カテゴリ
以前の記事
2017年 09月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 01月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 more... 最新のコメント
最新のトラックバック
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
鑑別所にくるほどの子供ともなると、大体、女子の方が男子よりも深刻な問題を多く抱えている。 「早発性非行児」(本シリーズ16)でも触れが、実父母を保護者とする少年は、女子では40%に満たず、男子よりも10ポイントほど少ないし、家族と同居していた女子も70%ほどで、男子より15ポイントも少ない。 その代わり不良仲間や愛人と称するヒモと同居していた割合では、男子の3~4倍、住所不定、浮浪生活の割合は、2倍以上も多い。 社会適応に必要な知能面でも、普通以上(IQ100以上)の知能の持ち主は、女子全体の中の20%以下で、男子に比べ、半分ほどの割合だ。 また、女子非行は、セックスの問題を抜きにしては考えられない。 早くから家庭の保護が絶たれ、委縮した生活にさらされていると、年頃になってセックスが非行の突破口になり、非行を加速させ、その後の人生を狂わせる。 セックスは、女子にとって、男子のように性のはけ口ではない。 満たされなかった優しさと愛情を求めて、男の欲望に奉仕し、捨てられ、金欲しさから性を売り物にして男から男へと渡り歩き、傷ついていく。 器量が好ければ、ヤクザな男に囲われ、薬物依存になり、風俗界へ売りに出される。 こうした生活の歩みが、非行の進行とも軌を一にしているのがほとんどで、そこから抜け出せるのはよほどのチャンスと能力に恵まれた子だ。 生来的な外向性格と荒んだ環境の中で揉まれ、性衝動を攻撃性に転換し、衝動的、暴力的、支配的な粗暴非行に走る少女たちがいる。 女番長、「スケ番」、暴走族では 「レディース」 などと呼ばれ、「類を以て集まる」 のことわざ通り、不思議なくらい同じような不遇な環境、性格、能力、体格、問題を持つ少女たちがつるんで非行を重ねる。 今回、4人の少女の起こした事件は、およそ少女のイメージからほど遠い、暴行、傷害、恐喝、逮捕監禁、強姦の非行名を付されて鑑別所に送られてきた。 U子とV子は17歳。 女子高では同学年だったが、問題を起こし、1年の2学期までにそれぞれ中退。 その後、小遣い銭に困ればバイト、給料が入れば、使い切るまで遊ぶ気ままな生活。 そのころ、二人は街で知り合い、交友を深めた。 今回の事件は、たまたまこの二人が駅前広場で出会い、立ち話をしていたところに、中学時代にワルで鳴らした1年先輩のW子と2年先輩のX子から声を掛けられた。 遊ぶ金がなくてシケているならカツアゲ(恐喝)でもやるかと、4人で午後5時頃から8時頃までの間に、駅周辺の路上、スーパーの屋上など3か所で女子高校生7人を脅し、足蹴にするなどの暴行を加え、現金を合わせて約3万5千円、乗車カード、買ったばかりのバッグ、トレーナーなどを脅し取り、そのうちの一人に 「目付きが悪い、ふざけんじゃねえ。」 などと脅し、X子が同居していた覚せい剤の売人のアパートの一室に連れ込み、監禁、暴行、傷害を負わせた上、皆で押さえつけて男に強姦させたという事件である。 リーダー格のX子は、20歳だったので、今回、鑑別所には来なかったが、中1の終わりから急にグレ始めた子だった。 父親は外国航路の貨物船員で、1年の大部分は家に帰らない。 母親は保険や化粧品の外交販売員をしていた。 中学1年のころ、母親が不特定の男とラブホテルに出入りするのを目撃したり、父親が外国人娘と抱き合っている写真を見つけたりして以来、急に不良化し、学校をさぼる、喫煙、シンナー乱用、母親への暴力が中3まで続いた。 なんとか高校へ進学できたものの、母親がガンで急死。 父親が戻ってくると聞いて、家出。 繁華街を徘徊中、暴走族から集団強姦されたり、遊び仲間からリンチを受けたりしながらも暴力団員との付き合いを深め、不良交友、売春、有機溶剤・覚せい剤乱用の虞犯事件で初めて鑑別所に入所したのが15歳のときだった。 以後、17歳と19歳の時にも同様の虞犯事件で入所し、3回目の時は少年院に送られ、そこで成人を迎え、仮退院期間中に今回の事件を起こした。 U子は、保育園、小学校、中学校のとき、それぞれ1回ずつ転居しており、一時は、母方親類の家や養護施設から通学したことがある。 母親がU子を連れて、転々と住所を変えたのは、父親の暴力から逃れるためだった。 10歳のとき、父親がやくざ関係の事件で服役したのを幸いと母親は父親と別れたものの、経済的に困り、生活保護を受けた。 5年ほど前から、母親は宅配運転手をして生活を支えている。 ただ、朝早くから夜遅く帰宅する仕事とあって、U子は放任され、その間に不良化。 鑑別所に訪れた中学の担任教師によると、素直で明るい性格で、バスケットクラブに所属していたが、2年になって学習意欲が低下し、家庭学習はほとんどやってこないし、学習用具を忘れることが多くなり、学習成績は下。 判断が軽率、衝動的で自分勝手な行動が目立ち、クラブからはじき出された。 中3のとき万引して1回補導歴がある。 異性関係に興味があり過ぎるので女子高進学を勧めたなどと話した。 高校進学後、間もなく、学内のツッパリ・グループに近づき、異性関係を注意した教師に反発し、自分勝手に退学届を出して中退、親に叱られ、家出中にシンナーを乱用したり暴力団風の男数人から強姦されたりで、生活が荒み、街で知り合った男友達の家を転々と泊まり歩いて食いつないでいた。 V子の父親も、覚せい剤事件で数回、服役歴がある。 出所しては母に暴行を繰り返すので、服役中しか安心して暮らせない生活で、夫の服役中に他県に転居し、母親はホステスをしていた時、店の料理人と再婚し、生活に少しゆとりができた。 中学校からの回答書には、明るさにとぼしく、感情的で、いつもピリピリしており、自己中心的で相手の立場に立って行動がとれず、気に入らない生徒とはいつも衝突していた、学習成績は2年から低下した、と書かれていた。 U子と同じ高校へ進学したが、すぐに学習意欲を失い、服装の乱れ、シンナー乱用、援助交際などの非行があり、夏休みに入って中退。 その後、美容院に就職したが、態度が悪いと解雇されて以来、両親の心配をよそに、ときどき小遣い稼ぎ程度のバイトをしては、遊び友達の家を泊りながら不良仲間との交際の輪を広げていた。 W子は18歳。 小学校4年のころ、母親は酒癖の悪い夫と離婚し、しばらく母子二人の生活をしたが、中1のとき、現在の夫と再婚。 しかし、W子と義父と気が合わず、言い争いばかりしたり、当て付けに万引をして補導されたりしたと言う。 そのころから、遅刻、早退が目立つようになり、不良っぽい服装、髪形をして登校し、粋がって見せた。 中卒後、気が強いところが見込まれ、暴走族に加わり、家出してヤクザと同棲、スナックのホステスや風俗店で働かされたが、収入はすべて用心棒の男に貢がされた。 そのころ、X子と知り合い、覚せい剤密売の片棒を担がされた事件で保護観察処分を受けた。 今度の事件で、U子、V子、W子の3人とも少年院に送致された。 彼女たちに、一体、どんな将来が待っているのだろうか、と暗澹とした気持ちになる。 ただ、保護司の方に伺うと、意外と、女子で少年院を出院後、刑務所へ入所したという話はそれほど多くないとのことが、鑑別所職員にはわずかな救いになる。 ちなみに、平成18年に全国の刑務所に入所した女子受刑者2,333人のうち、少年院歴のあるのは158人、6.8%(男子受刑者では、15.4%)である(平成18年 矯正統計年報)。 終わり。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-03-29 23:09
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(12)
