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武家屋敷が集まっていた神田駿河台に次いで、今回は、神田の下町、江戸町人の町を歩く。
御茶ノ水駅聖橋口前の本郷通りを渡った一隅に、太田稲荷神社の神符とシメ縄をした一本の木が立っている。 前回訪れた太田姫日稲荷神社(一口稲荷)が以前は、ここにあったことを知らせる神木のムクの木があり、そこからJR線と並行する淡路坂を下る。 淡路坂の名前の由来は、家綱の時代、寛文3年(1663)に任命された鈴木淡路守重康の屋敷がこの辺りにあったからで、神田淡路町の名前もここからきている。 坂の途中辺りに江戸の狂歌師、蜀山人終焉の地を知らせる標示があった気がしたが、今年から始まった日立製作所本社ビルの改築工事中の板塀に囲まれ、見つからなかった。 坂の途中の電柱に名物の 「神田 やぶそば」 の広告がかっている。 ここは、明治13年開業の老舗のソバ屋で、初めての方は、好学のために是非、一度は入られてはいかがだろうか。 坂の下に昌平橋がある。 橋から御茶ノ水駅方向を眺めると、橋の手前でJR線は、煉瓦壁の上の軌道を走る中央線(写真左側)と神田川を鉄橋で渡ってそれる総武線に分かれる。 中央線高架下の飲食店街は、昼時とあって神田川に面したベランダ席も混んでいる。 昌平橋は寛永年間(1624-1645)に架けられ、橋の名前は何度か代っているが、犬公方と陰口を叩かれた綱吉が湯島聖堂を建設した際に、孔子の生誕地、魯の国の昌平郷に因んで付けた名前だ。 昭和になってできた湯島聖堂とニコライ聖堂をつなぐ聖橋よりもずっと古い。 上の写真は、昌平橋から見た、次の橋、万世橋。 そのもとは、延宝4年(1676)、現在の万世橋より150メートルほど上流にあった幕府の筋違(すじちがい)見附から神田川に架けられた筋違橋は、徳川将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、江戸切絵図にも書かれている。 明治5年に見附の門とともに橋も解体し、そこに東京で最初の石造の橋を築き、時の東京府知事が万世橋と命名した。 区教育委員会の掲示板によると、その後、この橋は崩れ、万世橋が現在の場所に架けられたのは明治17年(1884)とある。 子どもの頃、御茶ノ水駅と神田駅の間に万世橋駅があった。 駅前の広場には、日露戦争時、旅順港の閉鎖作戦中に行方不明になった部下の杉野兵曹長を探すうちに戦死した広瀬中佐との二人の大きな銅像があったが、戦後、早々に撤去されてしまった。 万世橋駅は、戦争中の昭和18年(1943)に廃止され、戦後も長らく駅に付属していた交通博物館も平成18年に埼玉県の大宮に移転して、今はない。 煉瓦建ての駅舎、博物館跡には雑草が生い茂り、狭い空き地はバイク置場になっている。 かつては、人通りの多かった万世橋駅前広場の姿はなく、中央線のガード下の国道17号線を疾走する車の騒音と近くで大型高層ビルの建設工事場だけが周囲を圧倒している殺風景な場所に化している。 前号にも書いたが、神田の地名は、神に納める作物の田に由来している。 古くから日本人が宗教的に崇拝したカミ(神)の語源は、上(カミ)に在って尊ぶものの意味であり、これに対して、死者の霊の集まる黄泉の国は、地下の穢れの世界で、死霊の穢れを祓い、人を悪と禍から守るために祀るところが寺院と考えられてきた。 そこで、「かみだ」 のある地に寺院があるのは相応しくないと、長い間、神田区には寺院がなかった。 ところが、昭和22年にその神田に仏教学者の故友松円諦師が創設した無宗派の寺院、神田寺が秋葉原にあると聞いて訪ねたが、そこは昌平小学校の前の3階建てのビルで、入口の案内板には、浄土宗とあり、幼稚園も経営していたのは意外だった。 万世橋から秋葉原駅に向かう中央通りは、東京一の電気店街だが、中央通りと外堀通りとの交差点付近で(上の写真)、平成20年6月8日、日曜日の歩行者天国にトラックを暴走させ、通行人をはね、さらに通行人、警察官をダガーナイフで刺し、併せて17人を殺傷するという秋葉原通り魔事件が発生した。 犯人の25歳の男は、「人を殺すために秋葉原に来た。 生活に疲れてやった。 誰でもよかった」 と供述した。 第一審裁判では男の刑事責任能力を認め、死刑が言い渡されたが、控訴し、いまも決着がついていない。 あの忌まわしい事件から4年が過ぎ、今も毎年6月8日には町に献花台がおかれるが、目を転じると相変わらず町にはメイド喫茶娘が立って通行人を勧誘し、加えて、AKB48劇場の派手な看板が電器店町を圧倒し、徐々にアキバの姿を変えているように見える。 (つづく)
by dankkochiku
