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「子供の頃、親から厳しく育てられた」 と言う受刑者が少なくないのに気づいたのは、受刑者たちとの面接を始めてからしばらく経った後のことでした。 最初のうちは、厳しく育てられた者がどうして非行や犯罪など悪いことを繰り返すのだろうかと、その意味がよく分かりませんでしたが、聞いているうちに、それは親からの体罰や虐待を受けて育てられたということでした。 受刑者が親から受けたと言う体罰は、殴られた、蹴られた、布団叩きやハタキの柄やズボンのベルトなど手近の物で叩かれた、熱い湯茶を浴びせられた、タバコの火を体に押し付けられた、針で刺された、バケツの水の中に頭を押し込まれた、食事を与えられず外に締め出された、紐で縛られ物置で一晩明かしたなど、親の気に入らないことをするたびに体罰と罵倒に見舞われたというものでした。 これはもう、しつけのための罰どころではなく、親の気に入らないことをただ子供に向けて発散し、繰り返えされる凄惨な虐待以外のなにものでもありません。 それ以来、面接ノートに、親から受けたしつけ方を 「厳格」(罵倒、体罰、虐待あり)、「普通」、「甘い」(大抵、欲しいものは買って貰えた、わがままが通った)と、いささか主観的な判断ですが3つに分けて、面接ごとに全員の記録をとりました。 その結果、「甘い」 にチェックされた者はわずかでしたが、「厳格」 にチェックされた者が3分の1以上おり、特に、暴力団関係者など粗暴犯受刑者(傷害、暴行、恐喝など)、それも少年院歴のある者、累犯者に目立ちました。 親から暴力的なしつけを受けて育てられた受刑者には、親と同様、思い通りに事が運ばなくなると、直ぐにいら立ち、攻撃的な衝動が抑えきれず、暴力的言動を現す者が多いことも分ってきました。 子供の頃から暴力を振るう親のもとで、その被害を受けているうちに、次第に自分もそのような行動を学んできたのです。 例えば、子供を虐待して殺人、傷害致死の罪に問われ、栃木刑務所に服役中の女子受刑者372人の調査結果では、37%の者に幼少時に親からの虐待経験があったという報告があります(柏原智子 「女子犯罪と成人矯正」 『犯罪と非行』 No.138 2003年)。 虐待は世代を越えて移っていくのです。 体罰をする親の方は、子供を良くするための 「しつけ」 と信じ、決して無闇に暴力を振るっているわけではないと主張します。 しかし、体罰などの罰によるしつけ方によって、子供が親の望む方向に矯正されたとしても、それは、罰への恐怖の結果であって、自制心、善悪の判断力、良心が育ったわけではないのです。 生れ落ちた子供は、親、特に母親の保護なしには、普通、生きていけません。 赤ん坊は、母親から食事が与えられ、排泄物の始末をしてもらい、体を清浄に保ち、暑さ寒さから守られ、愛撫され、安心して眠りにつくことができます。 赤ん坊にとって母親は生きていくための守り神ですから、そのご利益(愛情)を受けるために母親の望むことに応え、同調し、その喜ぶ顔を見て、受け入れられたことを早くから学びます。 こうして、次第に両親が喜ばない行動を自制し、保護者の生活態度、道徳観、価値観を取り入れて育ちます。 これが良心の最初の芽生えで、その発達とともに社会適応の仕方を学習していくのです。 しかし、信頼と愛情に満ちた親子の関係が、突如、打ち切られ、体罰という恐ろしい目に会い続けますと、頭が混乱し、体罰の意味が分らないまま、泣き叫び、ただ罰を避けることに過敏になり、不安緊張から神経症様の行動を現します。 その一方で、罰を加える者への怒りと敵意が生まれ、次第に親だけではなく、周りの誰をも信頼できなくなり、いつ危害が加えられるか分らないと、警戒・敵視し、相手が攻撃的でないのに先制攻撃に出る衝動的、暴力的な態度が身についてきます。 行為障害のある非行少年や反社会性人格障害をもつ犯罪者に特徴的なことは、幼児期から周囲との暖かい人間関係が妨げられ、正常な感受性や良心や道徳心が育たず、他人の苦しみや悲しみに無関心で、相手に苦痛や被害を与えても、相手の痛みが分からないなど、よい対人関係を続けるのに必要な感受性の希薄さが感じられることです。 自分と付き合う人間は、自分の利益に役立つ間だけ価値のある人であり、相手を道具として利用するだけの関係でしかありまえせん。 「彼らは人間関係の儀式だけを学び、その意味を学んでいない」(G.R.ローヴ)のです。 このような人間性を欠いた感情の持ち主をK.