特に目立った問題のなかった一人子の高1生が、突然、金属バットで母親の頭部を滅多打ちして殺害した。 母親の悲鳴を聞いて駆け付けた隣人は、いつもきちんと挨拶をするT男が呆然と立ちつくし、そばに母親が倒れているのを見て、驚き、座らせた後、110番、119番通報。 その間、T男は無言で両手を合わせて振る奇妙な動作をしていた。 家裁の職員に付き添われてきた中肉中背の少年は、通常の入所手続きを済ませた後、精神科医の待つ医務室へ直行。 事前に家裁から簡易精神鑑定の結果が伝えられていたからだった。 特に緊張、興奮した様子もなく、素直に医師の面接に応じたが、一応、大事をとって、精神安定剤を出し、夕食後、すぐ新入者用の単独室で就寝。 翌日、T男の生い立ちをよく知る母方の祖父がきた。 殺害された母は、T男が3歳のとき離婚して以来、ずっとT男と二人暮らしの生活で、事件当時、母は10年以上勤めた総合病院の事務員で患者の病歴管理を一手に任されていたことなどの話が聞けた。 母子二人は、週末ごとに祖父母の家に泊まりに来るほど一家は親密で、近隣との付き合いもよかった。 母親の性格は、几帳面、仕事熱心、社交的だが、自尊心が強く、見栄を張るところもあったが、まあ、普通の主婦だった言う。 祖父によると、T男は小学校低学年のときは母親の仕事の都合で夜遅くまで学童保育所に預けられ、あまり勉強をしなかったが、成績は上位で、友だちも多かったと言う。 T男の子供のころの思い出として、小学5年の時、母親が担任教師からT男は道徳心がないと注意されたという話をした。 それは、「信号機のある道路で、おばあさんが歩いていたら手を引いて上げますか」 という問題に、「ここまで歩いてきたのだから余計なおせっかいになるから手を引いてやらない」 と答えたことに母親が、「お前は正直すぎる。 嘘でも良いから道徳心があるように答えておけばいいのだ」 と言ったという話だった。 そのことについて改めてT男に尋ねたところ、「矛盾したことでも大人は平気で嘘をつくのかと頭にきたが、別に言い返さなかった」 と言う。 中学入学後、バスケット部に入り、毎日練習に励んだが、2学期からやる気がしなくなり、幽霊部員になった。 成績は1年のときは上位だったが、2年からは中位に下がったが、欠席、怠学などの問題は見られなかった。 祖父によると、中学2年の終わりころから口数が少なくなり、表情も暗くなったと言う。 祖母もまた、それまでは割と素直な子だったのが、その頃から、うるさがる態度をとるようになったが、この年頃にありがちの反抗期だろうと思い気にしなかったと言う。 これについて、T男は、祖母が口うるさく宗教を押し付けるようになったから、と答えた。 中学3年2学期に自殺未遂事件がある。 本人によると、母から高校予備校で実施する全国共通模擬テストで偏差値が60以下だったら死ねと言われていたのに、結果は偏差値が59だったからと言う。 手首を切ったが死ねなかったので、首を吊ったら、足がついてしまい、3回試みたが失敗し、疲れて止めた、と言う。 その日、帰宅した母に首の傷を尋ねられ、首つりの真似をして遊んだと答えた。 これに対し、母は 「馬鹿な真似するな」 と言っただけだったと言う。 偏差値が1点足りないだけで、本当に死のうと思ったのか、と尋ねると 「約束は約束ですから」 と平然と答え、母への当てつけでもなく、死にたいと思ったからでもなかったと言う。 でも、死ぬことは恐ろしいことではないかと重ねて尋ねたところ、「光や時間などのように永遠に続くものは怖いが、途中で終わる死は怖くない」 と、意味のない笑いを時どき見せての答は、何か病的な几帳面さと死についての現実感のなさがうかがわれた。 高校進学後、数人の友だちができ、ビリヤードやマージャンをして遊ぶこともあったが、それよりも、家では全く勉強をせず、一人で部屋にこもって物思いにふけったり、パソコンゲームをしたり、ビデオを見たりしている時間が多くなった。 こんな生活振りから、1学期中間テストは251番、期末が274番と下位だったが、勉強すればいつでもできるから、赤点を取らなければいいと思って勉強しなかったと、淡々と自信のあるような断定的な答えをした。 母親から 「最近、たるんでるんじゃない?」 と注意され、「俺の知能は今までと変わらず同じだから、順位が下がったのは、クラスのみんなが勉強しただけのことだ、上があれば下もある。 トップもゲッピもあるのだから仕方がないことだ。 お母さんはこんなことが分らないのかと思うと情けなくなった」 と、成績の低下を気にした様子はない。 ちなみに、鑑別所で実施したT男のIQ.は115、平均よりも上位の知能だった。 しかし、その頃から、母からいつも監視され、自分の思っていることが自然と母に伝わり、知られてしまう気がして、夏休み中、いつも怖かった、と言う。 そのため、母と顔を合わさないように、毎朝、母が仕事に出かけた後、布団から起き出し、近所のコンビニエンスストアでカップ麺や弁当を買って朝食を済ませ、夕食も、母が帰宅前に済ませて部屋にこもっていた。 母が休みの日は、自分の部屋にこもり、買い置きの菓子パンやカップ麺をまとめ食いし、母と一緒の食事を、忙しいとの口実で避けた。 そのうち、母に殺されるのではないかと思うようになり、窓の鍵をいつも開けておき、母が入ってきたらそこから逃げ出そうと考えた。 夜は母が寝てから寝ることにしたので、就寝時間が遅くなり、それを昼間の睡眠で補い、昼夜逆転の生活になったが、昼間は何もすることなく、母のたてる物音に耳をすまし、安心して部屋から出られるのは、母が入浴中しかなかった、と言う。 そんな脅えながらの毎日の中で、母親の存在を消さなければ自分の存在が消されると、母への恐怖と敵意を募らせた。 犯行の前夜、開け放した窓からコウモリが飛び込んできて、足に止まったのを、タオルで包んで外へ投げ出す瞬間、「コウモリが来て足に止まったのは、母を殺せという意味だ」 と思ったと言う。 翌日、近くのスーパーから金属バットを買ってきて、天井裏に隠した。 なぜ、金属バットを凶器に選んだかについて、ほかでも金属バット殺人事件があったので、自分でもできる、と単純に考えたからだった。 犯行の日の午後、2時間余り友だち3人と家でマージャンをした後、友達と一緒に出かけ、夕方に戻り、母が帰宅後、犯行に及んだ。 母親の殺害について、自分の意思でやったので後悔はしていない。 法律を破ったので処分を受けることは分かっているが、人はいずれ死ぬのだし、悪いことをしたとは思っていない、と無表情に答え、全く罪悪感もなく、後悔もしていなかった。 T男は、中学入学前後から発病した統合失調症と診断され、医療少年院へ送致された。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-03-22 23:56
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(7)
