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鑑別所に来る子供の7割ほどは初めての入所者である。 非行歴が短く、改善の見込みのある子が多いが、中には、非行がかなり進んでいて、このままでは生涯、犯罪者の道を歩むのではないかと危ぶまれる子もいる。 非行が進んでいるかどうかの判断は、事件の重大さよりも、むしろ非行期間の長さ、事件の多さ、非行を助長する環境か、少年を保護できる環境か、本人に逆境に対抗する気持ちと力があるかが決め手になる。 成人の犯罪では、事件に応じて責任の重さを量り、それ相当の刑罰を贖えば刑事上の問題は終るが、少年非行の場合は、事件の軽重よりも将来、健全な生活ができるように育つかどうかの可能性に関心が向けられる。 鑑別所に兄弟が一緒に入所してきた。 一男は17歳、次男は15歳。 一男は、1年ほど前に仲間8人とバイク3台、自転車10台を盗んで短期中等少年院に送られたが、そのときも鑑別所に来たことがある。 少年院に5か月ほどいて仮退院になったが、ひと月もしないうちに、今度は、仲間9人と組んで盗んだバイクを乗り回し、盗まれたバイクを見つけて取り戻そうとした被害者に暴行を加えて重傷を負わせた窃盗と傷害事件だった。 弟の次男は、鑑別所に来たのは初めてだが、小学生のころから家出の繰り返しが中学生になっても一向に治まらず、今回の事件は、家出していた1ヶ月半ほどの間に遊び仲間数人と空き巣ねらいを40件あまりと運転目的で自動車とバイクの窃盗2件で入所してきた。 事件は兄弟別々で共犯関係はなかった。 同じ家庭から兄弟が同時に入所するのは、あまり例のないことだが、その非行には、共通の原因があった。 まず、二人とも軽度の知的障害があり、基礎教科学力検査の得点は低かった。 物の見方、考え方が幼児的で落着きなく、周りの雰囲気に行動が左右されやすいのも似ていた。 中学校から返送されてきた学校照会書には、一男は注意散漫で落着きがない、自信がなく、さびしがり屋でいつも誰かと一緒でないと安心できない、とあり、次男の方は、明るい性格だが、気に入らないことがあるとすぐ向きになる、困るとその場しのぎの嘘をつくとことがあると書かれていた。 父親が電器部品製造工場の経営者だった当時、女性従業員と関係ができ、兄の一男が3歳の頃、次男が1歳を過ぎた頃、母は二人をおいて家出し、離婚。 父と関係のあった女性が入籍し、間もなく娘が生まれた。 一男も次男もまだ、母の世話を受け、甘えたい年頃だったのに、新しくきた母親は 「自分の娘の方ばかり面倒を見て、僕たちの方はかまってくれなかった。 いまでも冷たい母だ。」 と一男は言う。 一方、継母は、「前の母親の二人の子は、学校に入っても私になじまず、娘をいじめるので、私には手に負えなくなって、息子二人のしつけはお父さんに頼んだ」 と言った。 二人の息子と継母とがしっくりいかなかったのは、知的障害による発達の遅れや継母と実母との育て方の違いに、母子ともとまどったためだろうが、親子関係を一層悪くしたのは、仕事に追われていた頑固で短気な父親が早く決着をつけようと、ただ体罰に訴えたために、今度は父親の態度に脅え、親子間の不和をさらに増したことだった。 しかも、次男は小学1年のころ小児ぜんそくを発病し、一層手がかかるようになり、当時、小学3年生だった一男も一緒に父方の祖母と伯母が一緒に住んでいる家に世話を頼み、ひとまずこれで親子間の不和は解消したかに見えた。 しかし、その後、5,6年して父親の会社は不況に見舞われ倒産した。 父親は、いまさら社長の地位から一介のサラリーマンになることを潔しとせず、部屋の一室を電器部品組み立て作業場にし、二人の息子にも仕事を手伝わせるために祖母のもとから呼び寄せた。 当時、一男は中学2年生、次男は小学6年生だった。 2人は、下校後、継母もいれて4人で働くことになったが、にわか職工の内職同様の仕事で、能率は悪く、不良製品も多く出す始末で、以前のような安定した収入は得られなかった。 父母のもとへ連れ戻された兄の一男の不満は、中学のサッカー部を退部し、仲の良かった友達と別れることになったことで、その寂しさから、皆が寝静まるのを待って、夜中に家を抜け出し、今回共犯の少年たちと遊ぶようになり、弟の次男もそれについて行った。 二人が深夜、家からひそかに出ていくのを異母妹から知らされた父親は激怒し、学業にも仕事にも差し障ると、見つけるたびに二人を怒鳴り、殴った。 しかし、父から怒鳴られるたびに、二人は家出を繰り返した。 家へ戻ると殴られ、紐で縛られて家の中に閉じ込められたこともあった。 そこでまた、家出をする、といった悪循環にはまってしまった。 「今回の非行について」 という課題作文に次男が当時の生活の様子をこう書いていた。 「事件をおこす時は、必ず家出している時におきているので、家出しないのが一番ですが、なぜ家にいるのがいやで出ていくかというと、学校から返って(ママ)すぐ仕事の手伝い(を)はじめ、午前0時すぎまで手伝わされて、朝は、けっとばされておこされ、学校へ行き、学校がおわって家に返る時間だって、近所の子が返ってくるより早く返ってこないとなぐられたり、おこられたりするからです。」 