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「思い出したくも、考えたくもありません。 メチャクチャです。 とにかく、家の雰囲気だって思い出したくないほど、ひどいのであります。」 これは、万引き、ひったくり、置き引きをして捕まった15歳のH男の 「私の家族」 と題する作文の冒頭である。 非行が10歳以前にはっきり現れ、その後も止まない子供は、ひど過ぎる、としか言いようのない家庭の出がほとんどである。 H男の父は大酒飲みで、子供のしつけには関心がうすい。 仕事から帰り、ひと風呂浴びると、飲み始め、飲み終わると、さっさと寝込んでしまい、翌朝は早く仕事に行く毎日だった。 母は、H男の妹弟が生まれた後、その育児疲れからか、子供が気に入らないことすると、すぐ怒鳴り、殴った。 H男が食事抜きで、閉め出されて、夜になっても裸足で外をうろついていたのをアパートの大家が見つけ、家に連れ戻されたことがあったと言う。 「母さん、僕に八つ当たりして、イライラを解消しているようで、毎日毎日が地獄同様だった」 と書いてあった。 そんなわけで、体中に打ち身、きず痕、アザが消えず、「小学校の身体測定で先生からそのわけを聞かれると言うので、その日は学校へ行かせたくなかった」 と父親は当時を振り返って話した。 「母ちゃんは、やたら自分の気の向くままに不規則な生活をしていた」 とH男が言う母親は、小学3年の頃に男ができ、家を出て行った。 母さんがいなくなってどう思った? との問いに、「いなくなってホッとしたくらいで、ババア(母)につねられたり、殴られたり、ひっぱたかれたりした思い出しかない。 今でも体に傷あと、やけどのあとが多い。」 と、母への恨みが書き連ねられていた。 子供4人を置いて母親に出て行かれ、困ったのは父親で、H男より4歳年上の異父の姉だけを家に置き、残り3人を別々に保育所、児童養護施設に預けたが、やがてその姉にも父の子が産まれ、その子もまた乳児院に預けていた。 未完成の言葉の後に続け、自由に文章を書き加えさせる文章完成テストには、「(私の両親は)信用できない人、気の合わない人」 と、不信と怒りをあらわにした。 「(家の人は私を)たぶん自分を生まなければよかったと思っているだろうなぁ」 「(人は私を)注意されても聞かない、手のつけようのない悪ガキと呼んでいた」 「(私のとくいなこと)得意なことはありません。不得意ならたくさんあるけど」 「(もし私が)死んでも、だれもかなしまないだろう」 など、暗い家庭生活の様子と、ひどく悪い自己イメージが描かれていた。 H男は、「親から見放されて施設に入れられた」 と言うが、乱れた家庭から、施設に保護されたきょうだい3人は、そこで始めて基本的な生活習慣を教えられ、ほかの子供たちと一緒に通学した。 H男は施設で学んだお陰か、鑑別所にいる子たちが書けないような文字も正しく書けた。 しかし、幼いころ両親から受けた心の傷が癒えず、施設でも学校でも、なかなか心を開こうとせず、あまり話さない控え目な孤独な子であり、それでいて少しでも非難されると、皆が自分を避けているように思えて、登校を拒否し、無断外泊(逃走)をしては、その間、店の商品を盗み食いして、空腹をしのいでいた。 こうした施設での不適応な行動から、対人関係を変えるために5年ほどの間に数か所の養護施設と教護院(現在の児童自立支援施設)を転々と移動させられた。 「そのたびに親不孝、不真面目、ワル、困り者などと職員からいわれた」 「おとなは、権力ばかりふるって事を運ぼうとする! やだと思う」 と書いていたが、それは職員たちの態度が両親を思い出させ、そのイメージと重なり、大人全体への不信感、敵意が心に染みつき、なかなか離れられなかったからであろう。 今回の事件も、仲間とのちょっとした言い争いがきっかけで行先の当てもなく教護院を飛び出し、浮浪中に食べ物に困り、起こしたものだったが、その間も不良仲間との接触はなかった。 それほど人間不信に落ち入っていた。 では、養護施設や教護院では、何も良いと思ったことはなかったのか、と尋ねたところ、寮舎で一緒に生活していた職員の夫婦と子供の生活を見て、「親が子供の宿題を教えているのを初めて見た。 これが普通なのかと、うらやましく思った。 こんな家の子に生まれたかった」 と答えた。 児童自立支援施設に措置されて入所する児童は、ほとんどの場合、入所以前には、まともな生活をしていないので、施設での 「普通の生活」 が彼らにとって治療教育上の意味が非常に大きい。 それでも、平成11,12年度に全国の児童自立支援施設を退所した児童1158人のうち、25%退所後、家裁に通告・送致されていたとの国立武蔵野学院の調査報告があり、処遇の難しさを感じさせる。 (平成17年7月17日 毎日新聞) H男の場合も、非行が早期に始まり、その件数も多く、罪の意識が乏しいなどから矯正教育を受けるため少年院送致は止むを得ないが、出院後、家庭に保護能力がなく、自立して生活していかなければならない状況から、審判の結果は、職業訓練を中心とした中等少年院送致に決まった。 しかし、そこでどれだけ心のケアーが受けられるかについては、一抹の不安が残った。
by dankkochiku
| 2008-02-12 17:10
| 少年鑑別所の子供たち
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Comments(8)
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桜花
at 2008-02-12 22:36
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「親の愛」を受けずに育った非行少年で同時に不幸少年と思います、自分の都合や立場を優先する大人を見て育ち、極度の人間不審に陥ってしまったこと、出院後の自立して生活しなければならない状況からの中等少年院への送致、出院後のケア・・・成人矯正並みの施設整備が必要と思います。
