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by dankkochiku
| 2006-02-26 21:49
| ワンニャン物語
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昔から「監獄は規律の府」と言われてきました。 刑務所生活にはたくさんの規則がある、という意味です。 刑務所には、年齢、体力、能力、個性、出身、履歴、犯罪内容、すべての点で違う人たちが、受刑者というただそのことだけで、終日、しかも長期間にわたって拘束され、画一的な集団生活を強いられています。 その息苦しい生活から逃れ、少しでも自由を得ようとするのは、人間の本性から自然なことです。 しかし、一般社会から隔離した閉鎖的区域内とはいえ、その中で好き勝手な生活を認めれば、思い思いに自由を求め、秩序が失われ、やがて、受刑者たちを刑務所内に止めておくことも平穏な共同生活も保証できない事態になるのは容易に想像がつきます。 このような事態を防止するために、刑事施設には、昔から高い塀、鉄格子と錠、堅牢な建物、非常警報装置を備え、監視し、不審な行動を容赦なく調べ、被収容者に対しては行動を規制する多くの規則を設け、規則違反者には厳しい懲罰を科し、事故防止に努めてきました。 ところで、刑務所の保安・警備体制は、ここまでは、日本と米国との間に大きな違いはありませんが、両国では、この先の考え方に大きな違いがあります。 米国の重警備施設では、受刑者は警備区域を越えた途端、銃撃を受ける危険があります。 しかし、日本の刑務官たちには、受刑者が保安区域から逃走しても、逃亡者の後を追いかけ、逮捕する以上のことは認められていません。 それも逃走後48時間以内に限られています。 この両国の警備方法の違いが、受刑者の扱い方の違いとなって現れます。 米国の受刑者は警備区域内では比較的自由な行動が許され、日本の受刑者は、日常の行動がこと細かく規制されます。 日本の刑務官たちは、相手はれっきとした犯罪者であり、何を仕出かすが分からない信用できない人間として、その言動を疑い、実際に事故が起こる遥か以前の段階から、そのおそれのある行為を探し、除去しようとします。つまり、日本の刑務所では、暴動、逃走など保安事故が発生した後の対策よりも、このような事態にならないための予防措置に重点がおかれているのです。 しかし、事故のおそれを早期に発見し、早期に対策をとることが大切だと、ひと口に言いましても、その 「おそれ」 なるものは際限なく幅広いものです。 たとえわずかなおそれを感じさせる行動であっても、それを取り締まる規則を作り、違反者には懲罰を科して守らせようとします。 「被収容者処遇法」 には、基本的な所内生活規則(遵守事項)として、犯罪行為をしてはならない、他人へ粗野、乱暴な言動や迷惑行為をしてはならない、自傷行為をしてはならない、職員の職務執行を妨害してはならない、正当な理由なく作業や改善指導を拒否してはならないなど、どれをとっても当然と納得できる規則があげられています。 しかし、その一方で、「被収容者の身柄の確保を妨げるおそれのある行為」、「施設の安全を害するおそれのある行為」 のように、「おそれ」 のある行為の内容を具体的に決めかねるような行為を反則行為としているほか、施設長は、刑務所ごとの実状に応じて、施設の規律、秩序維持に必要と考える規則をつけ加えることもできる規定もあります。 こうして 「おそれのある行為」 を拾っていきますと、遵守事項の数はかなりふえます。 以前、この遵守事項の数を全国的に調べた方によりますと、少ない施設で30項目くらい、多いところでは60項目以上もあったそうです。 では、刑務所生活を知り尽くしている累入受刑者たちは、所内規則をどう見ているでしょうか。 意外なことに、多すぎるほどの規則によって、自分達の自由ががんじがらめに縛られているのに、これが公平に行われるならば、現状のままでよいと、反則者への厳罰を支持する意見の方が多く、規則にはっきりと抗議する受刑者はむしろ少いのです。 ある累犯の出所者は、つぎのような内容の文を書き残して行きました。 「私は規律違反をして懲罰を受けたことがありますが、刑務所では反則をしたら厳しい懲罰を加える以外にうまくまとまっていける方法は外にはないと思います。 収容者の心は、それほど善くはできていません。 規律違反に懲罰がなければ、刑務所を舐めるようになります。 社会生活から落伍した私達には反則すれば懲罰以外ないのかもしれない。」 これを読みますと、受刑者だから反発しても仕方ないという諦めもうかがえますが、むしろ規律が緩むと、強い者勝ちの世界になり、暴力ボスが弱い者を威圧し、悪くすると、その者に妥協する刑務官まで出てくることを受刑者たちは経験上、よく見通して、息苦しい規則にじっと耐えているのでしょう。 ■
