カテゴリ
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
画像一覧
|
天明の飢饉(1782~1787年)は、全国で30万人とも50万人ともいわれる死者をだした日本近世史上最大規模の大災害だ。 異常気象による干ばつ、冷害、洪水、大噴火の降灰の被害に各地の農民は田畑を捨て、都市へ流入したものの、幕府の対応の遅れから、多くは定職に就けず、宿無、乞食、悪事を働く者が徘徊し、暴徒による打ち壊しなど治安悪化が常態化した。
時の10代将軍、徳川家治の老中、松平定信の最初の大事業は無宿者対策だった。 帰る先のある無宿者は郷里に送り返し、帰り先のない者、軽罪で刑を終えた後も立ち直れない者は、佐渡や伊豆七島へ人足として送り、老人、病人は江戸の無宿養育所に収容した。 しかし、無宿者の数のあまりの多さの前には、焼け石に水だった。 そこで、定信は、当時、南町奉行の火付盗賊改め(放火犯、盗賊の取締役人の長)の長谷川平蔵の提案を容れ、寛政2年(1790年)、隅田川河口の中州、石川島と佃島の間の1万6千坪あまりの土地を借り受け、犯罪を起こすおそれのある無宿者の収容所を作った。 これが石川島・人足寄場であり、その功労者、長谷川平蔵は、池波正太郎の小説、「鬼平犯科帳」 で有名な 「鬼平」 その人である。 石川島・人足寄場には、人足たちの更生を目的とした当時としては画期的な処遇制度が見られ、明治以後も受刑者処遇の基本として受け継がれたものが多い。 まず、ここに送られてきた者には、そこでの生活の仕方を文書にした 「寄場人足共へ申渡書」 を読み聞かせ、人足寄場が罪人を収容する牢屋ではないことを強調する一方で、守るべきことの条目を告知した(新入者教育、遵守事項告知)。 そこの人足たちは、罪人には許されない髷(まげ)を切る必要のないこと、亭主持ちの女はお歯黒をつけることが許された。 人足たちには柿色の地に水玉模様の着物を着せたが、1年を過ぎるごとに水玉の数を減らし、釈放前には柿色無地の衣服を着せ、施設の外での仕事、町への買い物を許した(累進処遇、釈放前教育)。 また、そこでの生活は、男女を別にし、それぞれ雑居部屋生活とし、手職のある者にはその職に就かせ、技能を持たない者には出所後の更生に役立つ仕事を学ばせた(作業と職業訓練)。 作業に対しては、収益の一部を施設の運営費に充て(自給自足主義)、一部を賃金として寄場人足に支払い(作業報奨金)、一部を出所後の生活の元手として預かり、一部は、日常生活に使うことを許した(自弁品購入)。 病人は医師に診せ、病棟も備えていた。 道徳を教える心学や習字、読み方を学ぶことも奨励した(教誨、教育)。 収容期間は、一応、3年間としたが、行状よく、自立できる見込みのある者には、それ以前に釈放を許した一方で、改善せず、再犯の恐れある者はそれ以上の期間収容した(不定期刑、保安処分)。 作業を怠ける者には50、100敲き(たたき)の制裁があり(懲罰の告知)、逃亡者には死罪が科せられる(逃走罪)と告げられた。 また、釈放時には、自立のための手当金のほか、寄場が保証人となって店舗または農地を借り与えた。 これほどの釈放者への手厚い保護は、現在の刑務所でも行われていない。 寄場人足たちの更生を目的とした長谷川平蔵の仁愛溢れる扱いは、人足たちの心に響き、数々の美談を残した。 法制史学者の瀧川政次郎教授によると、安政3年8月に江戸を襲った大津波で、人足寄場も被害を受け、人足に解放命令が出たにも関わらず、70人余りは残って防災に努め、他は全員、後日、戻ってきたとある。 この話は、松本清張の小説 「海嘯」 にも取り上げられている。 また、人足寄場の記録には、そこの役人が人足たちによって殺傷されたという記述はない。 さらに、松平定信の時代には、釈放後、改心し正業に就いた者が、毎年、200人あったとする記録もあり、これらは、罪人を収容する牢屋とは違った扱い方をした画期的処遇が効果をおさめた例である。 無宿者や前科者の強制収容施設として80年余り続いた石川島人足寄場は、その役割を明治新政府以後、東京・警視庁管下、石川島徒刑場、懲役場となり、その幕を閉じた。 明治以後、隅田川河口埋立地の拡張工事によって、石川島、佃島は、月島の中に取り込まれ、今では中央区月島町、佃町と地名が変わっている。 月島は、太平洋戦争の戦禍を免れ、昔の町並みをとどめ、人足寄場当時からの住吉神社があるほか、名物の 「もんじゃ焼き屋」 と老舗の 「佃煮店」 がある。 他方、佃2丁目一帯は、昭和56年まであった石川島造船所(現・石川島播磨重工業)の跡地に、8棟の超高層マンションが林立し、隅田川沿いの公園は、パリのセーヌ川河岸を思わせる風光明媚な都内一等地。 現在、人足寄場の面影は全くない。 慶応2年(1866年)、時の人足寄場奉行、清水純崎が隅田川河口を往来する船のために作業の収益金を使い、寄場人足たちが築いた石川島灯台のモニュメントが佃公園の一角に残っているだけだが、その基礎部分が、なんと公衆トイレというのは、いささか興ざめだ。 なお、寄場人足たちの生活を描いたものには、前にあげた松本清張の 「海嘯」 のほか、山本周五郎の 「さぶ」 がある。 いずれも史実考証に基づいたものであり、小説とはいえ、人足寄場の文化を知る必読の書である。
