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関東大震災後の復興住宅として建てた東京、横浜の同潤会アパートのうち、ただ一つ現存する昭和4年竣工の 「上野下アパート」(東京都台東区)では、解体について、約20人の居住者など権利者間で合意ができ、来年にも解体されることになった。 このアパートは、2棟計76戸の鉄筋コンクリート4階建てで、跡地には14階建てマンションが建て替えられる予定と報じられている(7月1日付け朝日新聞)。
![]() 上野駅前浅草通りから北に入った清洲橋通りに面した角地にある 「上野下アパート」 1号棟(上の写真)1階は、店舗併用住宅で、現在、床屋、クリーニング店、居酒屋2店が入り、一応、改装されているが、2階から4階までの居住専用の12室には、一部、人が住んでいる様子はあるものの、荒れ放題。 1号棟裏の通りに面した居住者用の2号棟も同様、老朽化が目立つ。 ![]() 居住者がいるので、立ち入るのは遠慮したが、2号棟は4階だけが付き出ている珍しい建築様式(上の写真)。 住宅建築専門用語で 「キャンティレバー(cantilever)」 と呼ばれる 「片持ち梁」 工法で、ここでは片側廊下が外部に突き出た単身者用部屋に当てられている。 一つの棟の上下階に重ねる工法は、現在は行われていないので建築関係者は注目するに違いない。 敷地面積は,1、2号棟合わせて347坪と狭いが、店舗向き4戸、単身者向き24戸、家族向き47戸、その他1戸がある。 ここを訪れて、同潤会に関心が湧き、関係書籍に目を通した。 その俄か知識だが、同潤会は、大正12年の関東大震災後、内外から寄せられた震災義捐金の残り1千万円を基金に公的住宅供給事業を目的に設立された内務省の外郭団体。 具体的には、大正13年から昭和16年までの18年間にわたって小住宅を経営し、震災によるバラック居住者を復帰させ、身体障害者を収容し職業訓練など救護施設の経営を目的とした。 住宅8千戸の建設計画の内訳は、アパートメント1千戸と普通住宅(木造長屋)7千戸の賃貸住宅建築だった。 財団基金が1千万円という額は、現在では、宅地購入もできない程度だが、関東大震災のあった大正12年当時の金額の価値は、大卒の銀行員の初任給が50~70円(「値段史年表」週刊朝日編)。 平成24年の3大銀行総合職初任給を20万とすると、現在は当時の4千倍。 当時の1千万円は、今の400億円に相当する(内田青蔵 「同潤会に学べ」から引用)。 同潤会による建築事業の中で、文化価値の高いものは、東京に14か所、横浜市2か所の計16か所に建てられたアパートで、後の公営、民営の集合住宅(アパート、マンション)建設の質の高さで模範となったほどの先進的なものだった。 その建築基準は、①耐震耐火性の高い鉄筋コンクリート造り、②堅牢な建具、戸締り重視、③和洋の生活様式の自由選択可能、④水道・電気・ガス設備、⑤各戸に水洗便所、⑥台所は流し台、ガスコンロ台、調理台、米櫃、炭櫃、ダストシュートなどの完備、⑦屋上に洗濯場、⑧衛生・保存上から畳の代わりにコルク薄縁使用、⑨押入れ、洗面所、下駄箱、帽子掛け、標札など一切完備、の9点を基本とし、街路に面して建てられた(兼平雄樹他編 「消えゆく同潤会アパートメント」 参考)。 しかし、これは、あくまでも基本とした建築基準であって、東京について言えば、大別すると、中流、おもにサラリーマンを対象に合理的文化生活志向の山手系(澁谷、新宿、文京の各区)と労働者層を対象とした低価格の下町系(墨田、江東、荒川、台東の各区)に分けられる。 例えば、労働者向けの 「中之郷アパート」(現・墨田区押上)の家賃は3畳で12円から15円。 6畳・4畳半で16円から18円。 これに対して、貸付申込日が同じだったサラリーマン向けの 「青山アパート」(現・渋谷区神宮前)では、6畳2間で20円から23円、8・4半・3畳で26円から30円だった。 