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前夜、成田から11時間30分ほどかけて着いたミュンヘンに一泊した後、バスで市内の半日観光をしながら直線距離で約150キロ離れたオーストリア国境に近いパッサウ(Passau)へ向かう。
ミュンヘン中心街へ向かう途中、ニンフェンブルグ城(Schloss Nymphenburg)に寄る。 ここは、17世紀に建てられ、バイエルン州歴代の君主が夏を過ごすのに使われたバロック様式の宮殿で、一般公開はされているが、所有者は、ドイツ、バイエルン地方の君主、諸侯のヴィッテルバッハ家であり、いまでも、ドイツでは、王侯・貴族の権威が保たれているようだ。 時間の都合で宮殿内には入らず、20ヘクタールの広々とした庭園から眺める。 散歩する人、ジョギングする市民の姿があり、公園として一般市民に親しまれている。 ミュンヘンは、11世紀以後、塩の交易、貨幣鋳造の町として栄え、16世紀には、バイエルン州の首都として宗教、芸術の中心地になり、ビールの醸造地としても有名な都市だ。 ドイツの中でも経済が活発なところで、失業率は5%台と比較的低く、最も消費力のある都市。 自動車のBMW本社、電機のジーメンス本社、サッカーチームのバエルンミュンヘンの本拠地アリアンツ アレーナサッカー場、ビアホールのホーフブロイハウスなどをバスの窓から眺めながら市内を行く。 ミュンヘンは、いまでこそ市民の生活が安定した平和な町だが、20世紀初めには、ヒトラー総統の率いるドイツ労働者党の本拠地で、「総統の建物」 「総統の家」(Führerbauten, -haus)と呼ばれた建物が今も町のあちこちに残っている。 ナチスの軍隊が行列して通った凱旋門。 そのそばにある古代ギリシャ神殿様式のグリュプトテーク(Glyptothek) 古代彫刻美術館 、音楽演劇大学(Hochschule für Musik und Theater)もかつては総統の建物だった。 そのほか、ミュンヘン市から16キロほど離れたダハウには、ドイツで最初の政治犯、ユダヤ人の強制収容所が1933年に開設された。 また、二次大戦中は、連合軍の猛爆にさらされ、破壊され尽されるなど、20世紀のミュンヘン市民は、波乱万丈の歴史を体験した。 ミュンヘン中心地にあって多くの市民や観光客が集まるマリエン広場(Marienplatz)とその周辺に建つロマネスク、ゴシック、バロック、ロココ様式などの歴史的建造物は、第二次大戦後、瓦礫の山から、市民たちが中世紀の町並みを寸分たがわずに復元したもので、その美しさに見とれながら、古い伝統を引き継いできた市民の執念に感嘆する。 マリエン広場にあるネオゴシック様式の新市庁舎は、ルードヴィッヒ1世の命令で1867-1908年に建てられたものだが、庁舎前には、毎日午前11時に合わせてたくさんの人が集まってくる。 ドイツ最大の仕掛け人形時計が動き始めるからだ。 仕掛け時計の人形たちは、1568年に行われたバイエルン公、ヴィルヘルム5世とロートリンゲン公女レナーテとの結婚式の模様を5分間にわたって再現する。 2段の回り舞台では、上が騎馬試合、下が踊りを見せる。 人形の大きさは、人と等身大というが、下からは小さく見えるほど、迫力ある建物が見る人びとを圧倒する。 ミュンヘンの人口は約137万人。 そのうち、他のEU諸国からの移住者が、最も多いトルコ人を含め、全体の37%をしめており、道路清掃のような単純労働に就いている移住者や観光客目当ての物乞い男の姿もあり、彼らの生活は厳しそうだ。 地下が射撃場となっている猟銃愛好家クラブ、狩人の館(Jagershaus)のレストランで別の成田空港発便で来ていたグループと合流し昼食の後、バスは、ドナウ河岸パッサウの船着き場へと高速道、アウトバーンをひたすら走る。 高速自動車道もまた、ナチス政権時代に、全長7千キロに及ぶ国内自動車道路網整備計画のもとに完成させたもので、戦後、日本の高速道路整備計画のお手本にもなった。 ただ、現在、ヨーロッパ経済の不況の影響からか、車の乗り心地の良い道路とはいえず、高速で走るバスの振動で、折角の、お昼寝タイムが妨げられた。 道路の所どころにガソリン給油所への出口(Ausgang)の表示があったが、日本のようなレストランや土産物店を備えたサービスエリアはなく、トイレとゴミ箱が置いてあるだけの閑散とした駐車場だった。 数年前までは、こんなではなかったと現地ガイドがいう。 これも欧州経済低迷の影響だろう。 ミュンヘンから50キロほど北東のランズフート(Landshut)村に入ると、原発施設が見え、煙突から盛んに煙を上げている。 その一方で、原野の所どころに、たくさんの太陽光電板も設置されている。 原発推進派だったメルケル・ドイツ連邦首相は、東日本大震災で破壊された福島第1原発事故を受け、2022年末までの脱原発へ政策を変更し、同時に風力や太陽光電など再生可能エネルギーの普及を進める方針を打ち出した。 そして、10年後の原発廃止に向けて、日本とのエネルギー政策で緊密に協力し、共に脱原発への決意をも表明した。 しかし、当の被災国、日本政府の2030年原発ゼロ発言は、揺らぎ始めているのが気掛かりだ。 午後4時半、バスは、パッサウのドナウ河岸に着く。 船着場には、4,5隻の観光船が停泊している。 私たち一行は、前回、写真のセレナーデ2号に乗船。 いよいよ今から10日間、リンツ、メルク、デュルンシュタイン、クレムス、ウィーン、ブラチスラバ、エステルゴムを経て、ブダペストまでのドナウ河船旅が始まる。 (つづく) ◇写真表示の時刻は、日本時間で、夏時間の現地とはー7時間の時差があります。
by dankkochiku
| 2012-11-07 20:50
| ぶらり、まち歩き
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Comments(11)
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kiyotayoki at 2012-11-08 09:30
ドナウ河をクルーズされたんですね♪