シュナイダーは 「情性欠如者」(Gemütlose)と名づけました。 「情性」 とは暖か味のある感情のことで、それが欠如した思いやりのない冷たい人のことです。 この種の人格障害者のもう一つの特徴は、その時どきでやりたいと思ったら、その衝動を自制できないことです。 小動物を意味もなく惨殺し、衝動的に物を盗み、無謀運転し、賭博に大金を賭けて興奮し、ささいなことに激怒し、破壊、暴行、殺人に及んでも、それによって衝動を発散し終えれば気分がすっきりし、反社会的行動をした意識も罪悪感も湧きません。 自分のした行動の結果を予測することもできません。 それらはどうでもよいことなのです。 ですから、中には、犯行を隠すこともせず、殺害現場で一服し、遺体に小便を掛け、道路わきに放置したまま去った者がいました。 ところで、これまで幼児期の誤った親子関係が成長後、反社会性人格障害の誘因になる可能性を心理学の視点から見てきましたが、その一方で、大脳機能の生来的な異常性を重視する研究報告もあります。 例えば、人の脳波は、5歳児くらいまでは周波数が4~7サイクルの徐波(slow wave)が多くみられますが、その後、成長するに従って、8~13サイクル波(アルファ波)が増えてきます。 しかし、衝動的、攻撃的な人格障害者には、成人後も徐波が、特に、感情の動きと関係のある大脳の側頭葉域に現れることが多く、これは情動面で未発達の脳の状態を示唆するものとして以前から注目されてきました。 つまり、人格障害の誘因は、誤った親子関係か脳機能の異常か、という問題です。 親子関係重視説は、乳幼児への過大なストレスが大脳の発達を歪め、生理的、心理的外傷(トラウマ)を招く可能性を主張します。 一方、神経心理学説は、大脳の機能異常が情動面の発達を遅らせ、幼児的な攻撃性と衝動性を発散させる原因になると主張します。 しかし、現在までのところ、いずれが正解かは分かっていません。 今後、脳波研究以外にも神経心理学分野の研究成果を見守る必要があります。
by dankkochiku
| 2007-09-22 23:31
| 刑務所を考える
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Comments(21)
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桜花
at 2007-09-23 00:02
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「暴力(DV)」は、親子間の世代に渡り繰り返す悪循環と言うべきでしょうか、小生が教育公務員の時代ですが・・・暴力行為を繰り返して謹慎処分の常連と言うべき生徒がいました、その生徒の家庭環境が、御ブログに申されているのと同じでした。
刑務所の世界では「処遇困難者」と呼ばれ、「昼夜間独居」の処遇を受けている受刑者たちと思います。
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dankkochiku at 2007-09-23 17:33
親殺し、子殺し、夫婦間暴力、老人虐待と家庭内の病理解明にもっと目を向けるべきでしょうね。
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桜花
at 2007-09-24 00:17
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様々な犯罪を犯した受刑者に対する病理解明も重要ですが、犯罪の予防・抑止策として、家庭内の病理解明にも目を向けるべきと思います。
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yamanteg at 2007-09-25 21:51
暴力は伝染する・・・・・ですね。(愛情をともなわない憎しみの暴力。)
愛情があれば(愛情が伝われば)、親の憂さ晴らしの暴力でなければ、問題になることは少ないでしょうけれど。 (わが身の経験から鑑みて・・・・・)
私の父は大変厳格な人でした。昔の日本の「オヤジ」はほとんどがそうじゃないでしょうか? そんな父親に育てられた私も、子どもにとっては煙たい存在なんでしょう。子どもに愛情のない親はいないと思いますが、「暴力」と「愛の鞭」は親にとっては区別ができますが、子どもにとってはどうなんでしょう?