この家屋構造や家賃格差は、当時、半ば一般化していたサラリーマン・労働者間の差別意識が背景にあり、今回訪れた 「上野下アパート」 は、ワンルームで浴室なく、便所は共同だ。 ただ、当時の民間の木造アパートや長屋生活をみると、特に、ここが私生活無視の劣悪な居住環境とは言えないし、庭にある共用のポンプ式井戸や屋上の共同洗濯場、物干し台などは、むしろ都会にも共同社会があったことの証拠だろう。 ![]() 平成8年に撮影した上の写真は、明治神宮表参道通りにあって、敷地面積1783坪、児童遊園もある138戸の 「青山アパート」(大正15年~昭和2年竣工)で、貸付開始の大正15年9月には申込倍率が7.6倍だった人気アパートのかつての姿。 もっとも、同潤会アパートのうちで最初に竣工した 「中之郷アパート」 の方も、申込倍率は5.2倍だったから、震災3年後でも、落ち着いた家に住めない被災者がいかに多かったかが想像される。 ![]() 青山アパートに代って、平成18年の建国記念日に 「表参道ヒルズ」 が誕生した。 この全長約250メートル、地上6階、地下6階のビルのうち、地上、地下の3階には有名店の入る商業施設と4階以上の住宅施設に分かれている。 「青山アパート」 を残そうという地域住民の声に応え、その一角に 「同潤館」 が復元され、店舗用に貸し出されている(上の写真)。 ![]() 昭和55年頃だっただろうか、中目黒駅と代官山駅の間を走る東急東横線の車窓から、高台に沢山の老朽化したアパート棟が見えた。 これは同潤会アパートの中で、最大の敷地、約6千坪に建つ36棟、337戸の 「渋谷アパートメント」(通称、代官山アパート)だった。 ところが、いつの間にかアパート群が消えて、平成12年8月、その跡地に、高さ約120メートル、地上36階、地下4階の超高層ビルが完成し、マンション、商業施設、スポーツセンター、変電所などを備えた超高層ビル 「代官山アドレス」 へと変身した(上の写真)。 渋谷、中目黒の繁華街の間にありながら、傾斜地にあって都市化から取り残されてきた代官山駅周辺地域も、現在、進行中の東急線地下化工事完成の暁には、寂れた街並みから一変するに違いない。 ★しばらく、夏休みをとります。 猛暑の折、ご健康に留意ください。 ■
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by dankkochiku
| 2012-07-30 11:26
| ぶらり、まち歩き
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Comments(13)
「青山アパート」は見たことがあります。
当時はモダンな住宅だったろうと感じました。
yamanteg さん 表参道ヒルズを始め、通りのビルは、街路樹を見下ろすような超高層ビルはなく、昔のままの参道の姿を尊重しているようです。
夏になると思い出すのが代官山の同潤会アパートです。
アパートは木々に囲まれていたので、近くに住んでいたこともあって、夕涼みによく出かけたものでした。 耳をすますと、盛大な蝉の声が蘇ってきそうです。 銭湯やかき氷を売ってる店もあったなぁ。懐かしい思い出です。
kiyotayoki さん 代官山アドレスができ、急に賑やかな街に一変しました、明治通りと旧山手通りの間の通りの名前を何通りというのか、今も知りません。
Ciao dankkochikuさん
原宿の同潤会アパート好きでした 住みたいなあと思ってました 外見だけで、ぁ同潤会 とその歴史がわかるこういう建て方って素敵ですね 当時もさぞかしモダンだったんのだろうが、この建築を見てると いいものに時代は関係ないなあと思います こういう物がどんどん取り壊されるのは、悲しいとともにもったいないなあと心から思います 外側残して、補強とかできないもんなのでしょうかね? イタリアも暑いです おでかけしない分には家の中はまだ涼しいのだけど のんびり夏を楽しんでください ^^ Buona vacanza!!