by dankkochiku
| 2008-11-20 13:10
| ぶらり、まち歩き
|
Comments(13)
Commented
by
tomahawk_attack
at 2008-11-21 22:22
x
ここ月島は、つい最近まで、NHKの朝の連続ドラマの舞台にもなりまして、その名を全国に知られるようになりました。
特に名物の「もんじゃ」は夙に有名で、月島の名を知らずとも?「もんじゃ」だけは知っているという人は多く見かけます。 今年の春だったか、我が家で東京の桜見物に出かけた折り、あちらこちらと花見三昧の後、家族の中に、どうしても月島で「もんじゃ」を食べたいと言い出す者がいまして、急遽、それを食べに行くことにしました。 以前は、私も公私共に良く来たエリアだったんですが、ここ5~6年は、すっかりご無沙汰でして、久しぶりに訪れた月島は、その変わりように、すっかり驚かされました。 ここ数年、この界隈は、都心のウォーターフロントとして脚光を浴び、すっかり景観が変わってしまいました。辺りを威圧する見上げるようなタワーマンションに、私は恥ずかしながら気後れを感じてしまいました。昔から浅草などと並び下町色の強いエリアだったんですがねぇ。 ここにもまた江戸の情緒や面影が少しずつ失われようとしています。残念でもあり、それだけにまた?この町には、躍動感というか?ダイナミズムが、みなぎっていました。。(*’へ’*)
0
Commented
by
dankkochiku at 2008-11-22 09:50
この超高層マンション群には、圧倒されました。高さ180メートル、54階建てもあるそうです。 でも、大型地震の時はどうなるのでしょう。 倒壊しないまでも、共振で部屋の中はパニック状態にならないのだろうか。 コンピューター設計建築では、予想外の災害が心配。
Commented
by
yamanteg at 2008-11-22 20:44
Commented
by
dankkochiku at 2008-11-23 20:24
yamanteg さん 頂いたコメントにヒントを得て、お答えに替えて、本文に追記させて頂きました。 有難うございました。
Ciao dankkochikuさん
学生の時の歴史の先生が、dankkochikuさんみたいな人だったら、よかったのに、と思いながら読ませてもらいました。 それにしても、どんな人も偏見なく心を持って処する。 懐の深い人でないと考えつきもしないだろう、良策ですね。 心に答える心、そういうのが存在したということが、大変な時代であったであろうにもかかわらず何かうらやましく感じました。
Commented
by
marquetry at 2008-11-25 17:08
当時も財政難だったと記憶しますが、粋な計らいですね...。
勉強になります。
Commented
by
dankkochiku at 2008-11-25 20:25
Ciao Junko さん 長谷川平蔵が寄場奉行として成功したのは、彼が代々、将軍の側近という名門の家に生まれ厳しく育てられた一方で、生粋の江戸っ子で町人ら庶民の気質、人情をよく知っていたことが、無宿人たちの心情をうまく捕える勘を身につけていたからでしょう。
Commented
by
dankkochiku at 2008-11-25 20:32
marquetry さん 無宿人が増えるに従い、最終的には寄場の面積も、最初の2倍ほど拡張していますが、その予算は幕府から得ています。それというのも、それまでの寄場人足への処遇実績が物をいったからでしょう。
何不自由のないお金持ちの家に生まれ、お金に困ったこともなく、困ってる人のことを考えたこともなく、今頃ただ選挙の票を得るためだけに、あわてて庶民派のふりをして恥をかいてる、どっかの誰かとは大違いだね。
Commented
by
dankkochiku at 2008-11-26 23:43
いつの時代にも、名声、権力、利権をあさる輩もいれば、自分に恥じることなく誠実に生きようとする人士がいるものです。 しかし、昨今は、前者の人間が多すぎますね。
Commented
by
すばらしい。
at 2016-07-20 08:24
x
いま、更生保護制度の勉強をしているものです。
教科書に出てきた石川島人足寄場とは、どんなところなのか検索していたらここのページにだどりつきました。とても参考になりました。鬼平犯科帳や、松本清張の本も読んでみたいと思います。人の心を動かせるブログに感謝いたします。
Commented
by
dankkochiku at 2016-07-20 17:10
すばらしい さん 犯罪者には刑罰を、という発想は、今も昔も一般的ですが、犯罪者を社会的な不適応者と見て、教育し、社会復帰をはかろうとする考えは、理想的とはいえ、なかなか実行困難なことです。
Commented
by
owariya
at 2020-11-06 10:45
x
|
ファン申請 |
||