最近の医学の著しい進歩によって、非行・犯罪を促す生物学的要因が次第に明らかになり、同時に、治療の可能性も広げられてきた。 今回は、このようなケースを取り上げる。 S男は16歳。 高校2年在学中である。 虞犯事件の主な内容は、家庭内暴力と校内暴力だった。 S男は生れて間もなく母親が行方不明になり、その後、一週間ほどして、子供のなかった現在の里親に引き取られ、戸籍上、実子として育てられた。 両親によると、10歳くらいまでは、あまり手のかかない子で、珠算塾、書道塾へ通うなど、一家は平穏な生活だったが、出生の秘密を知るようになったころから、両親のしつけや注意に反発したり、学校の生徒たちともよく喧嘩をしたりするようになり、S男はこれらの原因がすべて親子の間に血のつながりがないことに理由をつけて、両親を困らせた。 中学進学後、親に対してだけでなく、教師への反抗的な態度が目立ち、家の建具や家具を叩き壊す家庭内暴力や学友への暴行が始まった。 中学1年の時、担任からS男が学習用具や宿題提出を忘れることが多いこと、授業中に落着きのないこと、さらに服装の乱れがあることなど学習態度に問題があると、告げられた。 両親は、この時、初めてS男が友人宅で不良っぽい学ランに着替えて登校しているのを知りショックを受けた、と言う。 中2の頃、両親は、自分たちの子育てに問題があるのではと、児童相談所を訪れ、助言を求めた。 あまり神経質になって口うるさく注意することが反発を招いているのではないかと言われ、刺激しないように学業成績や交友関係などの話は控えるようにした。 しかし、事態は改善するどころが、中学3年になると、母親への暴力に加え、教師への反抗、級友への暴行が激しさを増した。 このため、環境を変えたらと、教師と相談し、転校させ、親戚の家から通学させたが、1か月ほどで、転校したことに不満を持ち、またもとの中学へ戻り、結局、そこで卒業した。 鑑別所からS男の高校への照会書には、1年の成績は、すべて最低の評価。 短気で粗暴さが目立つ。 学友に暴力を振う。 問題のある生徒と付き合う。 幼い時、母親が体罰でしつけたことが、年を経て粗暴な振る舞いをするようになったのではないか、親子間の信頼関係が絶たれている、との内容の回答だった。 母親によると、S男の家庭内暴力は、特に刺激するようなことを言わなくても急に不機嫌になっていら立ち、家具や器物を壊し、暴言、暴力を振う。 一体何が原因なのか分からないので、どうしてよいか分からない。 校内暴力の問題では、必ずと言っていいほどS男の名前がでてくるので、被害を受けた先生や生徒への謝罪や弁償などで心労が重なり、耐えきれずに警察へS男の保護を求めた、と言う。 これが今回、鑑別所に入所したきっかけの理由だった。 入所後、数日して両親が見えた。 親子たがいに多くは言葉を交わさなかったが、特段の問題もなく面会を終えた。 その日のS男の日記帳には、 「今日、親が面会にきてくれた。 新しい靴、靴下や服など持ってきてくれた。 初めのうち、なにをしゃべっていいか分からなかった。 しばらくして、父が、ポツリ、ポツリしゃべり始めた言葉は、いかにも俺を気づかってくれていた。 あんなに俺が悪口をいったり、け飛ばしたりして、痛めつけたこの俺を気づかうなんてと思って泣けた。 父は心臓が悪いのに俺が心配かけてばっかだし、母も体具合が悪そうだった。 俺のために、世間で小さくなっている親にすまない事をした。」 普通、家庭内暴力をする少年は、両親が来ても、面会を拒否したり、長年にわたる親への恨み辛みを訴えたりして、暴力によって自分を主張する以外なかったなどと暴力を正当化しがちだが、S男からは違う印象を受けた。 少なくとも日誌からは、両親への暴力について自責の念がうかがえた。 親や友だちに暴力を振ることをどう思うかとS男に尋ねた。 後になって悪いことをしたと後悔するが、イライラしている時には、普段は我慢できることも、自分が抑えられなくなり、つい暴力を振るってしてしまう。 後になって、物が壊れていたり、相手がケガをしたりしているのを見て、悪いことをしたといつも反省する、と言う。 では、どんなことにイライラするのかと尋ねたところ、動機は、いろいろで、はっきりは分からないが、何もやる気がなくなる一方で、何かしなくてはと焦ってきて、だんだんといら立たしい気持になり、いったん爆発すると後は何だか分からず、トコトンやってしまう、と答えた。 これについて両親に尋ねたところ、毎年3月ころから5月ころになると、不機嫌になることが多く、いら立っている。 暴力もその時期に集中している。 学校の友だちからも 「S男は気まぐれだ」 と言われているとのことだった。 S男の知能は普通域にあり、言葉による意思表現が下手でいら立つのでもなく、また、思い通りにならず、かんしゃくを起こすといったものでもなく、ある時期になると、何もやる気が失せ、勉強もせず、いらいらすることが多いこと、暴力を振るった後で自責の念が湧いて反省できることなどを総合すると、S男の暴力は、普通の家庭内暴力とは違うようだ。 S男の暴力は、たんに一時的な感情で激怒するといった性質のものでもなく、また、精神分析学者のいう心理的コンプレックスが原因というよりは、むしろ、何か身体的なものが要因で抑うつ的な不機嫌状態になり、普段、我慢できることでも抑えきれず、前後の見境なく暴力に出てしまう気分変調が体内で起こるのではないだろうか。 もしそうであれば、カウンセリングや職業訓練など従来の矯正教育課程に先立って、神経心理学的検査が是非とも必要だろう。 なぜならば、S男が暴力に先立って、いら立たしい抑うつ感をもたらす気分変調が周期的に見られるという母親の話や、暴力を振るっている最中は周囲のことはよく分からないという本人の言葉からは、気分障害かテンカン性のもうろう状態下の行動が疑われ、脳内神経系統の損傷の可能性が考えられるからだ。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-03-16 23:31
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(5)
建造物侵入と窃盗事件で19歳の二浪予備校生が鑑別所に送られてきた。 R男は一人子で、両親から大切に育てられ、これまで非行らしいことは何一つなく、高校までは学業面も順調に進み、両親の期待を一身に背負ったような子だった。 両親に励まされ、実力を超える偏差値55以上の大学を5か所受験したがいずれも不合格。 それでも一浪は当たり前で仲間も多いと、気を取り直して、翌年に希望をつなげたが、二浪ともなると挫折感と焦りがでてくる。 自分のやりたいことが学べる実力相応のところを受ければいい、といった建前論では世間に通用しないと、頑なに信じた親子の家庭で起きた事件だった。 大学浪人生を巡る事件は、古くは、昭和55年に神奈川・川崎市のエリート社員の家でニ浪の次男による金属バット両親殺人事件があり、最近では平成19年に東京・渋谷区の歯科医師宅で三浪の次男が短大生の妹を殺害した事件がある。 これほどの大事件は希だが、受験生のいる家では、この種の事件が起こる状況はよく分る。 R男の父は、以前、小学校の教師だったが、今は駅前ビルの一画で学習塾を経営している。 父は、R男が卒業した高校の担任教師の先輩で、懇意にしており、頼まれて、PTAの会長もしている。 父は、R男の勉強指導に熱心だが、話といえば勉強のことばかりで次第に父が疎ましい存在になってきた。 この間の心境についてR男は、「父は、PTAの会合などで先生や他の親から友達の成績や進学の話を聞いてきては、そのことを話ました。 初めのうちは我慢して聞いていたけど、友達と比較されるようになり、僕はだんだんと腹立たしくなり、父の話を無視するようになり、しまいには父と話すのが嫌になってきました。....僕としては、もっと人生のことや、思想のことについて父と話がしたかったのです。 それで、父が僕に話し始めると、早々に場を外すようになり、次第にお互いの姿が見えなくなりました。」 と書いている。 R男の母は、小学校の教師をしていた時、父と結婚し、R男が生まれてからは専業主婦になったが、10年ほど前からパートで保険外交員をしている。 R男によると、母は、几帳面で決められたことはきちんとしないと気に入らない、世に言う教育ママ。 小学校のときから、学校から帰ると、母が付き添って、宿題や復習、予習をした後でないと、遊びに出さなかった。 中学入学後は、父の学習塾とは別の有名学習塾へ通った。 「母は、親戚の人や近所の人の目を気にしては、いろいろと僕に説教します。 そのため母ともあまり話をしなくなりました。 僕は、一人っ子ということで、可愛がられて過保護に育てらました。 しかし、高校生ともなると、そういうことがとてもうっとうしく、父母の言うことにわけもなく反発するようになりました。」 「これらのことから、僕の家の雰囲気は、日を追うごとに暗くなってしまい、会話がほとんどなくなってしまいました。 両親はどうにかしなければならないと思ったのか、僕にいろいろと話しかけるようなりました。 もちろん僕もそれに応じようとはしましたが、相変わらず父の話は勉強のことばかりで、結局、両親とは話をしませんでした。」 