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保釈されて、拘置所での 「囚」 の状態から 「□」 (かこい)を出て、「人」 の生活に一時でも戻れる幸運な被告人が毎年1割ほどおります(平成17年は10% 司法統計年報)。 あとに残されたひとのうち7割くらいは、第一審判決日までの3ヶ月近くを拘置所で生活することになります。 拘置所は単独室が多く、人の動きの少ない静かな雰囲気ですが、被告人たちは、次第にいろいろな行動や個性を現し始めます。
まず、初入者と累入者の行動には随分違いがあります。 初入者は、心の動揺、緊張が入所以来、静まらず、不眠、頭痛、心悸昂進、食欲不振、胃や胸の圧迫感などの軽い心身症状が続きます。 不安神経症、うつ状態、口を開け鼻水、よだれを垂らしっぱなしで茫然自失、尿失禁、パニック状態になって部屋の扉を乱打、自傷をするなど興奮状態になる拘禁性神経症(拘禁反応)に罹る患者は、累入者よりも初入者にずっと多く、たびたび医師の治療が必要になります。 これに対し、累入者たちは、一見、平静です。 ある累入者は、心の中を次のように語りました。 「留置場のときは、私服だし、タバコも食事もシャバのものだから、シャバに近い感じが強いのです。 特に、初犯のときは警察で帰れるひとが多いので、余計にそう思います。 しかし、私のように前科があると、起訴されたら、もう駄目だ、という気になります。」 先が見えると、かえって落ち着くのか、万事要領よく、悪巧みを考えるゆとりさえ出てくるようです。 ひと月前に刑務所を出所したばかりの中年男は、前の服役中に顔見知りになった刑務官を見つけて 「またよろしくおねがいします」 と明るい顔で挨拶していました。 しかし、こんな、いけしゃあしゃあの明るい刑務所依存症者ばかりとは限りません。 入所歴5回目の男は、死にたくなったと長い針金を呑み込み、腹が痛いと騒ぎ出したため、面倒な勾留執行停止手続きをとって所外の病院へ開腹手術のために緊急入院させましたところ、翌日には行方不明になりました。 また、未決者の権利を盾に連日のように各方面へ向けて、不当拘禁を訴える性格に偏りのあるひともおります。 このような例は前に書きました。(05.12.5.付 「刑務所の困った人たち」) 派手な動きをするのは、お金にも身内の者にも困らない組関係者たちです。 入所の翌日には、若い舎弟や美人たちが続々と面会に訪れ、金品を差し入れて行きます。 中には、差し入れの品に禁制品をもぐり込ませる不届き者もいますので、金属探知機では感知できない 「ヤク」(覚醒剤、麻薬など) を探すために、怪しい布団や衣類を解体して検査し、後で修復するという手間のかかることも少なくありません。 こうして覚醒剤ばかりか注射器まで出てきたことがあります。 また、拘置所内の清掃や図書集配など職員の補助役(経理作業をする受刑者)を菓子や週刊誌などで買収し、拘置所内の共犯者、組関係者、職員の動静を聞き出そうとすることはよくあります。 ときには、処遇緩和を狙って一人で巡回中の夜勤看守に甘言と脅しを執拗に仕掛けてくることもあります。 幹部級になりますと顧問弁護士が付き、起訴事実を認め、情状酌量に訴えて保釈を狙ったものの叶わず、面会室で無能弁護士呼ばわりをするひともいます。 裁判も終盤に入りますと、雑居室で生活をする累入者室の卓上には、差し入れられた菓子やきわどい週刊誌がいつも山積みされ、同室者はお相伴にあずかれるのですが、差し入れのある者とない者との気持ちの差は大きく、無一文の孤独な者は肩身が狭く、菓子や飲み物をすすめられても、お返しのできない引け目を感じて遠慮する者が多いようです。 しかし、刑務所行きが避けられない者同志という共通の気持ちからか、差し入れのある者が大きな顔をしたり、「無一文」 と見下げたりすることはなく、むしろ同病相憐れむというか、助け合うことが多いようです。 拘置所では、刑務所生活に比べると遥かに多くの自由が満喫できます。 ですから、累入者たちは、実刑が言い渡されても、控訴の意思を曖昧にして、2週間の上訴提起期間ぎりぎりまで回答を延ばし、刑の自然確定を待ちます。 この期間は刑期に通算され、しかも、その間は被告人並みの自弁物品の使用が許可になることを知っているからです。 実刑が確定し、いよいよ拘置所から移る日になりますと、反則を承知で、自分の新しい下着類を同室者の古着と着替えて受刑区に移っていく者がいます。 好意を受けた同室者への精一杯の返礼であったり、同じ刑務所で服役して、再会した場合の見返りを考えてのことです。 また、未決の間は無法者だったのが、実刑確定後、素早く職員に迎合し、模範囚ぶる者も少なくありません。 これらはすべて入所するごとに身につけてきた累入者たちの生活の知恵なのです。 刑の執行猶予判決を受けて、無罪の積りになって意気揚々と出て行く人がいる一方で、実刑確定者は、頭髪を規定の型に切り揃えられ、収容区分に従ってそれぞれの施設に送られ、そこでは全員、一斉に同じ衣類を着て、同じ生活が始まります。 こうして受刑者たちは、米社会学者のE.ゴッフマンがその著 「アサイラム」 の中で、いみじくも述べたように、施設の管理機構に組み込みやすいように氏名は番号に代えられ、各人の多様な人格はトリミングされ、規格化された一個の物体として、人から囚人へと変えさせられるのです。 実刑が確定し、被告人から受刑者の身分になることを隠語で 「アカオチ」 と言います。 これは、明治の頃、未決囚の着物の色は青で、既決囚は赭(しゃ:赤土色)だったからです。 そこから 「赭衣」 は赤い着物から転じて罪人の意味になりました。 因みに吉村昭氏の小説 「赤い人」 は明治時代の北海道行刑を描いた名作です。 今ではこの語源が忘れられて、どうかすると 「垢落ち」 と誤解している方が多いようです。 ★関連記事:06.5.6付 「平等か公平か -改善・更生のために-」
by dankkochiku
| 2006-05-31 22:15
| 刑務所を考える
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Comments(2)
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yamanteg at 2006-06-03 22:03
>累入者たちの生活の知恵・・・・・
一つの社会組織ですねえ。 会社の組織にも似たような部分があったりして・・・・・。 複雑な感慨を覚えます。 加賀乙彦氏の「宣告」「湿原」などを苦労して読んだことがありますので、厳粛な思いです。
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dankkochiku at 2006-06-04 20:35
有名な犯罪・非行精神医学者たちは全てと言っていいほど拘置所、刑務所、少年院、少年鑑別所に勤務歴のある方たちです。 昭和28年のバーメッカ事件の死刑囚と同年齢の加賀乙彦氏との東京拘置所での出会いが精神医から作家、カトリック教徒への転向のきっかけだったと思います。
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