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は~とnoエース
at 2007-09-26 09:27
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親殺し。子殺しは、戦国時代なら、さして珍しく有りませんでしたが、科学・文化の花咲く21世紀の当世に再び激しくなるとは。。。末法の世なんですかね。。。
ちかみに私の父は、私が子供の頃は、それは半端じゃないほど厳しい人でした。もうガンガンとやられましたね。しかし私は、グレる事もなく、お蔭様で普通の暮らしをしています。そして我が子にも、あえてDVなどとされるものもしていません。する気の有りません。。。 そう考えると「人格障害」となるも?ならぬも?個人個人の考え方一つに尽きるように思います。よく?犯罪者が、幼少時の境遇を犯行の理由にするのは?同情はしますが、私的には、それは単なる「逃げ」としか思えませんね。意図的な公判対策です。。。 それはそうと?記事の話から反れて申し訳有りませんが、埼玉県警に捕まった女が、覚せい剤を、女の “あそこ” に入れて、留置場に持ち込んだとか?金探にも掛からず見逃していたとか?たまたまトイレで使おうとして発見されたらしいのですが?入所の時は、隅々まで、念入りに調べないのですかねぇ?。。。 ┐(゚~゚)┌
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dankkochiku at 2007-09-26 09:57
は~とnoエースさん 仰るとおり、異常者になるもならぬも個人差の然らしめるところが、難しいところです。 塀の中では、人格障害者が目につきますが、町中では、事件を起すまで誰だか分かりません。 また、人格障害者でも犯罪などしない人もいます。
最近、開業したPFI刑務所には、全米の空港、公的機関で多く使用されている最新鋭の金属探知機・薬物検知機、「セーフビュー」が設置されていると聞きました。
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dankkochiku at 2007-09-26 10:04
braven2 さん 大人になってそれなりの地位や成功を得た人は、それで子供の頃の親のしつけのお陰と、納得するかも知れませんが、やはり心の隅に引っかかるものがあります。
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dankkochiku at 2007-09-26 10:22
yamanteg さん 家族内の暴行、傷害、殺人などの暴力事件は、町中でのそれらとは違う家族独特の心理や病理が働いているように思いますが、いかがでしょうか。 例えば、可愛さ余って憎さ百倍という感じのものです。
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nino
at 2007-09-26 23:01
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反社会的行動も世代をこえて”刷り込まれた行為”といえるような環境のなかで幼児期、思春期をむかえたものは何を善とし、何を悪とするのかを判断できる要因を学ぶことがなかなか困難となることもありましょうか。それはそのひと個人というよりも、それこそ、何代にもわたる先天的遺伝子以外に、親子、友人、職場というそのひと個人を取り巻く周囲そのものが
反社会的行為への要因を大きくさせることもあるのでしょうか。ひとはひととともに、社会とともにあってはぐくまれ、成長していく。罪を犯した人間も新たな生を善と真実といきるようになるにはどうあればよいのか、本当に 大きな課題ですね。
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は~とnoエース
at 2007-09-27 23:24
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テレビを見ていたら?海外では、携帯電話を、二つもケツに入れて入所したゲイの例があるとか?その気になれば?女だけでなく、男だって?何処にでも隠せるモンなのですね。それらを如何にして見つけるか?大変な時代になったものです。
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dankkochiku at 2007-09-30 09:04
nino さん 「反社会性人格障害」は定義することも、また、正常と異常の境を決めることも難しい、まさに精神医学と社会学の両方にまたがる問題の難しさが結集し、この領域に科学が立ち入るのをためらっているようです。 でも、反社会人格障害と呼ぼうと精神病質と呼ぼうと、そういう障害者がいるのは事実なのです。
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心理カウンセラーM
at 2008-06-18 02:57
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dankkochiku at 2008-06-18 09:16
心理カウンセリングの現場からのコメントありがとうございます。 ただ、問題は、何が、どの程度が、歪んだ親子関係といえるかです。 同じ親のしつけを受けても、受け取る側の子どもたちの反応、影響は違います。その子どもの様子を見て、親はまた、しつけの態度を変えます。 M.ギルモアの「心臓を貫かれて」(文春文庫)は、そんな疑問を突き付けています。