こうしたさ中に、駅前に大手予備校が進出し、父の学習塾の生徒が減り始め、家計にも響くようになり、その経営立て直しを巡って、両親間に争いが絶えなくなった。 このためR男は、ますます不安定な気持ちに追い込まれ、神経性胃炎を訴えるようになった。 両親が金銭に困っているのを見て、R男は、通っている予備校の学費だけでも何とかしなければと切羽詰まった気持ちになり、母校の高校で部活動の時間中、施錠されていない部活部屋に生徒たちが無造作に制服やカバンを置いてあるのを思い出し、勝手知った場所へ侵入し、現金窃盗を十数回繰り返した。 しかし、予備校の学費は、両親が逼迫した家計の中から捻出し続け、R男が盗んだ現金は学費の支払いには全く使われず、予備校の帰りに仲間とのゲームや飲食の代金に消費していた。 家計を助け親孝行すると自分に納得させての盗みだったが、心の底では、自分に対して過剰に期待する親に、今更、志望校のレベルを下げて受験したいとも言えず、かといって親が熱心に勧める大学の関門を通過できる自信もなく、追い詰められた気持ちから、いずれ母校での窃盗事件が発覚すれば、息子に君臨してきたPTA会長の父親の顔に泥を塗り、それで受験のストレスからも解放され、気が楽になるだろうという破れかぶれの気持からの非行だった。 生活のストレスやイライラを口実に反社会的なことをするのは大人にもいる。 非行・犯罪をしたところで気分が一新するわけでなく、かえって人生を破局に導いたような人たちだ。 スーパーで数千円の商品を万引きして 「魔がさした」 と言い訳する教員、官庁、大企業の管理職員。 イライラからの万引き常習の主婦。 「職場の人間関係でストレスがたまり、発散するためにやった」 と恨みもない入院患者の爪剝しをした医療従事者。 「誰でもいいから殺してやろうと思った」 という通り魔殺人犯。 「10年も前からイライラすると放火をした」 放火殺人犯。 どれも問題解決から程遠い、単なるガス抜き、八つ当たり、歪んだうっぷん晴らしの自己中心行動である。 いずれのケースもR男の非行の心理と通じるものがある。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-03-10 23:08
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(12)
警察が逮捕・補導した少年のうち、少年鑑別所に入って来るのは、ほぼ10人に1人。 この割合を見ただけでも、鑑別所には、非行のかなり進んだ少年が入ってくると分かる。 入所少年の7割強(女子では8割強)が初入者だが、いわゆる 「いきなり型」 の事件を起こした少年を別にすれば、入所する以前に全く非行問題がなかったという少年はごく少ない。 非行以外にも、家庭、学校、職場などでも不適応な行動が問題視されてきた少年が大部分だ。 非行のある生徒が一人でもいる中学、高校では、教師もPTAもその対応に追われ、平穏な授業が妨げられ続けているのを見れば、鑑別所にくる少年がどんなものか、一目瞭然。 鑑別所に入所する少年たちの中で、最も将来が心配されるのは、早くから非行が始まり、それ以後も続いているケースだ。 その典型的な例が児童自立支援施設に保護歴のある子供たちで、半数以上は10歳未満で非行が始まり、そのほとんどが窃盗を繰り返しながら次第に非行が多様化し、常習化している。 非行が早い時期に始まった子供たちの背景をみると、まず子供への保護機能を果たしていない家庭、特に子供の保護を放棄し、虐待する親の存在が浮かび上がってくる。 親からの身体的虐待を恐れ、嘘をつく、家出、万引きなどの盗みを繰り返す 「虐待回避行動としての非行」 と言われる子供のケースである。 これらの子供たちは、温かい家庭に恵まれず、生死の危機にさらされながら生き、それが原因で問題行動を起こしている。 「ぶっ殺してやりたい」 と、殴られた傷あとや火傷あとを見せて親への激しい敵意をあらわにしながら、同時に 「生れてこなければよかった」 と生きることに絶望し、自傷、自殺を試みた傷あとのある児童が目立つ。 国立児童自立支援施設、武蔵野学院医務課長の富田拓氏によると、同院に措置入院された児童のうち、両親のいる家庭は3割以下で、約8割が被虐待児である。 初発非行が大事件だったような特殊例を除けば、ほぼ全児童が米国精神医学会の精神診断マニュアル、DSM-IVにある 「行為障害」(conduct disorder) の診断基準を満たしており、脳機能障害とされる 「注意欠陥/多動性障害」 (ADHD)児童も20%以上と報告している(「犯罪と非行」誌 No.143 /2005年)。 成人の最も危険な犯罪者にしばしばみられる 「反社会的人格障害」 または 「精神病質」 と診断するには、まだ発育盛りの少年には、ためらわれ、15歳未満の少年には、行為障害または精神病質の疑い、と診断名をつけている。 鑑別所に入所する少年には、幼少期に親から虐待を受けていたケースが多い。 ただ、兄弟姉妹がすべてひどい虐待を受けていた例は少ないので、その少年が特に、親から虐待を受けやすい子供だったと考えられる。 その要因として、さまざまな原因による心身の障害や発達に遅れのある子供を抱える片親家庭、貧困家庭、家族間不和のある家庭などでは、保護者の育児負担、疲労が大きく、一番手のかかる子供へ虐待が始まるケースが目立つ。 そこで、鑑別所に入所する少年について、平成18年の矯正統計年報から、これらの要因となりそうな項目を拾ってみる。 まず、はっきり知的障害と診断された少年は、全体の約1%と少ないが、知能検査の結果では、IQが100以上の普通知能以上は、全体の33%(男子32%、女子18%)と3分の1に過ぎず、普通程度の知能より一段低い、IQ80~89の知能域の少年が20%(男子20%、女子27%)、IQ79以下の知能に問題が疑われる少年が、16%(男子15%、女子27%)もいる。 ただし、この知能検査結果は、動作性検査の結果なので、言語性の知能検査をすれば、IQの結果が下方修正される可能性が大きい。 なぜならば、非行少年は一般に、言語性検査の結果の方が低いからだ。 実父母のいる家庭の少年は、全体の46%(男子約47%、女子38%)で最も多いが、一般の家庭に比べると格段に少ない。 次いで多いのが、実母のみの家庭の32%(男子32%、女子38%)、実父のみの家庭が男女共10%の順である。 また、家庭の生活程度では、普通と判定された家庭の少年が男女とも70%以上を占めているが、貧困家庭少年が24%(男子24%、女子では26%)もいる。 生活に追われ、家計にゆとりのない家庭の子が全体の4分の1、保護者が実母か実父かのいずれかの片親家庭が4割を占めている。 特に、女子は、知能面、生育環境面で問題が多く、非行が男子よりも平均して1歳早く始まっている理由がなんとなく分る。 このような背景から、少年たちの学校教育歴は、高校へ進学した少年は入所少年の53%(男子54%、女子48%)と、昭和49年以降、高校進学率が90%を超えている一般社会の現状に比べると遙かに低い。 そのうえ、高校中退者が53%(男子52%、女子57%)もいる。 大学に進学した少年にいたっては、男子が8%、女子では0.1%にも満たない。 ここでも女子少年が社会適応力に著しく劣っているのが分る。 近年、鑑別所に13歳以下で入所する少年の数は、全体の1%以下とはいえ、人数にすると100人以上おり、その6割以上は、この年頃の子供に多い虞犯、窃盗、傷害だが、中には放火、殺人、傷害致死、強盗致死傷など重大事件を起こした子がいる。 ある12歳の男子少年は、怠学、万引き、シンナー乱用の虞犯事件で鑑別所に入所してきたが、家庭は父親が受刑し、離婚した母子家庭で、生活苦から放任され、知能程度は中の下程度で、学業不振、小学5年から学校を無断欠席し、空腹から食べ物の万引が始まり、次第に非行が常習化した。 また、ある13歳の女子少年は、父母離婚後、母子家庭で育てられたが、母親がうつ病になり、預けられた先の児童養護施設から無断外出を繰り返し、シンナー乱用、複数の異性との交友があり、虞犯事件で入所してきた。 低年齢、特に、10歳以前に非行が始まった子供の家庭には、父母の不和、離婚、薬物依存やそのた精神障害、反社会性のある親の下で、放任、虐待といった好ましくない成育環境があり、それに加え、脳神経機能の損傷などによる精神障害を疑う衝動的、暴力的な子供も少なくなく、家庭環境の改善とともに医学から非行児の治療教育へ参加が求められている。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-03-03 23:59
