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無差別殺人事件が今年はいつになく多い。 しかし、それよりも気になるのは、犯人たちが口にする犯行の動機だ。 これまで殺人の動機というと、恨み、カットなり、喧嘩口論の末、暴力を受け、痴情関係のもつれ、保険金目的、犯行隠蔽、無理心中などと、大体の相場が決まっていた。 昭和30年代までの殺人事件をまとめた 「殺人の研究」(岡崎文規著 昭和38年)には、「普通人の場合、無動機の行動というものはありえないだろう。 殺人にしても無動機の殺人というものはほとんど全くないといってよい」 と断定している。 ところが、近年、「動機なき殺人」 という言葉をよく耳にする。 精神錯乱状態や幻覚・妄想に支配された犯行のことではない。 殺意が特定の相手へ向うのではなく、「誰でよかった」 「生きていても仕方ない」 「死刑になるため」 と、見知らぬ人を殺傷する、これまでの常識では推し量れない動機不明の事件が相次いでいる。 動機不明な事件と言っても、精神病か性格異常かが最後まで争われた得体のしれない宮崎勉事件とは違い、最近の無差別殺人犯が口にする動機は、なんとも一人前の大人が言うにしては幼稚過ぎて、動機といえるものかどうか、警察は判断しかね、精神鑑定に持ち込むようなケースだ。 7月22日夜、東京・京王八王子駅ビル内の書店でアルバイトの女性店員と女性客の二人を包丁で刺した無差別殺傷事件の33歳の男は、「仕事がうまくいかず、両親に相談したがのってくれなかった」 と供述。 7月15日夜、青梅市のスーパーの食品売り場で買い物中の見知らぬ女性をバタフライナイフで刺した22歳の男は 「仕事のことで社長に文句を言われ、恥をかかせてやろうと思った。 誰でもいいから人を殺そうと思った」。 6月8日、白昼、秋葉原通りの歩行者天国で車を暴走させ、通行人をはね、手当たり次第にナイフで17人を殺傷した25歳の派遣社員の動機は、「親とはうまくいっていない」 「世の中が嫌になった。 殺す相手は誰でもよかった」。 4月19日には、茨城県で通りがかりに面識のない72歳の男性を刺し殺し、その4日後、JR荒川沖駅周辺で無差別に8人を殺傷した24歳の無職男の犯行動機は、「人を殺してみたかった。 誰でもよかった」。 いずれも、前科はなく、普段の犯人を知る身近の人からは異常人物視されていなかった。 それなのに、逮捕直後のかなり要約した警察発表だとしても、20代、30代の人間が口にする犯行動機としては、どう見ても親離れのできていない未成年者の言い訳を聞いている印象を受ける。 自分の思い通りにならないことを、親や勤め先に責任転嫁し、相手の顔に泥を塗って仕返しができるつもりの幼児的な八つ当たり犯行で、その結果、無関係な市民が被る甚大な苦痛と悲しみなど毛頭も眼中にない。 この犯人たちは、自分中心的、依存的で思い通りにならないとすぐにキレ、誰かれ構わず、怒りの矛先を向けて、うっぷん晴らしをしている。 そうすれば、気が晴れて、その後は状況が好転すると夢想していたのだろうか。 中には、犯行後、すぐ捕まるように歩き回り、捕まらないと 「捕まえてごらん」 と、鬼ごっこ気分のように、警察を挑発したのもいた。 どうして自分の行動の結果が見通せなかったのかと、その行動の愚かさに憐れささえも感じる。 この種の犯人は、どんな環境にいても反社会的行動を現わす精神病質者(サイコパス)とは違う。 周囲が手とり足とりして面倒を見、気に入るように大目に見てやっている限りは、あまり問題は起こさない。 しかし、こんな親にべったりの 「いい子」 でも、いつまでも、一向に自立する気配を見せず、寄りかかれ放しでは、親も次第にお荷物になる。 小中学生に渡す程度の小遣い銭で足りなくなると、家から現金を持ち出し、親の通帳から勝手に預金を引き下ろし、遊んで過ごす。 家にいても家業や家事を手伝うわけでなく、昼夜逆転の生活で、部屋にこもり、ゲームに夢中になってゴロゴロし、扶養されている。 こんな生活をしてきたから、親もとを離れ、就職しても、いろいろと不満が出てきて、長続きできない。 こんな子供の姿を見れば、いくら甘い親でも、少しは突き放すのも必要かと考え始める。 しかし、子供の方は、成人になっても、そんな親の態度を薄情だと思い、親に嫌われ、諦められたかと不安をつのらせる。 親への甘えが被害者意識に変わる。 親から小遣いをせびれないならば、友人、知人、消費者金融から借金をしては親に尻拭いをさせるのが当然と思っている。 中には、親依存の方向を、アルコール、麻薬、覚せい剤など薬物依存に変えるものもいる。 何か問題でも起これば、親は困って、自分に手を貸すだろうと高をくくっている。 