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by dankkochiku
| 2006-02-26 11:23
| 刑務所を考える
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窃盗は、モーセの十戒の中にもあるくらい最も古くからある犯罪のひとつです。 世界どの国でも最も多く、ありふれた犯罪でありながら、日本の犯罪研究者には興味を引かないのか、窃盗についての専門書などあまり聞きません。 盗みは人間の本能であるという説も聞いたことがありますから、もっと研究者が多く出てきてもいいテーマではないかと思います。 そこで、今回は窃盗を繰り返す受刑者に焦点を当てることにします。 刑務所に入所する受刑者の罪名の中で窃盗はおよそ3割ですが、そのうち服役歴が10回以上ある受刑者となりますと、男性の約6割、女性では約8割が窃盗で、その占める割合は加齢とともに上がっていきます。 刑務所に入所を繰り返す累入受刑者たちの犯罪経歴をたどってみますと、最初の非行・犯罪が窃盗で、そこから凶悪犯、粗暴犯、性犯罪、窃盗以外の財産犯(横領、詐欺など)へと広がっていく型と、初犯のときから、おもに窃盗だけを繰り返していく単一型とに分かれていく二つの型がありますが、いずれも窃盗が犯罪人生の出発点となっている例がかなり見つかります。 窃盗単一型の累入受刑者の特徴のひとつは、再犯期間が短いことです。 出所後6か月足らずでまた窃盗をして入所してくる受刑者が45%以上と多いのですが、これが服役歴10回以上となりますと、55%以上のものがこの短期再犯型の受刑者であり、出所した人の記憶が消えないうちにまた同じ顔に会うこともしばしばで、「回転ドアー」 と呼ばれたりします。 窃盗の手口を見ますと、二つの型があります。一つは、スリ、空き巣、事務所荒らし、忍び込みなどのいわば 「職業犯型」 窃盗犯で、もう一つは、万引き、置き引き、賽銭泥棒などの職業犯型よりも被害額の少ない型の窃盗犯ですが、いずれの型も初犯のときから現在までそれぞれ自分にあった手口を変えずに犯行を繰り返している受刑者が多く、特に、スリや空き巣の常習者が手口を変えるということはあまり聞きません。 この同じ手口の繰り返しが検挙のきっかけになるのですが、いったん犯行に着手すると、一刻も早く、巧く仕事を終え、犯行の跡を残さないように後始末を忘れないなど文字通り一所懸命で、不慣れな手口は使いません。 窃盗受刑者のもう一つの特徴は、犯行時に住所不定のものが4割強と多いことです。 その道の通にわけを尋ねましたところ、1回犯行をするたびに発覚を逃れるために直ぐ現場から離れたところに移動するからだろうとのことで、その点では、窃盗犯よりも被害者と面識ができる詐欺犯の方がもっと頻繁に移動しているのではないかと教えられました。 後で統計書を調べましたらその通りで、始めてそのわけを知って、やはり盗みの専門家が言う通りだったと合点がいきました。 いずれにせよ、頻繁に住所を変えるということは、家族持ちでは難しいでしょうし、家財も少ないでしょうし、定職はなく、仕事にありつけても臨時の建設作業員や道路清掃などの単純作業で、その日暮らしの不安定な生活を続けながら、楽しみはコップ酒をやるくらいで、金に困ると盗みにいくという毎日を送っていると想像されます。 このような状態ですから、アルコール依存症や糖尿病の患者が多く、刑務所に来て規則正しい生活や栄養管理された食事、禁酒、禁煙の生活、運動時間があるというだけでも健康回復に役立っています。 つまり、この種の常習者にとっては、私たち一般市民が普通の生活と思っていることが、普通のことではなくなっており、「普通の生活ができれば、こんなところへきませんよ」 とある窃盗の受刑者が言っていました。 極言すれば、刑務所以外では、普通の生活ができるところはないという意味でしょうか。 そのためか窃盗の累入受刑者のほとんどは刑務所では問題を起こすことなく、行刑成績の良い部類に入っているひとが、暴力犯受刑者などに比べるとはるかに多いです。 こう考えてきますと、国や学者たちが考えている刑務所での社会復帰策と受刑者たちが望む社会復帰支援とは、どこかですれ違っている気がするのですが、このことは次の機会に触れることにします。 ■