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地方公務員
at 2012-02-16 09:24
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FBIプロファイラーの本に出てきたシリアルキラー(多分、キチガイピエロと言われた人)が、6歳より以前に自分の乳母を頭から食べることを夢想したとでてくる。被虐待経験なかったはず。思うに、大量兵器が発達する前はそういう、粗暴遺伝子が強い奴が戦場で活躍して他の部族を支配するからかつては必要とされていたのかもしれない。今の社会では彼らを擁護するつもりは全くないが、先天性粗暴性の可能性もあるのではないか。
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dankkochiku at 2012-02-16 22:18
地方公務員さん コメントありがとうございます。 近年、著しい脳神経生理学の発達によって、いわゆる、キレルと呼ばれる不適応な衝動的攻撃の発散にも解明が進み、人や動物に対する残酷な攻撃行動、物への破壊行動、冷淡な自己中心行動などに対して医学的治療への明かりが見え始めてきました。しかし、これらの反社会的行動が遺伝的、先天的な脳障害だけに起因しているとは言い切れず、例えば、子どものちょっとした不適応な行動に対する保護者、教師、友人などからの反応、それに対する子どもの反応など、つまり、さまざまな環境的因子も否定できません。
また、反社会的異常人格者が、革命時や戦闘場面など限界状況下で勇猛果敢な行動をみせ、功績をあげることは、以前から言われてきました。鉄血の人、一将功成りて万骨枯るといわれる指揮官などです。つまり、異常な状況下では、異常な本性の持ち主が活動の場を得ることもあるということでしょう。
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DAIZETSU
at 2013-04-05 12:16
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現在適応障害で苦しんでいる者です。苦痛を感じると親から受けた発言がフラッシュバックします。
私は暴力をふるわれたことはないのですが、親から言葉の暴力を受けていたのではないかと思います。現在も受けているだろうと思います。 詳しくは書けませんが、思い出すたびに体が震え嗚咽がこみあげてきて辛いです。
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dankkochiku at 2013-04-05 17:05
DAIZETSU さん 心のお苦しみご同情いたします。 適応障害とのこと、それは精神医の診断でしょうか。 そうであるならば、医師や臨床心理士とご相談されてはいかがかと思います。
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DAIZETSU
at 2013-04-05 20:39
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dankkochiku様ご回答ありがとうございます。
いぜんの職場で適応障害は発症し、半年ほどカウンセリングを受けました。その後回復したということでカウンセリングを終了しましたが、現在の職場で再発しカウンセリングを再開しました。 社長は理解のある方で問題は無さそうですが、家族とくに父は不愉快そうにしています。父の姿を見ていると辛いです。 さらに私は自宅待機で、父は退職して家にいることが多く居心地が悪いです。体の調子が悪く逃げ出せないので針の筵にいるようです…。 これ以上は本件とは関係ないのでやめておきます。
Ciao dankkochikuさん
私たちは売春婦になるよう教育されている つい最近読んだ本にかいてあった一節 つまり、自分のしたいことをしては、罪悪だ、人の喜ぶことをするのが、社会性であると教わって育てられているってこと でも、本当はまず自分が何をしたいかをしり、それをどうやって実現させるか?ってことを第一に考えることを学ぶべきだと 同感です 上のコメントのDAIZETSUさん お父様が不機嫌であっても、それは彼の問題であって、それに影響されて自分が暗い気持ちになるのは、自分が気の毒だと思います 私たちを守り、幸せにできるのは、私たち自身以外なく、その私たちの内面の幸せ、平和は周りから影響されるべきものではない。と思います 私も大家族に育ったので、周りの雰囲気を気にかける癖がついていたのですが、この本を読んで、確かにそうだと思いました 彼が機嫌が悪いから私も暗い気持ちになる、、ばかばかしい!と思います それは、エゴというものとは別物です 子供を虐待する親は、やっぱり幸せな人ではないし、ある意味育っていない人だと思います ここで、私たちは社会からの、社会に都合のよい規則を無視する勇気を持ち始める時期ではないかと思います
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dankkochiku at 2013-04-23 22:14
Ciao junko さん 5年も前まで戻ってこられ、ちょっと驚き。 改めて、自分のブログ読み返しました。(笑)
親から子どもへの虐待は、昔からありましたが、その親たちの多くは、子どもの頃、やはり親から虐待を受けて育ち、それが子どものシツケには必要なことだと信じています。つまり、虐待は世代を渡り、虐待が虐待を生む素地を作っています。 それを断ち切るには、親が余程の自覚を持たなくてはならないのです。
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