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鑑別所に送られてくる子供たちを見ていると、子供よりも親の方を鑑別所に入れたくなるケースに少ながらず出会う。 現在14歳のC男は、生まれる前から両親はすでに離婚していた。 そして、7歳年上の異母兄とともに母子家庭で育った。 離婚の本当の理由は今でも分らない、と母親は言う。 鉄道工事の作業員だった夫は、地方の工事で出張すると言って出掛けたまま、ひと月が過ぎても給料を送ってこなかった。 会社に問い合わせたところ、とうに辞めて、給料と退職金は支払い済み、との返事。 それから半年ほど後になって、夫から住所の書いていない一通の手紙が来た。 その中には、もう家に戻らないという簡単な文面と捺印した離婚届けが入っていた。 その頃、母親はC男を妊娠中で、家で電機部品組み立ての内職をして細々と生活していた。 民生委員から、夫と離婚して母子家庭の扶助を受けてはどうか、とすすめられ、C男を出産する前に離婚届を役所に出した。 勝気な母親は、夫との離婚を実家の両親には知らせなかった。 仕事は、内職よりも割のいいクリーニング店でのアイロン掛けに出かけた。 そして、C男が生まれる前日までアイロン台の前で立ち仕事をした。 C男の出産を祝ってくれたのは、助産婦だけだった。 すぐに、その日から生活に困り、受けられそうな生活保護は何でも申請したが、直ぐに現金が入るわけではなく、仕方なく、産後一週間目からC男を抱いて仕事に出かけ、熱気のこもった店の片隅に寝かせて、アイロン掛けをした、と言う。 しかし、その程度の収入では2人の子供を養えない。 それで、母親は、C男が1歳を過ぎてからは毎朝、保育所に預けて別のクリーニング店に通い、小学校に入学後は、夜、飲み屋の皿洗いにも出かけ、深夜に戻るという毎日の仕事をこなした。 そのうち、母親は、仕事の息抜きに始めたパチンコにのめり込み、借金、借金返済にまた借金、借金取りが家に来るようになった。 そして、ある朝、C男が目を覚ますと、母親の姿はなかった。 その日以来、小学4年のC男と中学を出て土木作業員をしていた兄との2人は、半年以上、親から完全に放置された。 その間、C男は学校給食と兄がまとめ買いしたカップ麺だけで、毎日、食いつないだ。 C男にとって、学校は食堂のようなもので、昼食が終わると、学校を抜け出した。 原因は同級生からのいじめだった。 教師がアパートを訪れても、いつも留守だったと学校照会書の回答に書いてあった。 福祉事務所ケースワーカーからの経過報告書には、家主がアパートの家賃支払いの督促に訪れたところ、家の中は乱雑で、異様な臭気が漂い、そこに何日も風呂にも入っていないような子供がいた。 追い出すわけにもいかず、食事を運び、銭湯代も時どき渡している、と家主から福祉事務所に電話があったと書かれていた。 また、C男はそのころ、スーパーなどで万引きをしたと言うが、それ以外、どんな暮らしをしていたのか、本人はウロ覚えで思い出せない。 学校や福祉事務所がこの兄弟にどんな援助をしたのかも不明だった。 そんなある日、母親が男を連れて家に戻ってきた。 C男はその時の気持ちを 「これでオフクロがメシを作ってくれる、という気持ちと、これまで自分たちを放り出してきたことにめちゃくちゃ癪にさわった」 と話した。 母親は、連れて来た男は内縁の夫だと私には話したが、家裁調査官の記録には愛人と記されていた。 C男は、その男について 「人の家にきて、少しは僕たちに遠慮するかと思ったら、大違いで、仕事にも行かず、朝から酒を飲んで寝ているので、嫌な奴だった。」 と言う。 母親は 「子供2人を養うには、私一人ではできないので、あの人と一緒になった。 あの人は夜の仕事をしていたので、次の日は昼近くまで休んでいた」 と母親は話した。 しかし、C男も兄もなじめず、母親と男に、ことごと反発し、兄は家出、その間に非行をして鑑別所に来たことがあった。 男は、親子の争いを避けるようにして出て行ったが、母親との関係はその後も続いていた。 母親は、C男を学校に送りだした後、「くさくさした気持ちが吹っ切れる」 とパチンコ屋に再び通い始めた。 そして午後からは、飲食店に働きに出て深夜に帰宅する毎日で、子供と顔を合わせることはほとんどなかった。 C男は、「母は、小学校のときも中学校のときも一度も父母会にこなかった」 と言う。 勉強は学校任せで、子供には関心がなかったようだ。 