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(1)
少年犯罪には共犯事件が多い。 警察統計によると、平成18年の刑法犯事件の共犯率は、成人では17%であるのに少年は25%であり、強盗、強姦などの凶悪事件になると、成人が12%なのに、少年では44%とぐっと高くなる。 少年たちは、向こう見ずな犯行ほど、仲間がいないとできないのだ。 仲間と連携して獲物を狙い、襲い掛かる野獣に似ている。 共犯がいると獲物を仕留める確率も高い代わり、検挙される確率も高いが、リーダーの意向に沿い、皆が獲物に襲い掛かる時には、検挙のことなど眼中にない。 逮捕されて、初めて、悪事に気づき、後悔する少年も多いが、非行歴の多い少年では、ドジを仕出かしたと後悔はしても、罪悪感や被害者への同情からの後悔はない。 初めは、罪への反省、悔悟の情を見せても、少年院や刑務所から釈放されると、被害者への謝罪、賠償を実際にする例は少ない。 居場所を不明にし、再犯を繰り返すものもいる。 昭和63年、少年らの稀に見る集団凶悪事件が2件発生した。 一つは2月に名古屋市緑区で起きた 「アベック殺人事件」、もう一つは11月に東京・足立区で起きた 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」 である。 名古屋のアベック殺人事件の加害者は、20歳の成人1人以外は、3人の少年と2人の少女の計6人の共犯事件である。 4人は暴力団関係者で、2人の少女は共犯者と同居していた。 全員に非行歴があり、6人は日頃からアベックを襲っては金品を奪い、直前にも2台の車を襲い現金を奪っていた。 東京の女子高生殺人事件は、犯行時16歳から18歳の同じ中学校出の不良仲間4人の犯行だが、いずれも強姦ほか数々の非行歴があった。 グループの中心的な暴力団構成員の少年を通して、共犯たちは成人のやくざと交わっていたが、性衝動、攻撃衝動を自制できない反社会的人格障害者と、精神鑑定書にある。 この二つの事件と同じ結末になりかねない事件を起こした7人共犯の少年が鑑別所に入ってきた。 ほかに、犯行現場に少女2人がいたが、犯行を傍観しただけで手を下さなかったので警察から釈放された。 事件の詳細は省略するが、7人が共犯になったいきさつ、犯行中、犯行後の動きを見る。 全員、18歳で同じ中学か高校の出身。 このうち、事件当時、K男、L男の2人は高卒後就職して間もない工員。 M男は高校3年中退で無職。 この3人にはそれまで非行歴はない。 専門学校生のN男はシンナー吸引で、中卒で無職のO男は万引きで、それぞれ1回、家裁送致歴がある。 P男は、中卒後、ほとんど職歴がなく、暴走行為で保護観察処分を受けた後も窃盗事件がある。 アルバイトで新聞勧誘員のQ男は、中卒後、いくつか就職したが長続きせず、その間にシンナー吸引、暴走行為ほかで短期少年院へ。 仮退院後は定職につかず、小学生の頃、両親が病死して以来、祖母と2歳年上で飲食店員の姉との3人暮し。 その家は不良仲間の溜まり場になっていた。 事件の発端は、O男、P男、Q男の3人が退屈しのぎにドライブをしないかと話が持ち上がり、親の車が使えるO男とP男が運転役を買って出た。 Q男がどうせ行くなら大勢の方がいいと、遊び仲間のL男、M男、N男の3人と女友達2人を誘い、話がまとまった。 車2台に8人では息苦しいと、車通勤のK男の帰りを通り道で待った。 何も話を聞いていなかったK男は、いったんは断ったが、少年院出のQ男に逆らっては、としぶしぶ承諾。 午後7時過ぎ、9人が車3台に分乗し、アベックたちが好む山あいの湖へと向かった。 目的の湖畔に着いたのは夜10時頃で、寒く、昼間はマイカーや観光バスの集まる土産物センターやボート乗り場付近に人影はなく、自販機の明かりだけが周囲を照らしていた。 その時、若い男女が自販機から何かを買い求め、近くに止めてあった乗用車へ戻った。 これを見たQ男が近づいて行き、ほかの数人も従った。 女性を車から引きずり出し、驚いて車から出てきた男性に、少年全員で暴行を加え、意識不明の重傷の男性から財布を抜き取り、放置。 その後、Q男が女性を車内で暴行、次いで、ほかの少年も加わるよう、ひとりひとり指名し、全員が順次、車内に入ったが、K男、L男、M男、P男の4人は、泣いていた女性に声を掛けたり、ハンカチを渡したり、はだけた服を直したりしただけで出てきた。 ドライブに参加した少女2人は、少年たちが暴行するのを離れて見ていたが、自分たちへの危険を感じ、現場から離れ、タクシーを呼び逃げ帰った。 夜が白み、意識を取り戻した男性を縛り、破損した男性の車内に置き去り、引き上げた。 最後に車を発進させたK男とM男は、寒そうにベンチに座っていた女性に土下座して謝り、毛布で体をくるみ、K男の車で女性の家の近くまで送り届け、M男は名刺を渡した。 被害者の男性と女性からの通報で帰宅したK男とM男の2人は、その日のうちに逮捕。 数日後には残り全員が逮捕された。 以上が事件の経過である。 鑑別担当者が注目したのは、9人の男女のグループの中に、全く非行歴のなかった3人の少年と2人の少女がいたのに、誰ひとり、犯行を止めようとしなかったことだった。 少女ふたりは、警察へ通報できたのに、それをせず帰宅してしまった。 少年たちは、強盗傷人、強姦致傷事件が無期懲役刑に当たる重罪であることを警察で初めて知った。 また、7人の審判が終わるまでに被害弁償の示談ができたのは、母子家庭で生活がやっとのK男だけだった。 ドライブの計画から犯行まで主導的役割を果たしたのは、1年ほど前に少年院を出たQ男だった。 少年たちには、初めは、犯行の動機も意図もなかったのに、Q男の強い命令口調に圧され、それに従わないといけない気になり、断れなかった、と言う。 そして、誰もが根性無しと、非難されまいとして、自分を強く見せようと、犯行をエスカレートさせた。 主犯格のQ男自身も、少年院出と仲間から噂されていることを、この機会に共犯者たちに示して、強い自分を見せたかったというのが本音のようだった。 集団による少年非行には、この種の動機、心理からのものが多い。 だが、凶悪非情な集団犯行の最中、車の中で女性と2人だけになった4人の少年は、突然、催眠術が解けたように良心に目覚め、被害者に憐れみを感じ、犯行の手を止め、慰め、K男とM男は謝罪し、家の近くまで送り届けた。 このふたりのしたことは、罪を軽くしようと考えたからでもなかったし、そうすることが警察に有力な手掛かりを与えるということも全く頭になかった。 むしろ、犯行中には失われていた少年の純真な心を取り戻したことがそうさせたのだろう。 名古屋のアベック殺人事件や東京の女子高生コンクリート殺人事件ほどの悲惨な結末にならなかったのは、共犯者たちの中に、非行歴のなかった少年と正気に戻った少年がいたためと思う。 不幸中の幸いであった。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-02-25 21:39
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(5)