親の愛を受けたかった年頃に虐待され、その親や接した大人たちへの不信感、そう簡単に拭えるものではないです。 とある少年院の単独室で書き綴られた言葉に「お前なんか、生まなきゃ良かったよ!」という母親の冷たい言葉・・・、その言葉を浴びせられた少年たちの心境、自暴自棄となって辿り着いた鑑別所・・・「練鑑ブルース」や「少年院数え歌」の世界ですね。
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satomifaso
at 2008-02-13 09:34
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こんにちは・・・先日はコメントありがとうございました。また、こちらからのコメントが遅くなり申し訳ございません。
大変難しい問題で、私自身も自分の過去が走馬灯のように甦ってきます。私は父を小三で亡くし母子家庭で育ちました。他人はどう見ていたか分かりませんが、食うに困るほどの貧乏ではなかったのですが、一人での食事が圧倒的に多く、確かに寂しい生活でした。 私には年の離れた兄がおりますが、父が亡くなる頃には家から出ておりまして、後に警察官になるのですが、私が高校時代その兄が、あいつがグレずに成長したのが信じられない、と言った事がありました。勿論、私もただ素直に育つはずもなく、母との確執はかなりあり、中学の後半から近所に部屋を借りて住んだりもしました。私のそんな環境が、後に心理学や文学、哲学などに興味を走らせたのは間違いないとおもっております。私と少年たちとの違いはなんだったのか?それを考えると、本当に何かボタンの掛け違いとしか言いようのない、本当に些細なことだったのではないだろうかと思うしかできないのです。ただ、私の性格の一部などは、確かに愛情の欠如からかな、と思う節もあります。あ、字数が多いようです・・・・・
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dankkochiku at 2008-02-13 11:10
桜花さん 喜怒哀楽一杯の刑務所社会から一変したこの世界は、なんとも暗い話ばかりで、ウツになりませんか。 でもこの現実に鑑別所職員は毎日直面しています。
♪ 運がいいとか、悪いとか 人は時々 口にするけど、そういうことって確かにあると あなたをみててそう思う ♪ さだまさしの無縁坂思い出しますね。
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dankkochiku at 2008-02-13 16:41
ēlan vital さん たびたびご覧に来て頂きありがとうございます。 生命の跳躍力を信じ、それを足掛かりに、泥沼から飛び上がった、みにくいアヒルの子は、実は白鳥だった! そして 「ぼくが、みにくいアヒルの子だった時には、こんなに幸福になれるとは、夢にも思わなかった!」 と心から喜べる日がくるといいねと、鑑別所の子どもたちを見ながらいつもそう囁いていました。
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は~とnoエース
at 2008-02-14 09:53
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どうして?こんな不幸な星に生まれてしまったのか?親の愛を何一つ知らずに育った子供たち。。dankkochiku さんのブログを見ていると、確かに言葉に詰まる過去を背負った様子が感じられます。ただ、どんな境遇にあったとしても?血に基づく親子の情愛は否定しようがないように思います。そんな時に思い起こされるのが、講談「瞼の母」に登場する「番場の忠太郎」・・。幼き頃に、不遇にも親と行き別かれし、その後、生きる為にグレてしまうのだが、親への思慕を断ち難く、一身に「銭っこ」を貯めて、親を探し回る日々。やっと見つけた親にも冷たく足なわれ、失意のなかで、新たに生きる覚悟を決めるという話である。まっ。これは、お話の世界ではあるが、現実に置き換えても、なんとなく分かる話ではある。dankkochikuさんの、先のブログに登場するG子さんの例を紐解くまでもなく、何かを切欠に、親子の和解が進めば?そこからまた新たな人生につなげる事が出来るような気が致します。施設も、そうした事への「手助け」が、間接的にも出来るような環境であれば?なお良いように感じました。(゚.゚)ノ
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dankkochiku at 2008-02-14 22:43
お久しぶりです。 いつもお読み頂き有難うございます。
どんな逆境に育っても、将来、人格面でも社会面でも立派な成人に育つ人も少なくありません。 しかし、そのような人は、普通の環境で育った人よりも、何倍もの苦労を耐え、それに打ち克てる素質をもった数少ない素晴らしい勝利者でしよう。 特に、幼児期に虐待を受けた子は、その心の傷が、心理的影響を及ぼすだけでなく、将来にわたって脳に損傷を与え、その後遺症として、犯罪行為を含め異常な行動を引き起こす危険性のあることが、CTやMRIの発達に伴って次第に分かってきました。 また、G子のケースでは、母子関係に葛藤はありましたが、互いに引き寄せ合う絆が絶たれていなかったことが救いになったと思います。
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at 2008-02-25 01:21
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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dankkochiku at 2008-02-26 09:35
そう、矯正の現場は、危険な心の持ち主を更生させるための戦争です。 改善し社会復帰させる働きかけの効果が現れず、隔離するだけでは、矯正は治安最後の砦とは言えません。
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