C男は、中学に入ると授業について行けず、不良仲間と過ごし、夜遊びをすることを覚えていたのに、「仕事が忙しく、外で何をしていたのかは知らなかった」 と母親は弁解した。 今回の事件は、家出中に自転車を盗んで乗り回して使い捨てしたことと、シンナーを吸っていたことだったが、補導された時も、また、鑑別所に送られてきた時も、母親の所在は不明だった。 鑑別所から本人の入所通知を母親あてに郵送したが返事はなかった。 やがて警察が夜の街を酔って歩いていた母親を見つけ、C男が鑑別所に来てから10日以上たった後、面会にきた。 それまで母親は愛人と行動を共にしていたようだった。 知能検査の結果、C男のIQは80だった。 これは、14歳の年なのに知能の発達は11歳程度を意味する。 しかも、この結果を詳細に見ると、言語面のIQは74、動作面では90。 つまり、言語で表現する能力は10歳なみ、作業能力の方は12歳半程度だった。 年齢相応の知能発達が遅いうえ、知能面のバランスがとれていない。 知能面の不均衡は、非行少年によくみられる検査結果である。 言語面での能力発達の遅れは、乳幼児期から親子間の対話不足や学校教育を満足に受けず、知能が未発達なことを暗示している。 鑑別所では、職員にもほかの子供たちにも打ち解けず、自信なさそうに当たり障りなく過ごしていた。 この年頃の子供らしくない絶望的な心のうちを拙い文字で 「ぼくは、生まれてこなかったほうがよかった気がします」 と日誌に綴られていた。 生後、親の愛から見放され続けてきた心の傷が癒えないうちに、また新しい傷を受けてきた子供の鬱々とした不適応感が滲み出た日誌だった。 C男のようにこれほど親から放任され続けると、これは虐待以外の何ものでもない。 この状態におかれたならば、どの子供も非行をせずにはいられなくだろう。 鑑別所にいると、子供にとって居て欲しい親と、居ては反って困るような親との両極端のケースにしばしば出会う。
by dankkochiku
| 2007-12-23 17:30
| 少年鑑別所の子供たち
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Comments(4)
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tomahawk_attack
at 2007-12-23 21:19
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最近、お笑いタレントである麒麟の田中裕が、自叙伝である「ホームレス中学生」なる本を出版し、その厳しい生い立ちに多くの涙を誘った。
この世には「親はなくても子は育つ」などと無責任な事をいう者も多くいるが、やはり現実はそんなモンでもない。 子供に取っての親とは、単に「血のルーツ」であるばかりでなく、生きて行く上での、掛け替えのない「心の支え」である。(゚.゚)ノ
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桜花
at 2007-12-23 22:22
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親子関係、その中でも人格形成に大きく影響する10代の時代、最近は"コギャル"と言われた世代の女性が母親となり、子供の養育を放棄して自分中心な生活を送ることが問題になっています。
親から放任され、ちゃんとした生育が無い少年たちの中には非行の末、刑務所に辿りついたケースもあります。
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yamanteg at 2007-12-24 16:11
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dankkochiku at 2007-12-24 22:44
tomahawkさん 桜花さん yamantegさん 少年鑑別所で出会う子供たちと会っていますと、加害者という非行少年でありながら、同時に、幼い時から心に深く突き刺された棘の痛みに悩まされ続けている被害者だという実感からぬぐいきれません。 また、このような子供の親たちもまた、多かれ少なかれ、そんな育ち方をしてきた人が多いのです。
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