前回、朝日地蔵堂の道標にひかれ,まず碑文谷仁王尊円融寺を訪れる。
円融寺への案内は、目黒駅からバスで碑文谷2丁目下車徒歩3分とあったが、下車したものの人ひとり歩いていない昼下がりの閑静な住宅地帯。たまたま路上で休憩中の道路工事の人から教えられる。
円融寺は、今から約1150年前、平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師が開いた天台宗、法服寺に始まり、鎌倉時代の康安6年には日蓮宗に改宗し、法華寺と改名、さらに元禄11年(1698)、幕府からの弾圧で、再び天台宗に改宗、天保5年(1834)には円融寺と名を改め現在に至っている有為転変の寺院。
東門から進み、まず目についたのが、円融寺幼稚園のそばに立つ「真公稲荷」の赤鳥居。寺院の境内に神社があるのは、神仏習合の時代の名残。真公稲荷と検索したら、祀られているのは、なんと狐そのものだった。一般に稲荷神社の狐は、神そのものではなく、神の使いというが定説だが、ここでは、この辺りに棲みついていた白狐を稲荷として祀っていた。むかし、この辺りで奇病が流行したとき、稲荷神社を廃れたままにしていた祟りと恐れた門前の住民たちが、円融寺住職と相談し、神社を再興したところ、村から病が消えたという言い伝え。不幸、不遇、災難を神の祟りと恐れ、神社を建て敬うという話も神道信仰につきもの。ただ、「真公稲荷」の名前の由来は不明。
(下の写真:円融寺阿弥陀堂)
阿弥陀堂は、円融寺のホームページによると、昭和50年(1975)の建立で、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された鉄筋構造の堂々とした本堂。生憎、堂内は公開されておらず中を見ることはできなかったが、本堂内には、京都市伏見区日野にある日野法界寺内の国宝、阿弥陀如来を模して作られた如来像とその胎内に経典など貴重な品々が納められている。
(下の写真 釈迦堂)

本堂の前にある釈迦堂は、室町時代初期に建てられ、都内では東村山市の正福寺地蔵蔵堂に次ぐ古い建造物(東京23区内では最古の木造建築)で、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されている。屋根は本来、茅葺だったのを火災防上、昭和27年(1952)に約500万円の費用をかけ銅葺きに改造した。
(下の写真:仁王門)
東門から入ったので逆のようだが、次に仁王門。仁王門は、中の黒仁王像が作られた永禄年間とほぼ同時期に作られたと推定されている。江戸時代に大改修が行われたため、足利時代の面影は残っておらず、また、茅葺屋根も平成7年(1995)に銅葺きに改装されたが、それでも目黒区の文化財に指定されている。
仁王門に安置されている木造の黒仁王像は、江戸後期には多くの庶民の信仰を集め、泊りがけで参詣する人、堂に籠って断食し祈願する信者もあったほど人々が訪れたと伝えられており、現在東京都指定文化財になっている。
一つの寺院にこれだけ多くの文化財が集まっているところは、有意義な一日だった。
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