| 2012-06-22 21:50
| ぶらり、まち歩き
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Comments(7)
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kiyotayoki at 2012-06-23 12:34
「神田 やぶそば」あたりというと、若かりし頃、松田 優作主演のTVドラマ『探偵物語』でロケに使っていたというビルを探し歩いたことを思い出します。
当時はまだ健在でしたが、もうとっくの昔に解体されて新しいビルになっちゃってるんでしょうね。
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dankkochiku at 2012-06-24 11:41
kiyotayoki さん 「神田やぶそば」の建物ば、昔のことで、よく覚えていませんが、入口の構えは木造です。 ただ、セイロの付け汁が塩辛く感じるのは、当方の、舌が変わったからかもしれません。
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cocomerita at 2012-06-24 18:11
Ciao dankkochikuさん
川沿いのカフェのような場所が気になります 笑 メイド喫茶... 秋葉原って、今の日本の近代文化を象徴する場所みたいですね 私は電気製品苦手なんで...ほとんど近寄りませんけど
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dankkochiku at 2012-06-24 21:37
Ciao cocomerita さん 線路下の店には、通勤人相手の赤提灯とか上野アメ横のような商店街が目立ちますが、ここは凝った造りの飲食店です。 メイド姿の喫茶店女子店員、戦前、ミルクホールと言った頃のエプロンの女給姿で町に立っていますが、私に言わせると、レトロというより時代遅れ姿というところ。 アキバの電器店は、オーディオマニアに魅力的なほか、澁谷、新宿、池袋などの電器具量販店よりも安いです。
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tomahawk_attack at 2012-06-25 11:45
この辺りは、しばらく行ってませんので、今も有るかどうか不明ながら、当時、万世橋の袂には「肉の万世」というのが有りまして、神田近辺に努め先があった私は、会社の同僚らと共に、ここで良く食事をしたもんでありました。。
ちなみに、ここの「カツサンド」も、わりとイケまして、オフィスでのランチは、テイクアウトした万世の「カツサンド」を良く食べました。。 それと記事にも出て来た「神田のやぶそば」でありますが、私的には、この「やぶそば」よりも、むしろ「まつや」の方を好んで良く食べておりました。あの辺では最高の蕎麦を出している店だと思っております。。
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tomahawk_attack at 2012-06-25 11:45
ちなみに「蕎麦」が看板の「まつや」でありますが、・・・
知る人ぞ知る・・・実はここ、「カレーうどん」の銘店という意外な側面も併せ持っておりまして人気を博しています。。 確か、ここのカレーは、中に入れるネギや鶏肉を、前処理として一端「蕎麦ツユ」に浸し、それを鉄板で軽く焼き上げて、コゲ目を付けるなどし、別添でカレーの中に放すなどの工夫をしていたと思います。。 だもんでネギや鶏肉の香ばしい旨味が、スパイシーなカレーと絶妙に調和し、なかなかの逸品に仕上がっていました。。 私は基本的に、「蕎麦」か、「うどん」かと聞かれれば、即座に「蕎麦」と応えるほど、大の「蕎麦」好きでありますが、ここの「カレーうどん」は、別格だと評価しています。。。\_(-_- 彡
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dankkochiku at 2012-06-26 09:47
tomahawk_attack さんは食道楽ですね。 「肉の万世」は、万世橋から目立つビルで、喫茶店からレストランまでやっています。 牛丼の松屋はしっていましたが、そば屋は、まったく初耳です。 それにしても老舗でカレーうどんとは驚き。
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