10月のヨーロッパは旅したことがありませんが、お天気や気温はどうだったんでしょう。 どんな旅をなさったのか、連載を読ませていただくのが楽しみです♪♪
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yamanteg at 2012-11-08 09:41
ミュンヘンの仕掛け人形時計は見ごたえありますね。
ドイツの原発施設を見られたとは、貴重かも知れません。 脱原発も理想と現実はカナリ違うことが明らかになっているようで、日本も真似?ばかりではいけない、工夫が必要と感じています。 10日間のドナウ河の船旅、楽しみです。
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dankkochiku at 2012-11-08 11:30
kiyotayoki さん 今回訪れた東欧の気温は、東京の1カ月後の気温で、10℃から18℃で寒暖の差が大きく、大体、朝は濃霧で低温、曇りの日が多く、写真を撮るのに苦労しました。幸い、雨には会いませんでした。
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dankkochiku at 2012-11-08 17:27
yamanteg さん ミュンヘンはもっとゆっくり観光したかったのですが、船の出港時間が決まっていたので、先を急ぎ残念でした。
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tomahawk_attack
at 2012-11-08 19:11
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そういえば、この川のイメージとしては、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」というのもありましたねぇ。色んな方がこの川を題材に手掛けておられます。。
お撮りになった写真を拝見していると、この曲がイメージする通りの穏やかな流れに見えました。。 日本的な表現で言うと、おそらく「瀞(とろ)」って感じでありましょうか・・・・空の青さが川面に写り込んで、とても素敵ですねぇ。。 近代的な都市空間の中に、古き良き時代のレトロな建物が共存している。後の世まで変わらずに有って欲しい貴重な風景であります。。\_(-_- 彡
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dankkochiku at 2012-11-08 21:11
tomahawk_attack さん ドナウ河の流れは、それほど速くはないのですが、観光船の速度が、意外と速く、目の錯覚で、河の流れが随分速く感じました。
>ビアホールのホーフブロイハウスなどをバスの窓から眺めながら
>市内を行く。 ホープブロイハウスは、ナチの演説会場でしたね。 > ミュンヘンは、いまでこそ市民の生活が安定した平和な町だが、 >20世紀初めには、ヒトラー総統の率いるドイツ労働者党の本拠地 >で、「総統の建物」 「総統の家」(Führerbauten, -haus)と >呼ばれた建物が今も町のあちこちに残っている。 ナチスの軍隊が >行列して通った凱旋門。 そのそばにある古代ギリシャ神殿様式の >グリュプトテーク(Glyptothek) 古代彫刻美術館 、 >音楽演劇大学(Hochschule für Musik und Theater)も >かつては総統の建物だった。 そのほか、ミュンヘン市から >16キロほど離れたダハウには、ドイツで最初の政治犯、 >ユダヤ人の強制収容所が1933年に開設された。 負の歴史がちゃんと保存されているのですね。 特にダハウは、恐怖の強制収容所です。 過去を美化しようという日本とは大違いです。 「ナチと日本は違う」と反論されますけど、 被害者から見れば同じだと思います。
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dankkochiku at 2012-11-09 17:57
loving-c. さん コメント有難うございました。ホーフブロイハウスがナチスの演説会場だったとは知りませんでした。
第1次世界大戦で敗北し、意気消沈していた国民に新ドイツ再建を訴えたのが、大受けし、その勢力を駆って、反対勢力やユダヤ民族撲滅に走った12年間のナチス政権の暴虐の跡が各所に見受けられます。
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loving-c.
at 2012-11-09 19:30
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私の日記にご来訪の上、コメントいただきありがとうございます。
ちなみに、私の正体は、元・国士舘大学法学部非常勤講師であり、 谷山浩子さんのファンであること、そして、逆送年齢の引き下げ には反対であるが少年院在院者の権利義務の明確化には 賛成であることから、お察し下さい。
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dankkochiku at 2012-11-09 23:23
loving-c. さん ご返事有難うございます。 多分、T.K.さんでは?それにしても、谷山浩子さんのメルヘンチック(変な日本語で失礼)歌曲がお好きとは意外でした。 今後とも、よろしくお願いします。
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loving-c.
at 2012-11-11 18:39
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私が谷山さんを好きなことが意外ですか。
でも、「よその子」を聴いていただければ、意外でなくなるかもしれません。少年法第1条を歌にすると、「よその子」になります。
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