丹念に少年の話を聞き、少年の書いたものや家裁調査官の社会調査記録を読み、保護者と面談し、所内の行動や生活ぶりを観察し、心理検査や医学検査の結果が出揃うと、少年を非行に駆りたてた心の深層が見えてくる。 しかし、これらの情報が揃っていても、いま一つ納得できず、非行の解明に悩むケースもある。 高校1年のJ子のケースがそうだった。 これまで非行もなく、家庭環境や学校生活にも問題のない明るく、スポーツ好きな子だったが、半年ほど前から、体がだるいと訴え、食欲減退、それに伴う常習便秘、体重減少、無月経などを心配した母親に連れられて病院を訪れた。 内科所見には異常はなく、摂食障害・神経性拒食症と、それに伴う体重不足と肝臓の機能障害の治療に入院が必要と診断された。 俗に言う 「思春期やせ症」 である。 入院後2週間ほどして本人からの希望で、病院から通学が許され、最初の登校日から家に帰った後、病院へ戻りたがらず、家に一泊し、翌日、病院へ戻ることにした。 そして翌日未明、J子は眠っていた3歳年下の妹を縄跳びの縄で絞殺した。 鑑別所に入所したやせ細ったJ子の表情は硬く、青白い顔色をしていた。 身長は160cm.あまり、体重は35kg. たらず。 直ちに医師の診察を受け、体力維持に補液の点滴注射を始め、毎日継続するなどの医療処置がとられた。 入院していた病院から自傷、自殺のおそれのあると伝えられていたので、職員室隣の行動観察室に保護。 数日後、神経精神科の精密検査を受けさせるため専門病院に連れて行き、軽度の脳波異常のほか、2,3の異常値が見つかった。 行動観察日誌には、「ほとんど表情を変えない。 職員の指示には素直に従う。 起床時間には、ほかの少年たちと同時に起きる。 安静にしているよう指示するが、一日に何度も鏡に向かって立っている。 毎食後に服用する錠剤を飲まずに隠し持っていたので、以後、服用を毎回確認する。 食事には全く手を着けない。 食べるように勧めたら、半分か3分の1ほど食べたように装い食器の片側に寄せたり、時には、職員の目を盗んでトイレに捨てたりする。 食べても主食は20~150g.ほど、野菜、果物は少々、汁物は全部飲む。 自分がやせていることを気にしている様子がない。 入浴時に脳貧血を起こし倒れた。 テレビを見ているが、画面に集中できず、立ったり座ったりして落ち着かず、その間、長いこと鏡の前に立っている。 便通がなく腹が張る、「頭がパンパンする。」 とよく訴える。 「殺して、死なせて」 と言いながら、壁に頭をぶつけ、窓ガラスを割ろうとしたり、シャツを首に巻いて、絞めようとして何回か職員に制止された。」 などと記載されていた。 入所後3日くらいして落ち着いたので、心理職員が面接したが、すぐに疲れ、心理テストを途中で止める。 とても続ける体力がないと判断し、面談のみに切り替えた。 面談は、J子の意の向くまま話題を進めたが、事件については、触れたがらないというよりも、その記憶が霧の向こうに遠ざかっていく感じがすると言いながら、断片的に言葉少なに話すが、現実感がない様子で、罪悪感は全く述べられなかった。 妹については、「私よりも勉強もスポーツもよくでき、両親に可愛がられていた。」 「私はケーキ作りが好きで、前に、砂糖、バター、卵、クリーム、チョコレート、果物などをふんだんに入れたケーキを作って、妹に食べさせようとしたのに、太るから嫌だと言って、断られた時は、妹なんか、この世から消え去って、両親、祖母の愛情を自分だけで独り占めしたいと思った」 などと話した。 精神分析学派のM.クラインは、摂食障害患者の人格上の要因として、幼少期に、おもに母子関係で心理生物学的な欲求不満が解消されず、思春期以後も自我機能の未成熟さが残っていると、母親への依存心と自立への不安との葛藤が解決できず 「分離(splitting)」 と呼ばれる幼児期の自我防衛のメカニズムから、過食または拒食、あるいはその両方の症状が交互に現れることがあると説明している。 このいささか難解な学説の是非は別として、思春期にある子が依存心と自立心とのはざまで、将来に向けて心理的不安を抱いていたとしても、それは普通のことではないだろうか。 また、J子が摂食障害を起こす前は、生活上、問題の見られなかった普通の高校生で、しかも不仲でもなかった妹から手製のケーキを拒否されたことが以前にあったからといって、久々に家に戻ってきたその日に限って、それが動機で殺害にいたるものだろうか、という疑問は一向に解決できず、むしろ、J子の摂食障害は、神経性(心因性)のものではなく、犯行も含めて、ある種の精神病の初期症状の一つではないかと疑った。 いずれにせよ、現状では、栄養不良状態からいつ重体におちいるかの方が懸念され、一刻も早く、専門病院へ入院させるため、観護措置の一時取り消しを家庭裁判所に申請し、入院させた。 その後、2ヶ月ほどして、入院先の病院から、J子の本来の体重にまで回復し、故意に体重を減らすようなことはしなくなり、一応の生命の危機を脱したとの理由で鑑別所に再入所した。 しかし、相変わらず、表情はとぼしく、喜怒哀楽の感情が鈍いうえ、日常の言動からは、殺害した妹のことは完全に意識から抜け落ちたような無関心さと、生き生きした現実との接触感も現実的に物事を考える機能もマヒしている様子が認められ、一層の医療措置が必要であるとの鑑別結果を踏まえて医療少年院送致が決定した。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-02-18 22:11
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(8)
「思い出したくも、考えたくもありません。 メチャクチャです。 とにかく、家の雰囲気だって思い出したくないほど、ひどいのであります。」 これは、万引き、ひったくり、置き引きをして捕まった15歳のH男の 「私の家族」 と題する作文の冒頭である。 非行が10歳以前にはっきり現れ、その後も止まない子供は、ひど過ぎる、としか言いようのない家庭の出がほとんどである。 H男の父は大酒飲みで、子供のしつけには関心がうすい。 仕事から帰り、ひと風呂浴びると、飲み始め、飲み終わると、さっさと寝込んでしまい、翌朝は早く仕事に行く毎日だった。 母は、H男の妹弟が生まれた後、その育児疲れからか、子供が気に入らないことすると、すぐ怒鳴り、殴った。 H男が食事抜きで、閉め出されて、夜になっても裸足で外をうろついていたのをアパートの大家が見つけ、家に連れ戻されたことがあったと言う。 「母さん、僕に八つ当たりして、イライラを解消しているようで、毎日毎日が地獄同様だった」 と書いてあった。 そんなわけで、体中に打ち身、きず痕、アザが消えず、「小学校の身体測定で先生からそのわけを聞かれると言うので、その日は学校へ行かせたくなかった」 と父親は当時を振り返って話した。 「母ちゃんは、やたら自分の気の向くままに不規則な生活をしていた」 とH男が言う母親は、小学3年の頃に男ができ、家を出て行った。 母さんがいなくなってどう思った? との問いに、「いなくなってホッとしたくらいで、ババア(母)につねられたり、殴られたり、ひっぱたかれたりした思い出しかない。 今でも体に傷あと、やけどのあとが多い。」 と、母への恨みが書き連ねられていた。 子供4人を置いて母親に出て行かれ、困ったのは父親で、H男より4歳年上の異父の姉だけを家に置き、残り3人を別々に保育所、児童養護施設に預けたが、やがてその姉にも父の子が産まれ、その子もまた乳児院に預けていた。 未完成の言葉の後に続け、自由に文章を書き加えさせる文章完成テストには、「(私の両親は)信用できない人、気の合わない人」 と、不信と怒りをあらわにした。 「(家の人は私を)たぶん自分を生まなければよかったと思っているだろうなぁ」 「(人は私を)注意されても聞かない、手のつけようのない悪ガキと呼んでいた」 「(私のとくいなこと)得意なことはありません。不得意ならたくさんあるけど」 「(もし私が)死んでも、だれもかなしまないだろう」 など、暗い家庭生活の様子と、ひどく悪い自己イメージが描かれていた。 H男は、「親から見放されて施設に入れられた」 と言うが、乱れた家庭から、施設に保護されたきょうだい3人は、そこで始めて基本的な生活習慣を教えられ、ほかの子供たちと一緒に通学した。 H男は施設で学んだお陰か、鑑別所にいる子たちが書けないような文字も正しく書けた。 