こんな虫のいい夢想が現実になるはずがない。 八王子事件の男は、いつも母親とコンビニに買い物にきていたので、店員から 「大人の男が母親と毎日来るのは珍しく、目立っていた」 ほどの 「仲良し親子」 と見られていた。 本人の携帯電話は、父親が与え、料金も払っていた。 それなのに、事件後、「2~3週間前に仕事の相談をしたが親に聞いてもらえなかった。 事件を起こして困らせてやろうと思った」 と供述。 それを聞いた父親は、「相談されたことはなかった。 妻は一時ショックで寝込んだ。 息子の供述には戸惑っている」 という。 親に責任を負わせ、事件の弁解に終始する息子に、父親は二の句が継げない様子だった。 近年、殺人事件に限らず、大人になりきれない大人たちが起こす事件があちこちで聞かれる。 その原因を平成不況による就職氷河期の影響による人生の挫折感や閉塞感とする意見もあるが、それだけではないだろう。 それ以前から、就職してもすぐに離職する若者、フリーター志向、ニート、パラサイトシングル、オタク族の増殖を容認してきた社会、そこには生活のバックボーンとなる確固とした道徳規準もなく、他人志向型の人間が充満。 すでに精神科医の土居健郎氏は、その著 「甘えの構造」 の中で、昭和40年代の日本を奇妙に甘えの充満している時代ととらえ、皆子供っぽくなっており、いつまでも大人になれない、人類的な退行現象を憂いた。 間もなく、終戦後63年目の日がやってくる。 戦災の廃墟から、立ち上がり、経済大国を築き上げ、繁栄飽食社会を実現させた日本人の心を何かが蝕んでいるようだ。
by dankkochiku
| 2008-08-06 22:40
| 非行・犯罪
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Comments(21)
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tomahawk_attack
at 2008-08-07 09:43
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dankkochiku さんのいう「親離れのできていない未成年者の言い訳を聞いている印象を受ける」・・・それは私も同感だ。今の時代、いかに「とっちゃん坊や」らが増えてしまったか。。
大学の入学式に親が同伴してみたり、休講連絡を子供に代わって親がしてみたりと?・・・親にも原因の一端はある。。 アキバで、高額なフィギュアを買いあさっては、ほくそえむ男達。。 「いらっしゃいませ。ご主人様!」といわれて、違和感なく嬉しがる男達。。 ネット社会の闇なのだろうか?・・本当の恋愛の素晴らしさを知ることもなく、ひたすら?バーチャル恋愛に嵌っているように見える。。 何かで見たのだが、最近は「童貞」も高齢化しているという。品のない話になるが、昔は女とやることで、大人になった気になったもんである。。 実物の柔肌を知ることもなく、ぬくもりの感じられない「フィギュア」などで満足しているようじゃ?・・大人になり損ねるのも無理はない。。 親離れも出来ず、結婚できない。したくない。・・・こうしたパラサイト世代が、今日の社会を歪めているように思う。「どげんかせんといかん!」。。。
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こういう見方もあるみたいです。興味深いので読んでみて下さい。
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dankkochiku at 2008-08-07 22:10
tomahawk さん 個人の人格と自由を尊重する個人主義は尊重すべきだが、価値観の多様化を進め、中には自分勝手な行動をする者が必ず現れ、現在のようなアノミー状態を招いています。 この状況を憂い、変えようとして出てくるのが、これま何度も出てきた道徳教育必要論。 では、どんな道徳が必要なのかで、議論百出し、決められないの繰り返し。
今月4日、民間の有識者会議 「道徳教育をすすめる有識者の会」(代表世話人・渡部昇一上智大名誉教授)が発足し、中学生向けの教科書を平成22年までに作成しようというのだが、どうなることだろうか。
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dankkochiku at 2008-08-07 22:19
うきょう さん。 心理カウンセラーさんのブログ読みました。 犯罪者や非行少年とのカウンセリング経験のある方なのでしょうか?