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by dankkochiku
| 2006-02-20 10:08
| 刑務所を考える
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by dankkochiku
| 2006-02-14 20:35
| ワンニャン物語
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少し固い話題が続きましたので、肩の凝らない受刑者たちの生活の知恵について話します。 職員より数倍も多い受刑者を集団管理するためには、まず職員の指示、命令に従わせて処遇計画通りに全体を画一的に動かすことが最も効率的な方法と考えています。 こうした集団本位的、全体主義的な管理方法の下での生活に受刑者たちが不満や反感をもつのは自然です。 しかし、大方の受刑者たちは規制緩和を求めて刑務所当局へ公然と要求を突きつけて抗議をしたり、職員を買収したり、工場へ出入りの業者を脅して外部と連絡を試みるなどは、一部の人間がすることで、最悪の方法だとも思っています。 受刑生活に慣れた者ならば、刑務所が立てた処遇計画に巧みに便乗して目的を達するという穏便な方法を選びます。 行動規制の一つに、無断で所内移動の禁止があります。 逃走目的の失跡防止のほかに、共犯者や社会での悪友などが組んでよからぬことを始めるのを予防するためです。 自分に決められた舎房や工場以外のところに友人や知人がいるのが分かっていても気軽く会って話をすることができません。 もともと天涯孤独の受刑者には気にならない規則ですが、暴力団関係たちにとっては、共犯でなくても親分や兄弟分がいると分かれば、接触しようと画策します。 この場合,最も単純なやり方は、映画会、演芸会などの大勢が一同に集まる機会に、周りを見回して知人にサインを送るやり方ですが、職員に見つかり会場からつまみ出されたのでは元も子もなくなる恐れがありますし、これを防止するために、開演前と終了後に全員黙想の号令を掛ける施設もありますから、賢明な方法とは言えません。 よく使われる手は、炊事場から工場へ食事を運ぶ運搬夫、医務課から指定された薬剤を工場に届ける衛生夫、洗濯物を集配する洗濯夫、工場巡回の床屋など職員の信任を得て各工場を巡回する経理夫に伝言を頼んだり、多少の危険を冒してガテ(手紙)を渡す連絡方法です。 経理夫の方も 「やーさん」(暴力組関係者)からの依頼を無下に断る勇気はありません。 こうしてお目当ての相手と連絡がつくと、次に出会う方法として、互いに示し合わせて仮病を使い医務課へ診療に行きます。 待合室には外の工場、舎房からの受刑者も来ていますからヒソヒソ話くらいならできます。 休日に訪れる宗教指導者の教誨師、カウンセリングやクラブ活動を指導する民間相談員のようなボランティアに標的を合わせる手もあります。 一人で複数の集会に参加して、よその舎房や工場の受刑者たちと広く会えれば、所内の情報交換や組関係者の動静を知るのには絶好の機会です。 善意あるボランティアの方がたは、常に来る者は拒まずの姿勢ですし、立会いの職員も干渉できにくい場です。 でも、彼らの下心がひょんなことでバレることがあります。 定例の句会で、皆が持ち寄ってきた宿題を先生が一句ごと読み上げて批評に及んでいた時のことです。 「この作者の方はどなたですか」 と何度か声を掛けましたが、返事がありませんでした。 全く俳句を知らない男がいつも入選する受刑者に作らせたので、自分の句かどうかも分からなかったのでした。 B級刑務所では、時に、善意の慰問団を装って暴力組織関係のプロが紛れ込んで訪れ、同系統組員の受刑者を激励に来ることがあります。 有名な芸能人が出演中に代表者が幕間から顔を出したり、最後に挨拶をしました。 後になって敵対する組関係の受刑者から通報があるまで、刑務所側は全く気づきませんでした。 その点、アマチュアやセミプロの民謡団やブラスバンドなどは安心です。 このような受刑者間の情報ネットワークの存在は、開放刑務所や初犯受刑者施設ではあまり弊害が目立ちませんが、自由への要求と規制への要求との綱引きの激しさは、分類収容された受刑者の質の良し悪し次第です。 ■
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by dankkochiku