Ciao junko さん 明治神宮表参道沿いの生活なんて、きっと同潤会アパートの住民たちは優越感をもって生活していたことでしょう。 尤も今でも、表参道ヒルズの住民たちは、垢ぬけした格好をして悠然と歩いています。 先日、同潤館を訪れた時は、賃貸店舗用の一室だけ空いていました。 お出でになりません?
![]()
歴史を感じさせる佇まいの同潤会アパート・・・・そこに住む住人ならずとも、どこか郷愁を感じさせる親しみがあります。。
しかし昨年起きたM9という巨大地震を受けて、今後さらに発生するであろう関東大地震の確率が一気に引き上げられたのは記憶に新しいところです。。 同潤会アパートも古い耐震基準に沿って建てられたものですから、今後は、解体するか、耐震補強工事をするかの二者択一であります。ただ一般論的に考えれば、中途半端な補強工事をするよりも、思い切って、解体、同潤会アパートも古い耐震基準に沿って建てられたものですから、今後は、解体するか、耐震補強工事をするかの二者択一であります。ただ一般論的に考えれば、中途半端な補強工事をするよりも、思い切って解体・建て直しを選ぶというのが、もっとも妥当と思われるところであります。。 ![]()
それにしても自宅近くにある我が街の小学校も、この夏休みを利用して耐震補強工事を進めていまして、外壁を一皮削り落し、鉄骨をむき出しにした上で、そこに新たな耐震補強工事を進めています。。
だもんで目下、朝から夕方までの日中を、超・半端ないガァ~ガァ~音が辺りに炸裂しています。。 猛暑の中の猛烈なガァ~ガァ~音は、タダでさえ糞暑い今年の夏を一段と暑くさせまして、我が家の家族も気も狂わんばかりにして耐えています。。(+_+。) それもこれも、そこに通う子供たちの笑顔、安心安全の為であり、これから9月いっぱいという長丁場の間を忍耐の上にも忍耐という特別態勢で過ごそうとしています。。 まっ、そんな訳でありまして、それはそれでしょうがないのは仕方ないにしても・・・・せめて耳栓ぐらいは欲しいものだと・・・・目下、感じているところであります。。 Dankkochikuさんも熱中症にご注意頂きますように、その為にもご自愛頂き、今年の暑い夏をご無事で乗り切って頂きたいものであります。。\_(-_- 彡
tomahawk_attack さん 町を歩いていると、時どき、往年の建物に居住者がいるのに驚くことがあります。 例えば、前に行った文京区の本郷館は、明治38年建築、木造3階建て、70室の学生相手の下宿屋で、昨年7月、解体が始まるまで居住者がいました。 防災の見地から改築は当然としても、300年、400年も前の石造住宅に今も居住者が多く住んでいる西洋と比べ、50年もすると老朽化を理由に解体、新築を繰り返すわが国の建造物の寿命は短か過ぎやしませんか。
地震国ならでは・・・なんでしょうね。多分・・・・(v_v)
tomahawk_attack さん 仰る通り、日本は世界有数の地震国。それなのに、地震のないフランス並みに原発に固執するのは無謀です。
こんにちは。
古い建物は独特の郷愁があり、人間的なものを感じます。 青山アパートの建物も私は好きでした。 耐震性のもんだかあるので難しいですが、東京から古い建物や町並みが消えていくのはさびしいものです。 チェコのプラハに行きましたが、旧市街は中世がすっかり残っていました。ブログに写真などで紹介いたしましたのでぜひご覧になってください。ご感想、ご意見などなんでもけっこうですのでコメントをいただけると大変うれしいです。
プラハ紀行拝見しました。
現存する最後の同潤会アパートは、6畳一間で風呂場なく、トイレは共同となると、一寸、怖気づきますが、入居している人にとっては、住めば都なのでしょうか。
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