ」、手ぶらで来ても楽しめる「バーベキューガーデン」、地形、遊具、木工房など商業施設とは一味違う「こどもの森」の3か所に入園者が集中している。(下の写真:上から花畑、水鳥の池、みんなの原っぱ、バーベキュー広場、滑り台、フワフワ広場、怪獣広場、外国人観光客) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 日本庭園や盆栽苑には中高年層が多く、運動場、14kmのサイクリングコースには若者の姿がある。公園内を回る3両連結のパークトレイン、貸し出し用ベビーカー、車椅子もあり、みんなが時を忘れて一日中楽しく過ごせる公園だ。 思い返せば、昭和初期の経済大恐慌、農産物の価格暴落から「豊作飢饉」、「大学は出たけれど」が流行語になった就職難時代、その一方で天皇の名を掲げる軍部、右翼のファシズム政権は、「生めよ殖やせやせよ国のため」、「欲しがりません勝までは」の標語の下、軍事予算の増強を図り、それと反比例に基本的人権無視と耐乏生活を国民に強いたあげく、数多の戦死傷者を出し、戦災地に辛うじて生き延びてきたものの、戦後10年は物資不足に、デモクラシーになったが「でも苦しい」と茶化した私と同世代の一般国民。そしていま、駅前で「戦争法廃止を求める2000万人統一署名」を求める運動員に目もくれず公園へ急ぐ人々、海外の観光客も混じる公園内の楽しげな人たちの姿は、あまりにも痛く隔世の感を深めた一日だった。 #
by dankkochiku
| 2016-04-24 16:29
| 徘徊老人紀行
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先週(4月3日)のNHKテレビ番組、日曜討論には自民党副総裁・高村正彦、民進党代表・岡田克也、公明党代表・山口那津男、共産党委員長・志位和夫ら9党の党首クラスの各氏が出席した。
その中で、志位氏が「安保法・憲法改正」について夏の参院選で憲法改正が争点となると明言している安倍首相について、自民党の憲法草案は平和憲法の廃棄だとして反対し、その一例に「緊急事態宣言」と関連して、「公共の福祉」の言葉が自民党草案ではすべて「公益、公の秩序」に代えられている点を指摘した。 これに対して高村氏は、「公共の福祉」の意味は一般国民に分かりにくいので、それに代えて「公益、公の秩序」としたもので、意味は変わらないと答えた。しかし、志位氏は、「公共の福祉」と「公益、公の秩序」とは違うと反論。両氏とも、それ以上の説明はなく、意味は違う、違わない、の応酬になり、司会者が中に入って、結論曖昧なままこの議題を終え、後味の悪い思いを残した。 「公共の福祉」は「公益」と言い換えてもいいが、その意味は何かと正面きって問われると、答えるのは難しい。しかし、意味が分かりやすいか、分かり難いかの問題ではない。なぜならば、時代により、その時どきの政治体制によって公益の意味や使われ方が違うからだ。自由主義国家、社会主義国家、独裁主義国家、全体主義国家では公益の意味は、それぞれ違う。例えば、戦前、戦時中の教育を受けた日本人は、公益というと、「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」の教育勅語の一文を思い出すだろう。つまり、教育勅語には、一億一心、国益優先、滅私奉公のスローガンの基本が盛られていた。また、ナチスドイツでも同様、公益は、私益に優先するとのスローガンのもと、公益優先策がとられた。 現行憲法では、学説上、公共の福祉は、「自由国家では、各人を平等に尊重する立場から、各人の基本的人権相互の衝突の可能性を調整することが公共の福祉の要請するところとみるべきである。‥ 基本的人権を公平に保障することがその狙いである。」とある(宮沢俊義 「憲法Ⅱ」)。 他方、自民党の「憲法改正草案 Q&A」には、「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」とし、その例として、「街の美観や性道徳の維持などを人権相互の衝突という点だけで説明するのは困難」とある。しかし、街の美観、例えば、最近の報道では、観光資源になっている愛媛県今治市の無人島の桜並木が16世紀の遺跡を破壊していることが分かり、桜の伐採・移転か、遺構の保存かを巡っての判断を公益の立場から伐採・移転に判断、決定している。また古くは、「チャタレー夫人の恋人」裁判で争点になった猥褻本の公刊と憲法の保障する表現の自由との関係の争いは、まさに双方人権の対立で、最高裁は、公共の福祉論から上告を棄却し、訳者、発行者の有罪が確定した。 さらに、自民党のQ&Aには、「公の秩序とは社会秩序のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。」とある。しかし、「平穏な社会生活」とは分かりきったことのようだが、誰にとって「平穏な社会生活」なのかとなると、これまた千差万別だ。例えば、消費者の平穏な社会生活と生産者のそれとは違う。近年の原油価格低下は、消費者にとっては喜ばしいことだが、関係商社には企業倒産を招く深刻な状況になる。 また、「公共の福祉」を「公の秩序、社会秩序」に代えると、ぐっと政治力が鮮明、強化される。例えば、1925年に公布し、その後2回にわたって改正、強化された「治安維持法」は、国体、つまり天皇制の変革を目的とする結社を組織したもの、指導者を国家体制の根本を危うくする「朝憲びん乱」行為、「安寧秩序びん乱」行為者、つまり社会秩序を破壊するものと断じて、その取締りに特高警察を全国に配置し、憲法上の臣民の権利(基本的人権)を蹂躙した。 もちろん、現在の政権が社会秩序維持のため、戦前の天皇制ファシズムへ直ちに逆行するとは考えられないが、自民党憲法草案第9章の「緊急事態」時(外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱のほか、地震等による大規模な自然災害等)には、法律により、国民の権利が侵される危険性が多分に起こる(第99条-3)。これは、明治時代の大日本帝国憲法では「臣民の権利」として住居、移転の自由、信書の秘密、信教の自由、言論・集会・結社の自由を認めならが、これらはすべて「法律の範囲内において」あるいは「安寧秩序を妨げない限りにおいて」の条件付きであり、これら国民の権利は、治安維持法、思想犯保護観察法など後の法律制定によって事実上すべて否定された暗黒の歴史がある。自民党草案では、緊急事態宣言(第98条)とともに社会秩序の混乱の名目のもと、国民への憲法尊重擁護義務(第102条)は失われ、「国民の権利」(第3章)が侵される危険性を多分に孕んでいる。 #
by dankkochiku
| 2016-04-09 18:54
| 時評
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