しかし、幼いころ両親から受けた心の傷が癒えず、施設でも学校でも、なかなか心を開こうとせず、あまり話さない控え目な孤独な子であり、それでいて少しでも非難されると、皆が自分を避けているように思えて、登校を拒否し、無断外泊(逃走)をしては、その間、店の商品を盗み食いして、空腹をしのいでいた。 こうした施設での不適応な行動から、対人関係を変えるために5年ほどの間に数か所の養護施設と教護院(現在の児童自立支援施設)を転々と移動させられた。 「そのたびに親不孝、不真面目、ワル、困り者などと職員からいわれた」 「おとなは、権力ばかりふるって事を運ぼうとする! やだと思う」 と書いていたが、それは職員たちの態度が両親を思い出させ、そのイメージと重なり、大人全体への不信感、敵意が心に染みつき、なかなか離れられなかったからであろう。 今回の事件も、仲間とのちょっとした言い争いがきっかけで行先の当てもなく教護院を飛び出し、浮浪中に食べ物に困り、起こしたものだったが、その間も不良仲間との接触はなかった。 それほど人間不信に落ち入っていた。 では、養護施設や教護院では、何も良いと思ったことはなかったのか、と尋ねたところ、寮舎で一緒に生活していた職員の夫婦と子供の生活を見て、「親が子供の宿題を教えているのを初めて見た。 これが普通なのかと、うらやましく思った。 こんな家の子に生まれたかった」 と答えた。 児童自立支援施設に措置されて入所する児童は、ほとんどの場合、入所以前には、まともな生活をしていないので、施設での 「普通の生活」 が彼らにとって治療教育上の意味が非常に大きい。 それでも、平成11,12年度に全国の児童自立支援施設を退所した児童1158人のうち、25%退所後、家裁に通告・送致されていたとの国立武蔵野学院の調査報告があり、処遇の難しさを感じさせる。 (平成17年7月17日 毎日新聞) H男の場合も、非行が早期に始まり、その件数も多く、罪の意識が乏しいなどから矯正教育を受けるため少年院送致は止むを得ないが、出院後、家庭に保護能力がなく、自立して生活していかなければならない状況から、審判の結果は、職業訓練を中心とした中等少年院送致に決まった。 しかし、そこでどれだけ心のケアーが受けられるかについては、一抹の不安が残った。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-02-12 17:10
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(8)
鑑別所に来る子供の7割ほどは初めての入所者である。 非行歴が短く、改善の見込みのある子が多いが、中には、非行がかなり進んでいて、このままでは生涯、犯罪者の道を歩むのではないかと危ぶまれる子もいる。 非行が進んでいるかどうかの判断は、事件の重大さよりも、むしろ非行期間の長さ、事件の多さ、非行を助長する環境か、少年を保護できる環境か、本人に逆境に対抗する気持ちと力があるかが決め手になる。 成人の犯罪では、事件に応じて責任の重さを量り、それ相当の刑罰を贖えば刑事上の問題は終るが、少年非行の場合は、事件の軽重よりも将来、健全な生活ができるように育つかどうかの可能性に関心が向けられる。 鑑別所に兄弟が一緒に入所してきた。 一男は17歳、次男は15歳。 一男は、1年ほど前に仲間8人とバイク3台、自転車10台を盗んで短期中等少年院に送られたが、そのときも鑑別所に来たことがある。 少年院に5か月ほどいて仮退院になったが、ひと月もしないうちに、今度は、仲間9人と組んで盗んだバイクを乗り回し、盗まれたバイクを見つけて取り戻そうとした被害者に暴行を加えて重傷を負わせた窃盗と傷害事件だった。 弟の次男は、鑑別所に来たのは初めてだが、小学生のころから家出の繰り返しが中学生になっても一向に治まらず、今回の事件は、家出していた1ヶ月半ほどの間に遊び仲間数人と空き巣ねらいを40件あまりと運転目的で自動車とバイクの窃盗2件で入所してきた。 事件は兄弟別々で共犯関係はなかった。 同じ家庭から兄弟が同時に入所するのは、あまり例のないことだが、その非行には、共通の原因があった。 まず、二人とも軽度の知的障害があり、基礎教科学力検査の得点は低かった。 物の見方、考え方が幼児的で落着きなく、周りの雰囲気に行動が左右されやすいのも似ていた。 中学校から返送されてきた学校照会書には、一男は注意散漫で落着きがない、自信がなく、さびしがり屋でいつも誰かと一緒でないと安心できない、とあり、次男の方は、明るい性格だが、気に入らないことがあるとすぐ向きになる、困るとその場しのぎの嘘をつくとことがあると書かれていた。 父親が電器部品製造工場の経営者だった当時、女性従業員と関係ができ、兄の一男が3歳の頃、次男が1歳を過ぎた頃、母は二人をおいて家出し、離婚。 父と関係のあった女性が入籍し、間もなく娘が生まれた。 一男も次男もまだ、母の世話を受け、甘えたい年頃だったのに、新しくきた母親は 「自分の娘の方ばかり面倒を見て、僕たちの方はかまってくれなかった。 いまでも冷たい母だ。」 と一男は言う。 一方、継母は、「前の母親の二人の子は、学校に入っても私になじまず、娘をいじめるので、私には手に負えなくなって、息子二人のしつけはお父さんに頼んだ」 と言った。 二人の息子と継母とがしっくりいかなかったのは、知的障害による発達の遅れや継母と実母との育て方の違いに、母子ともとまどったためだろうが、親子関係を一層悪くしたのは、仕事に追われていた頑固で短気な父親が早く決着をつけようと、ただ体罰に訴えたために、今度は父親の態度に脅え、親子間の不和をさらに増したことだった。 しかも、次男は小学1年のころ小児ぜんそくを発病し、一層手がかかるようになり、当時、小学3年生だった一男も一緒に父方の祖母と伯母が一緒に住んでいる家に世話を頼み、ひとまずこれで親子間の不和は解消したかに見えた。 しかし、その後、5,6年して父親の会社は不況に見舞われ倒産した。 父親は、いまさら社長の地位から一介のサラリーマンになることを潔しとせず、部屋の一室を電器部品組み立て作業場にし、二人の息子にも仕事を手伝わせるために祖母のもとから呼び寄せた。 当時、一男は中学2年生、次男は小学6年生だった。 2人は、下校後、継母もいれて4人で働くことになったが、にわか職工の内職同様の仕事で、能率は悪く、不良製品も多く出す始末で、以前のような安定した収入は得られなかった。 父母のもとへ連れ戻された兄の一男の不満は、中学のサッカー部を退部し、仲の良かった友達と別れることになったことで、その寂しさから、皆が寝静まるのを待って、夜中に家を抜け出し、今回共犯の少年たちと遊ぶようになり、弟の次男もそれについて行った。 二人が深夜、家からひそかに出ていくのを異母妹から知らされた父親は激怒し、学業にも仕事にも差し障ると、見つけるたびに二人を怒鳴り、殴った。 しかし、父から怒鳴られるたびに、二人は家出を繰り返した。 家へ戻ると殴られ、紐で縛られて家の中に閉じ込められたこともあった。 そこでまた、家出をする、といった悪循環にはまってしまった。 「今回の非行について」 という課題作文に次男が当時の生活の様子をこう書いていた。 「事件をおこす時は、必ず家出している時におきているので、家出しないのが一番ですが、なぜ家にいるのがいやで出ていくかというと、学校から返って(ママ)すぐ仕事の手伝い(を)はじめ、午前0時すぎまで手伝わされて、朝は、けっとばされておこされ、学校へ行き、学校がおわって家に返る時間だって、近所の子が返ってくるより早く返ってこないとなぐられたり、おこられたりするからです。」 「僕のあまえかもしれないが、我家には問題がないとはいえないとおもいます。 けいさつの人から、あきすねらいを36けんもやって、100万円くらい金をとったといわれたけど、家にいればこんな事件はしなかったとおもいます。」 と誤字、脱字交じりの拙い文字で書かれていた。 問題は、帰住先をどこにするのかであった。 両親は、祖母も伯母も高齢で今更二人の世話を頼めない、家に戻るのが一番いい、と説得する。 しかし、二人は家には帰りたくないと言い張った。 