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marquetry at 2008-08-07 23:25
対象が、すり替わるのは、やはり、対象(例えば親や会社)に対し自分が無力で、自分一人ではどうにもならないとか、嫌われたくないとか、何か思う所が有って、対象へぶつける事が出来ないのではないか?と事件を見る度考えます。
カラスが、仕返しするときに対象物範囲がどんどん広範囲になっていく事に似た、対象のすり替わりや対象の枠を超えた所に、広がる....それは、解らない事への恐怖や誰に対しても攻撃される前に攻撃するような防御にも感じる。無知は凶器に変わる....といってもいいのかもしれません。解らない事も解らずとにかく腹が立つ....。自分で考える事や感じる事を失ってしまったからだろうか?親の言う事、学校の言う事を聞いて、コナセバいい子でいられた時間はあっという間に終わり、いきなり社会に放り出されるからか?親のありがたみも、食材も、あって当たり前、だと思っているから腹が立つ...でも、あるってことは、かなり稀で、普通に暮らす事は本来、とても大変な事なのだと、私は思う。 今の子達には、理解できないかもしれないけれど...。
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dankkochiku at 2008-08-08 09:52
marquetryさん いつも的確なご意見、有難うございます。 人も動物も、八方塞がりに追い込められると、その現状突破を試みたくなります。その場合、先の見通しなく滅法に試行錯誤を繰り返すか、適切に状況を洞察して行動できるかは、その状況の切迫度、その個人の能力、体力、性向、過去の経験などに左右されますから、なかなか一人での解決は難しいです。 そのとき頼りになるのが、家族、友人、知人・隣人、同僚たちの助言でしょうが、特に都会では、その関係がひどく狭くなっているのが問題です。 コミュニティ作りから始めるのが一番かと思いますが‥。
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yamanteg at 2008-08-08 17:18
都会に人が集中し、匿名社会で自由と権利のみ?教えられ義務と責任なぞ知らない、規範とすべき大人がいない・・・・・日教組が悪いと言った総理大臣もいたけど、それだけでは説明つかない問題ですね。
大人が甘えさせる風潮が悪いのかなあ?
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dankkochiku at 2008-08-09 09:23
yamantegさん 都会でも、山の手、下町、郊外とそれぞれ人情の温度差を感じます。 私が一番暖かく感じるのは下町です。 開店前の多忙時に道を尋ねても、細かく教えてくれ、別れてもいつまでも見送ってくれ、間違った方向へ行くと遠くから手を振って教えてくれます。 時には、数十メートルも一緒に付いてきてくれ、その間、世間話もします。 とても親切に教えてくれたので、目的地に着けたた時、電話でその旨を伝えたこともありました。 こんな、有楽町、新宿、渋谷、池袋などにはない、社会が一番安心して暮らせそうだ。
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cocomerita at 2008-08-09 15:58
Ciao dankkochikuさん
結局、dankkochikuさんの言うとおり、乳離れの出来ていない、年ばかりくった煮ても焼いても食えない人種が増えてしまったのは事実。 こういう人々には、心理鑑定なんてする必要も無いと思うのです。 鑑定する心理なんて無いんだから、 ただの時間とお金の無駄 そうやって、みんなが分かってあげようと親切な努力をするから、 分かってもらいたい第二、第三の秋葉原事件の犯人が 出てくるのではないかと思うのです。けど、、
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marquetry at 2008-08-09 18:38
人との関わりが困難なのは、大人になっても同じですよね...
