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子供の頃、「いろはかるた」 に 「芋の煮えたもご存じない」 という読み札があった。 その当時、「い」 は、たいてい 「犬も歩けば棒に当たる」 だったのに、「芋」 とは珍しいので覚えている。 こんなことわざは、現代っ子、いや、その親の方も聞いたことはないだろう。 というのも、その頃の子供のオヤツには、サツマイモがよく出た。 それも焼きイモ屋から買ったものではなく、どの家でも、何本ものイモを釜に入れて蒸かしたので、その匂いが家じゅうに漂い、今日のオヤツが何だかすぐに分かった。 だから、芋の煮えたのもご存じないのは、余程どうにかしている、つまり、世間知らずという意味だ。 前置きはこれくらいにして、その芋と言ってもサツマイモの産地で、それが名物になっている川越市(埼玉県)を知らないのは、世間知らずというわけではないが、町を歩くと、あちこちに芋の字が目につく。 ここは、都心から1時間以内の圏内にあるうえ、JR川越線、西武新宿線、東武東上線それぞれの駅があり、国道16号と254号も市街地を迂回して走っているので、朝夕は通勤客が、昼間は近隣地からの観光客で賑わっている街だ。 駅前の中心街は、地元民のために2キロほど続く百貨店や個人店が並ぶ商店街と、そこから少し離れた所にある重要伝統的建造物保存地区に指定されているレトロの町、神社仏閣ある二つの区域がハッキリ分かれている。 観光客のお目当ては、もちろん、蔵造りの町並みや大正浪漫夢通り、その周辺の喜多院などの寺院などだ。 土蔵建築がたくさん残っているのは、明治26年(1893)の川越大火に耐えた江戸時代からの土蔵を見た商人たちが競って耐火構造の蔵造り建築や東京にあった西洋館を見習って建てたからだが、今では、蔵造りの郵便局とか西洋館の喫茶店、歯科医院などもある(下の写真)。 レトロの町並みにはレトロな土産物が似合うというわけか、名物は芋ようかん、芋饅頭、芋大福、芋煎餅、芋飴などなど芋を使った菓子。 それに卵の厚焼きも名物。 「元祖芋うどん」 の看板にひかれて注文。 それは、紅イモを練り込んだウドンにサツマ芋の精進揚げ、それにたっぷり入ったホウレンソウが濃いくち醤油汁に浸った野趣あふれる熱いウドンだった。 ところが、この歴史と文化の町を訪れた翌日の新聞は、川越駅東口に近い瓦葺木造の無人神社の拝殿、25平米が放火され全焼と報じた。 放火した26歳の男は、2時間後に自首。 自動車部品会社の元派遣社員で、昨年12月に解雇され、ネットカフェなどを転々としながら日雇い労働で食いつないでいたが、この日、菅原神社境内の社務所に泊まろうと思ったのに、鍵が掛かっていたので絶望感に襲われ、放火したと言い、所持金は五円玉二枚だけで、所持品はなかったそうだ。 いっぺんに昨今の厳しい雇用のl現実に立ち返った。
by dankkochiku
| 2009-02-08 17:37
| ぶらり、まち歩き
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Comments(9)
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tomahawk_attack
at 2009-02-08 18:34
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ほほう。川越のレポートですか。。
今回はdankkochikuさん、随分と遠くまで足を延ばされましたね。。(^^ゞ 川越は土蔵の街らしく、レトロで風情ある街並みが、何とも言えぬいい味わいを出しています。テレビでも良く紹介されており、半鐘の櫓がトレードマークになってますね。 ただ?通りを行くと、目にするノボリや看板は、大抵が皆?・・芋、芋、芋・・のオンパレード。芋づくしで徹底してますよね。dankkochikuさんも、早速、ご当地ならではの「元祖芋うどん」を食されたとか?・・・^^ ちなみに私が家族と行った時は、季節も夏でしたので、皆で紫イモのソフトクリームを食しました。これも野趣あふれるアイスでした。 もっとも?もともと私は芋は嫌いな方ではありませんで、先月も成田山に初詣に行った帰りには「芋ようかん」を求めました。。^^
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tomahawk_attack
at 2009-02-08 18:36
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それと?菅原神社の放火男のニュースですが、つい先日のことですよね。酷い話と感じる一方、置かれている世の中の厳しさに、身につまされるものを感じました。
ただ企業側からすれば?ワザとしてる訳ではなく、仕方なくやってる訳ですから、こちらを責められても困ると感じているに違いありません。 私的には、こういう時勢に於いては、仮に正社員の給与を下げても、皆でワークシェアリングをし、助け合うべき時なんだろうと思います。組合も協力すべき課題と感じました。 その上で、サラリーの減額部分を補填する為に、社員による自主的なアルバイト(副業)は、期限付きで、原則、許可する方向が、今は正しいように思われます。。(v_v)
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dankkochiku at 2009-02-08 20:30
早々にお越し頂きありがとうございます。 当地から川越は決して遠いところでなく、この日の午後、所沢へ行く用事があったので、ついでにその前に足を延ばしただけで、家から1時間足らずで着きました。 そうそう、紫色の芋ソフトクリームもありました。 それに、段ボール箱入りサツマ芋の宅配もやっていました。
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marquetry at 2009-02-09 13:48
ずっと、読ませていただいてましたが、なかなか、コメント書けず、ご無沙汰してしまいました...。私の小さい頃もまだ、おやつは粉ふきいもが多かったなぁ〜...小さい頃食べ飽きる程食べたおかげで、今はお芋さんが苦手です(汗)..。土蔵作りは、なんと言っても、瓦屋根が迫力ですね...北海道に住んでいると、瓦屋根はなかなか見る事が出来ないので、ずらり並んだ姿は、写真でも迫力を感じます...。
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tarou_kouno at 2009-02-09 14:37
最近のこのシリーズ好きです!
古くて味のある建物が良いですねぃ~
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dankkochiku at 2009-02-09 20:39
marquetry さん 私も戦時中、戦後に代用食としてさつま芋を一生分を食べた芋アレルギーに戦後長らく悩まされましたが、近年、少し解消されました。 道産子は、サツマイモでなく、ジャガイモなんでしたね。
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dankkochiku at 2009-02-09 20:51
tarou-kouno さん 東京生まれの、東京育ちでのくせに、まだ行ったことのない所が多く、例えば、外国人観光客に人気の築地魚河岸、証券取引所、歌舞伎座などの中に入ったことがありません。
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yamanteg at 2009-02-10 10:13
川越+芋=野暮ったい、という固定観念を長年抱いておりましたが、10数年前(現役のころ)出張で行ったついでに街中を散策、レトロな町並みに郷愁を覚えました。
おいしい日本酒も買って帰りました。 どの地域でも独自の歴史・文化があるのであって、知らないことが多いと実感した次第です。
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dankkochiku at 2009-02-10 21:29
川越は、長らく東京への農産物供給地としてしか取り柄のないような農村地帯でしたが、戦後の食糧難時代に食糧買い出し人が殺到し、東京の入口の板橋辺りでヤミ物資取締りの警察に摘発され、米麦は、食糧管理法違反で取り上げられましたが、イモはパスしたお陰で飢えをしのげました。 ただ、当時は、「沖縄100号」という芋焼酎造り専用の、ただ大きく不格好で美味いと言える代物でなく、それが、サツマイモのイメージを害しました。 いもねえ(芋姉)、いもにい(芋兄)という言葉もそこから出たのでしょう。
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