兄の一男は、課題作文 「私の悩み」 の中で、次のように書いてあった。 「父と母とが面会に来て、家族全部でもう一度やり直すのが一番いいと言うのですが、今まで、僕の親代わりになって、だれよりも本気で考えてくれたおばあさん、おばさんの所にもどりたいです。 それは、おばあさんの家にいた間は、僕も弟も悪いこともせず、学校にきちんと行っていたからです。 今の僕のなやみは、今回の事でまた少年院に行くことになれば、その間に、おばあさんに万一のことが起こったらどうするかです。 自分が悪いからしょうがないとか言われますが、りくつ(理屈)では、その通りですが、僕の気持ちはおさまりそうにないのです。」 家裁の審判の結果、一男は長期中等少年院送致、次男は児童自立支援施設送致になった。 児童自立支援施設とは、児童福祉法上の、家庭環境その他の環境上の理由から生活指導などが必要な不良行為のある児童を入所させる開放的な施設で、そこへ家裁から送られるのは、普通、14歳未満の子供だが、あえて15歳の次男を初等少年院送致にしなかったのは、精神科医と心理療法士の常駐する施設で、普通の家庭生活を知らずに育った次男にそれを経験させようと考えた末の決定だった。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-02-05 15:16
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(4)
バイクの窃盗は、少年非行の中で、万引、自転車窃盗に次いで多い非行である。 しかし、14、5歳の少女のする非行としてはむしろ珍しい。 I子の事件は、バイク1台を取っただけだったが、事件当時、不登校、家出中であったことや1年ほど前にも、遊び仲間が盗んだバイクを乗り回して児童相談所へ送られたこともあり、今回は、鑑別所へ送られてきた。 I子が中学2年から3年にかけて非行化した発端は、I子の知らないところで起きた父方の親族間の遺産相続争いだった。 この問題がこじれる前までは、普通の中学生だった。 I子の家は、父方の祖母名義の土地の一角にあり、同じ敷地内には、別に祖父母の家が建っていた。 両親が結婚した当初から祖父母とI子の母親は折り合いが悪かった。 I子の母によると、その原因は、「私が舅・姑の反対を押しきって夫と結婚したためではないか。 嫁の私のすることは、初めからことごとく気に入らず、そのため、結婚後、しばらくして、祖父母とは別棟の家を建てて夫と住み、外で働くことにした。」 しかし、「祖父母は、私に面倒を見て欲しかったのではないか」 とも話した。 I子は、朝、母が仕事の出掛けに保育園に預けられ、夕方、仕事からの帰りに引き取られて家に帰る生活が小学校へ入るまで続いた。 就学後は学校から帰ると、祖父母の家に行きたがり、祖父母も初孫のI子がくるのを喜んで迎えた。 次第に、父母よりも祖父母の方になつき、宿題を見てもらい、夕食も祖父母の家ですませた後に、仕事から戻った父か母に引き取られることもあった。 母は、I子に祖父母の家の行かないように何度も注意した。 それは、祖父母と顔を合わせると、娘の育て方について祖母から皮肉や嫌みを言われるからだった。 母は、祖父母への怒りを夫に相談しても、夫は、我慢することを妻に求めるだけだったので、不満はつのる一方で、I子にも当るようになった。 学校から戻っても、誰もいない家に一人でいるのは、怖い、つまらない、と駄々をこねて祖父母のところへ行きたがるのを、父も母も行かせまいと厳しく叱り、それがI子を余計に、甘えられる祖父母のもとへ行きたがらせ、それがまた母の癇に障って、叱られるという悪循環を繰り返えした。 I子が小学3年生の時、大好きだった祖母が亡くなった。 その時のショックは大きく、葬儀の翌々日にも学校へ行けないほどだったが、それよりも祖母の死は、数億円相当の土地を含む遺産相続をめぐり数年にわたって、祖父、祖母方の親族、父親が対峙することになった。 祖母方の親族たちは、I子の父が親の反対した女と結婚し、そのあげく、祖父母の敷地に住みながら、自分たちの仕事の忙しさにかこつけて祖父母の面倒をみず、祖母の看病もおろそかにしたと、I子の父母を親不孝者と言って、遺産相続の分け前を減らすことにしてしまった。 これに対して、I子の母がそれでは、いま住んでいる家から立ち退かされることになると、猛反対し、争いは一層激化した。 親族会議決定の不当を訴えて、裁判にも持ち込むべきだと夫を焚きつけた。 しかし、法定相続人である当の夫は、親族の争いを穏便に終えたいばかりに、言葉を左右にし、妻との口論を避けるために勤め先からの帰宅時間を遅らせ、休日は、会社仲間の付き合いを口実に外出するなどして、終日家を留守にするようになり、それがもとで夫婦喧嘩が絶えず、母は、夫の不甲斐なさをなじり、父は言い争いの末に暴力を振るう、そんな日が続くようになった。 遺産相続問題の結末がどうなったかは分からないが、I子が小学5年の時、母は、I子を連れて隣町のアパートへ移り、しかも父母別居の生活が始まった。 夫が自分の親族たちには弱腰で、言いなりなのに、見切りをつけたためだった。 I子は中学2年という多感な年ごろになっていた。 両親の不和がもとで、狭いアパートで母子家庭生活に、家にいることに魅力が失せた。 学校の帰りがけにクラスの友だちの家へ寄り道をするようになった。 下校後、学習塾やお稽古ごとへ出かけない子どもの家は、たいてい両親共働きの留守宅で、そこでは、スナック菓子を食べ、タバコを吸い、シンナーを嗅ぎ、お喋りをし、音楽テープを聞き、テレビ、コミック雑誌を見ながらたむろする女の子たちのたまり場だった。 I子にとって、そこは単調な毎日の繰り返しの母子家庭生活とは違い、刺激的で、くつろげる別世界だった。 しかし、その代償は無断欠席、成績低下となって現れた。 帰宅が遅くなって仲間の家に泊まり、朝帰りして母親から殴られたが、それからは、着替えなどに親のいない昼間に家に戻り、夜は仲間の子どもたちの家を転々と泊まるようになった。 知り合った男の子と路上に放置してあったバイクを一緒に乗り回した。 ヘルメットも着けず、無灯火、無免許運転をして、警察に捕まった。 母親が呼び出され、I子とともに児童相談所へ連れていかれた。 それまでも娘の態度や行動の変化に気づき、学校からも注意されていたので、切羽詰まった気持ちから、母は、児童相談所の相談員に不良交友を絶つために一時でも施設に入れて欲しいなどと迫り、かえってI子の信頼を損なった。 相談員は、親子間の交流を回復するのが一番大切で、両親が和解し、一家が同居することをすすめたが、1年後の中学卒業までは、それまで通りの母子家庭生活を続けることになった。 I子は警察に補導されて以来、無断外泊、不登校の問題はなくなり、児童相談所の心理判定員との定期的カウンセリングをきちんと受けた。 両親も、娘の非行化の責任が自分たちの別居にあることは十分感じ、夫婦のよりを戻そうとしていた。 しかし、家では、大人しくしていたI子も、交際を禁じられた以前の遊び仲間から誘いがかかると、ついていってしまった。 年上の男の子たちがどこからか運んできた数台のゼロ半(排気量50ccのバイク)を、公営アパートの物陰で、数日がかりで仲間と一緒に分解し、1台のバイクに改造するのを手伝い、それに盗んできたナンバープレートをへし曲げて、夜に皆で代わる代わる裏道を乗り回した。 チェーンロックが掛っていなければ、爪ヤスリが車のキーの代わりになると教えられて、I子は、駐車場にあった赤いゼロ半1台を持ってきた。 I子の非行は、家庭状況や親子関係によるところが大きく、その改善には両親も一緒に治療的指導を受ける必要があり、現在受けている児童相談所ケースワーカーの指導を続け、その結果を見るために試験観察に付された。 ■
[PR]
▲
by dankkochiku
| 2008-01-30 21:14
| 少年鑑別所の子供たち
|
Comments(3)
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||