人との関わりで、ちょっとやそっとで挫かれても、困りますよね...この稚拙さは、成長とともに無くなるもののように感じますが、この人達は、心の成長を失ってしまったのだろうか? 心の成長は、計りきれませんよね...。ん〜大人であっても、程よい距離感で、人と関わっていく事は難しいですしね...それが出来る素敵な大人が多いのが、下町ってことかしら? そんな下町は、住んでいる人の心地よさが、そのまま町の懐の大きさにつながっているように感じますが...いいですねそんな町。 ...そう考えると、犯罪になる前に気がついてあげられればいいのに...と思ってしまうほど幼稚な発動犯罪ですよね...。
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dankkochiku at 2008-08-10 09:57
Ciao Cocomeritaさん D'accordo. 昔、犯罪者といえば、貧困から派生した問題を多く持った人が多かったのですが、現在では、物質的豊かさに毒され、努力せずに楽をすることを夢見て、他人と比較しては不満を持ち、そのイライラからストレス解消と称しての犯行が目立ちます。
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dankkochiku at 2008-08-10 10:11
marquetry さん 情報技術の急激な発達は、便利さを求めるあまり、生身の人間とのコミュニケーション不足、コミュニケーションをとることの難しさを招いているようです。
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marquetry at 2008-08-12 16:43
確かに、情報の処理が追いつかず、現実と交錯してしまう世界を、生み出す危険性はありますね...。
それでも、生身の人間との関わりが無ければ、何が現実で何が仮想かを区別することも、ままならないように思います。 思い通りにならないのが世の中の常である事を、受け止めるには、くじけた後に、良き理解者の存在が欠かせませんが、そういう存在が周りにいないのでしょうか...それともそれすらも、拒否してしまうのでしょうか? もしかしたら、大人の方が、腫れ物に触る様な状態で、顔色を伺ってしまっている...という状況から壁を作ってしまっているのでしょうか...難しいですね...。
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at 2014-03-10 18:24
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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dankkochiku at 2014-03-10 21:28
あ さんは、これらの人たちをどうお思いですか。 伺えればありがたいです。
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www
at 2014-09-24 18:11
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※蘭も主もまるっきり見当違いだ、そういう考え方自体が余計自分が理解されることはないという絶望感と疎外感を育てて、そういう犯罪起こすように追い詰めていった
現実と区別がつかないとか幼稚だとかじゃなくて、本当の理由は自分が一人きりで孤独で世界にはじかれてしまったかのように感じること なのに他の奴らは楽しそうに過ごしているということ 今も孤独にさいなまれている人間とかがいるとは思いもつかない人間が多いということ 絶望的で圧倒的な孤独感は人を変える そしてそういう孤独感をあおっていくのはお前みたいな自分の考えですべて推し量れるとか無意識に思っている人間 自分にあるモノは他人にもあるだろうと仮定してすべて自分を起点に話を進めていく人間 でも人を殺すことは悪いことだよ それだけは確かなこと
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mamekuwa
at 2017-03-12 12:15
的外れにも程があると思う。人生で快よりも不快が上回る時、人は自殺という解決を見出す。そしてそれは直接自らを傷つけるというのもあるが、間接に自らを傷つけるというのもある。それが無差別殺人だろう。その際に社会において快を得ている、うらやましく思う者を道連れにするのは自然だ。依存心なんて関係ないし、相手のことに気持ちが及ぶのは社会において快を得ている人間の価値観であって、社会に絶望している人間が他人を思うはずが無い。