「僕のあまえかもしれないが、我家には問題がないとはいえないとおもいます。 けいさつの人から、あきすねらいを36けんもやって、100万円くらい金をとったといわれたけど、家にいればこんな事件はしなかったとおもいます。」 と誤字、脱字交じりの拙い文字で書かれていた。 問題は、帰住先をどこにするのかであった。 両親は、祖母も伯母も高齢で今更二人の世話を頼めない、家に戻るのが一番いい、と説得する。 しかし、二人は家には帰りたくないと言い張った。 兄の一男は、課題作文 「私の悩み」 の中で、次のように書いてあった。 「父と母とが面会に来て、家族全部でもう一度やり直すのが一番いいと言うのですが、今まで、僕の親代わりになって、だれよりも本気で考えてくれたおばあさん、おばさんの所にもどりたいです。 それは、おばあさんの家にいた間は、僕も弟も悪いこともせず、学校にきちんと行っていたからです。 今の僕のなやみは、今回の事でまた少年院に行くことになれば、その間に、おばあさんに万一のことが起こったらどうするかです。 自分が悪いからしょうがないとか言われますが、りくつ(理屈)では、その通りですが、僕の気持ちはおさまりそうにないのです。」 家裁の審判の結果、一男は長期中等少年院送致、次男は児童自立支援施設送致になった。 児童自立支援施設とは、児童福祉法上の、家庭環境その他の環境上の理由から生活指導などが必要な不良行為のある児童を入所させる開放的な施設で、そこへ家裁から送られるのは、普通、14歳未満の子供だが、あえて15歳の次男を初等少年院送致にしなかったのは、精神科医と心理療法士の常駐する施設で、普通の家庭生活を知らずに育った次男にそれを経験させようと考えた末の決定だった。
by dankkochiku
| 2008-02-05 15:16
| 少年鑑別所の子供たち
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Comments(4)
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nino
at 2008-02-05 23:23
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こんばんはいかがお過ごしでしょうか。私のほうも3回生前半期の秋季セメスターを無事終了し、やっと一息ついているところです。励ましどうもありがとうございました。これからまたすぐにはじまる春季セメスターにむけての予習開始です。少年鑑別所シリーズ。成人とは異なり、十代はまだまだみずからによっての冷静なる判断選択、優先順位、そこにあるべき責任と義務に関する予測も難しいことでしょう。そのため、健全な身体・精神状態の発育にたいしてその周囲にある環境がどれほど影響与えましょうか。けれど、よき指導者、または少なくともひとりの理解者、こころひらくようにあれば、少年少女ほど素直な時代はないでしょうけれど。そういう理解者をみいだすこと、またはその理解にいたるまでの相談機関などがあればいいかとおもいました。それでは、まだまだ寒い季節とありましょう。どうぞお身体にご自愛を。
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dankkochiku at 2008-02-06 11:19
近年、少年による凶悪犯に目を奪われ、個々の少年の問題に治療教育的解決を図る保護処分よりも、一律に厳罰主義で臨もうとする刑事処分指向の裁判官が増えてきました。 15、6歳未満の少年を服役させ、更生効果があるという考えには、大いに疑問があります。
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yamanteg at 2008-02-09 20:35
裁判官も世論を無視できない、という趣旨のことが、佐藤優「国家の罠」に出ていました。
世間全体が短絡的になっているのでしょう・・・・・・か。
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dankkochiku at 2008-02-10 11:13
yamanteg さん かつて裁判は 「神の名」 において行われましたが、時代とともに、王、人民、市民の名において、と変わり、現在では、どうも流動的な 「世論の名」 において、その世論を作る 「政権担当者の名において」 裁判が行われているように見えます。
少年審判に話を戻しますと、平成16年度以降、家裁調査官研修制度が変わり、家裁調査官研修所と書記官研修所とが、埼玉県和光市にある裁判所職員総合研修所に統合されました。 この一見、効率化を目的とした司法改革は、私の憶測ですが、それまでケースワークに重点をおいてきた調査官の姿勢を、より刑事裁判官寄りにし、少年法に則った少年審判から刑事裁判化に向かわせ、重罰化につながっているように思えます。
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