| 2006-02-13 15:51
| 刑務所を考える
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警察庁は、65歳以上の高齢者の犯罪が急増し、交通事故を除く全検挙者数に占める割合が平成17年に初めて1割を超え、中でも深刻なのは、高齢者による殺人事件で、平成2年と比べると、64歳以下では9%減っているのに65歳以上では3倍以上に増えていると発表しました。
刑務所でも、昭和40年までは、20代の受刑者が新入所者の半数を占め、40歳以上は1割台に過ぎませんでしたが、平成18年には20代が20%、30代が29%、40代が21%、50代が18%、60歳以上が11%で、そのうち65歳以上は6%と、最近では80歳を過ぎての入所も珍しくなくなりました。 65歳以上の受刑者ともなりますと、その70%くらいが累入者です。 その6割ほどのひとは、少年のころから20代前半に犯罪に手を染め、服役を繰返しながら老齢に達したひとたちで、10回以上服役したひとも4人に1人くらいおります。 高齢受刑者の6割以上は窃盗か詐欺犯で、生活苦からの万引きと置き引きが多く、特に累入者では、詐欺のイメージから遠い無銭飲食が過半数を占めています。 いずれも被害金額が少ない単独犯行が特徴で、家族に見放され、貧しい生活をしている孤独の老人たちの姿を髣髴させます。 少年に多く見られるような共犯者がいて遊び目的の窃盗というのは聞いたことがありません。 65歳以上の受刑者の犯罪には二つのタイプがあります。 初入者と累入者に分けますと、それぞれに多い犯罪というものがあります。 平成16年版犯罪白書によりますと、累入者の犯罪は多い方から、窃盗、詐欺、覚醒剤事犯、道路交通法違反、住居侵入の順であり、初入者では、窃盗、殺人、道交違反、詐欺、業過(交通事故)の順です。 累入者では、第5位までに殺人は入ってないのに、初入者では殺人が第2位を占めています。 高齢者の殺人事件で目立つのは、配偶者が被害者になる割合が高い(検挙者の約18%)ことです。 配偶者が寝たきりになったり、認知症(痴呆症)に罹ったりしてその介護に苦労が多いのに頼れる家族も経済的余裕もないまま、看護に疲れての発作的殺人、先行きを悲観しての無理心中、酩酊中に些細な言い争いからカッとなって殺害に及んだのが始めての犯罪ということでしょう。 高齢になると高血圧、糖尿病、がん患者が増えるのは一般市民と同じですが、高齢受刑者で問題になるのは認知症患者の多さです。 ある刑務所医の調査では、65歳以上の高齢者の痴呆率は20.9%との報告があります。 これは、一般人口で65歳以上の痴呆率が4~7%であるのと比べると格段に高率です。 特に、初入の高齢受刑者は、もともと反社会性にとぼしかったひとが、高齢になって始めて犯罪を起こしており、痴呆の初期症状(まだら呆け症状など)の疑いがあります。 他方、累入受刑者では、若い頃から知的障害、意志欠如性(willenslos)の人格障害があり、早くから始まった非行・犯罪が次第に習慣化した上に痴呆が始まっている例が多いことです。 刑務所では、現在、増え続ける高齢受刑者に対応するため医療と養護処遇の充実が早急に求められています。 法務省は、平成19年度の補正予算案で、広島、高松、大分の3刑務所に合わせて1千人の高齢受刑者を収容する専用棟を増設し、そこでは、エレベーター、バリアフリーの設備を設ける計画です。 紙袋作りなど簡単な作業もできず、紙オムツが必要な高齢受刑者の処遇を担当する刑務官に介護士の資格が必要になるのも間もないことでしょう。 高齢受刑者が現在のいきおいで増え続ければ、刑務所の一角が老人ホーム化することは間違いなく、出所後の受け皿にそのための福祉施設も求められます。 そこで問題になるのは、刑務所が刑事施設であり、そこの住人たちは、本来、罪の償いのために拘禁されているのです。 認知症は、脳の器質的変化によってもとの状態に戻ることのない知的活動全般の機能低下による障害なのです。 この種の受刑者が増え続けるということは、自分が刑務所にいるのか、老人ホームにいるのかさえも分からない受刑者たちが増えることです。 犯罪の責任を自覚させ、社会適応に必要な能力を育成させるという矯正処遇を受刑者に義務付けた新しい法律がこれら高齢受刑者たちにどう立ち向かうつもりなのでしょうか。 ■
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by dankkochiku