秋葉原の事件の対象は社会全体だが、直接には秋葉原で目撃する友達同士で楽しくやってるヲタクだし、池田小学校の事件も対象は社会全体だが、直接には金がなく苦労して生きている金持ちの小学生を狙った。 結局貴方は「殺人はいけない」という紋切り型の市民社会の価値観を持ち込んで憤激し、適当にレッテルを貼ってカタルシスを得ているだけで、事件の解明には全く迫れていない。他のコメントも同じ。
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dankkochiku at 2017-03-22 22:32
mamekuwa さん コメント有難うございます。
「結局貴方は「殺人はいけない」という紋切り型の市民社会の価値観を持ち込んで憤激し…」紋切型の価値観かもしれませんが、殺人はいけないのは、いつ自分が殺害されるかもしれないという不安感の裏返しかもしれません。
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maimaiga
at 2017-04-01 14:05
通りすがりの私にご回答ありがとうございます。
殺人がいけないのは認めるとこちらがやられるという不安があるから、という相互性の原理に基づいているというのは分かります。それは共同体社会における同朋意識に基づいて醸成される価値観です。しかしそのことと無差別殺人が稚拙かどうかは関係がない。 秋葉原事件の加藤は「人は近づくと怨恨殺人を起こし、人は離れると無差別殺人を起こす」と喝破してます。少なくとも加藤は稚拙というよりも、貴方より無差別殺人について理解が深く、無差別殺人が共同体社会が衰退した現代における新しい犯罪であることを理解しています。 近代的な昭和の立場を崩さずに、古い立ち位置から稚拙というレッテルを貼って断じた所で、貴方の恐れる殺人への不安が解消されますか。稚拙ではなく新しい犯罪の社会的文脈があるということ、共同体のつながりが弱くなり同胞意識が薄らいで、道徳が衰退しているということ、隣人同士醤油を貸しあうところか挨拶すらせずに誰なのかもわからないようになりつつあるということ、現代社会の文脈を世も取らないと問題に正しく向き合えることは出来ないと思います。
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cocomerita at 2017-04-14 17:58
ciao dankkochikuさん
最近 更新がないので、どうしていらっしゃるかなあと今日も覗いてみたら 新しいコメントとdankkochikuさんのお返事発見 お元気そうで安心しました そしてmaimaigaさんのコメント、まさにおっしゃっている通りだなあと思いましたので コメント残すことにしました 私は下町で育ち、醤油の貸し借りなど日常茶飯事、隣の家に物干し沿いに遊びに行き、裏の家のお姉ちゃんに子守してもらって育ちました 私が 他人と家族の区別がないのは、確かにそうやって 12歳まで育ったからです。 隣のおばあちゃんも自分のおばあちゃんも同じに大事です。 そうすると嫌でも周りのことが気になります 電車の駅でも よたよた重たい荷物運んでいれば お手伝いは要らないかと声を掛けずにはいられません しかし東京でそれをやると逆に怯えさせることにもなり、苦笑 日本には 小さな幸せが充満してるなあと思ったことがあります 自分の家が幸せだったらそれでよく、それを必死で守る それが小さな泡が凝縮してるかのように見えました。 それ同士がパチンと弾けて、一つになって大きな幸せの泡にならないものかと考えました 自分と自分の家族の幸せ、確かにそれって基本かもしれないけれど、それしか興味がない。 それでは社会はますます閉鎖的になります 今の日本の社会の問題は 社会全体の無関心 その無関心ゆえに 取り残されていく、少なくともそう感じる そしてそれが残念ながら妬みに変わることもある。 私がどんなに不便でもローマなんかに住んでるのはそれゆえだと、 ここにはまだお節介な人々がたくさんいるからだと 改めてそう思いました
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dankkochiku at 2017-05-08 10:27
Ciao cocomerita さん お返事おくれ申し訳ありません。何しろ、このブログ、08年8月のもので、自分ながら戻って読むことがないもんで...。
ずっとご無沙汰していたのは、老老介護の疲れのためでしたが、やっと気分を取り返し、今日、再開しましたので、よろしく。
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