| 2006-02-08 10:46
| 刑務所を考える
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by dankkochiku
| 2006-02-03 20:46
| ワンニャン物語
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自由刑とは、犯罪者を刑務所に隔離して自由を剥奪する刑罰のことですが、自由の幅を少しでも広げようと人権を主張する受刑者側と拘禁の目的を盾にとって防戦に努める施設側との争いが時どき起こります。 それも、一冊の本を 「読ませろ、読ませない」 といったことが、時には、最高裁判所まで持ち込まれるのですから、一般市民の理解を超えた話です。
刑務所当局は、「読書」 が精神的な教化に役立つ必要なものとしながらも、一方では読書が教化を妨げ、施設の規律を損なう恐れのあるものと考えてきました。 監獄法(今年5月、廃止予定)では、図書を読みたいとの要求が出れば、許すが、それも無制限に許すものではないと釘をさし、制限の基準として行政命令は、当初、「監獄の紀律に害なきものに限り」 または 「新聞紙及び時事の論説を記載するものを読むことは許さず」 と、教化よりも施設防衛に神経が向いていました。 さすがに、新聞閲覧の禁止規定は、昭和33年の裁判で違憲とされるに及んで削除されました。 しかし、それも、昭和41年になってからのことですから、当局の抵抗ぶりが分かります。 監獄法に代わって施行される 「刑事施設・受刑者処遇法」 では、私物の図書などを読むことは、原則として、受刑者の権利として認められることになりました。 しかし、なんでも自由に読ませることには不安がありますから、「施設の規律・秩序を害する恐れ」 や 「矯正処遇の実施に支障の恐れ」 のあるものについては制限できることにしました。 もっとも、読書を禁止、制限するとはいっても、殺人の方法とかドラッグの楽しみ方とか脱獄の手口といった内容の本を犯罪者に読ませるのは良識に反していますし、収容者の方もそれは心得ていますから問題はありません。 しかし、では、規律・秩序や矯正処遇を害する恐れのある図書がどれかということになりますと、問題が起きる都度、施設側に判断が迫られ、その結果を不服とする受刑者との間の争いがこれからも続くでしょう。 事の起こりは、ひとりの受刑者が 「現代の監獄」 という私物の本を読むことを長崎刑務所長から断られたことでした。 彼は、所長の措置は憲法が保障する、個人の尊重、幸福追求の権利(13条)、思想・良心の自由(19条)、表現の自由(21条)に違反すると、国に損害賠償を求める訴えを起こしました。 刑務所長が問題視したのは、この本の中に、刑務所では作業の安全性が軽視され、労働災害が頻発し、受刑者が虐待されている、刑務所内の秩序が乱れ犯罪が起きているといった内容が具体的に書かれていたからでした。 このような本を受刑者が読むのを認めれば、作業を通して勤労意欲や更生意欲を促すという社会復帰のための教化・矯正の目的を妨げ、懲役刑の目的に反している、と刑務所側は反論しました。 これに対して第1審裁判は、この程度の内容の本を受刑者に読ませた位で、刑務所の規律が直ちに乱れ、収拾できないほどの危険が迫るとは考えにくい、と受刑者側の言い分を一部認める判決をしました。 これに対して刑務所当局は、この受刑者は未決のときから獄中闘争を繰返し、規律違反を再三行っている事実をあげて、この本の読書を許可すれば、その活動を一層助長させ、正常な刑務所の管理運営を妨げる可能性が大きいことなどを上げて控訴しました。 高等裁判所の判決は、刑務所の実情によく通じている所長の判断に間違いがないなどとして刑務所側に軍配を上げました。 しかし、受刑者側は納得せず、最高裁判所に上告しました。 裁判の経過については省略しますが、最後には、刑務所側がなんとか勝訴に漕ぎ付けました。 昭和56年にこの受刑者が訴えを起こした裁判は、9年目の平成5年9月に終りました。 この裁判経過をお読みになった皆様は、わが国では、受刑者の人権が守られていると思われたでしょうか、それとも、空しいと感じられたでしょうか。 ■
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by dankkochiku
| 2006-02-01 20:59
| 刑務所を考える
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