いまでこそ、西武線の練馬駅には、有楽町線、大江戸線、副都心線が乗り入れ、都営、私営の5社のバスステーションが整備され、西武線だけでも毎日11万人近い乗客が乗り降りする駅だが、練馬区が板橋区から独立した昭和22年以前は、町と付くのは練馬駅周辺の練馬町だけで、それ以外は、中新井村、石神井村、大泉村など 「村」 だった。
中村橋駅-練馬駅-桜台駅の各駅前を流れていた千川(現・千川通り)は、江戸時代に、玉川上水を今の西東京市と武蔵野市の境にある境橋あたりで分水し、江戸の小石川白山御殿、湯島聖堂、上野寛永寺、浅草寺への給水を目的に掘削した川で、江戸の武家屋敷、町屋でも飲料水として使われ、後には、農業用水にも利用し、明治以後は、東京水道局が昭和46年まで取水していた上水だ。
子どもの頃、練馬駅前の通りを流れる千川の両岸には桜並木があり、個人商店が並んでいた。 幅3、4メートルほどの川ふちには、転落防止の柵もなく、普段は流れも遅く、あまり澄んでもいなかった。 うろ覚えだが、「上水につき立ち小便禁止」 といった文句の立て札が所どころ立ち、これが水道水になるのかと思いながら木橋を渡って登下校した。 都市化の進展に伴って、都心側から千川の暗渠化が進み、練馬駅前の千川が消えたのは昭和28年で、今では千川通りの名前だけを残し、交通量の多い商店街に変った(下の写真は、現在の千川通り、大江戸線練馬駅入口)。 しかし、千川に掛かっていた中村橋からとった中村橋駅まえ千川通りの方は、暗渠にした上に植え込みがあり、昔の面影をとどめている。

一方、区役所のある目白通りは、都心のビル街と変わりなくなったが、昭和14、5年頃は、広々とした農地を切り開き、コンクリートの道路建設工事の最中で、「十三間道路」 と呼ばれ、練馬では一番広く、見通しの良い直線道路だった。 街路樹は、まだ若木だったが、電柱がなかったので、緊急時に軍用機が滑走路に利用する道路という噂も耳にした。 というのも、現在の光が丘団地は、当時、成増陸軍飛行場があった場所柄、その噂には真実味があった。 しかし、戦局が日増しに悪化し、重大期を迎えるに従って、工事は中断され、代って道路脇には、家庭菜園が増えていった。 戦後、十三間道路は、千川通りと交差し、「清戸道(きよとみち)」 につながり、目白通りと名をかえた。 清戸道とは、江戸時代に清瀬と江戸を結ぶ道として名付けられたもので、昔を知る住民は、まだ、そう呼んでいた。

千川通りと目白通りとの間に、大鳥神社がある。 戦後しばらく、神社の周りは、食料品店、衣料品店、雑貨店への買い物客がひしめき、活気のある路地だったが、いつの間にか飲食店街となり、昼間は閑散とした通り道でしかなくなり、大鳥神社も昔と比べるとお参りする人も遊んでいる子どもも減った気がする。
ここで、ちょっと不思議な話を二つしよう。 西武線練馬駅から上り線で二つ目の江古田駅で下車しても、付近には江古田町はない。 江古田町は、江古田駅からかなり南に離れた練馬区と隣接する中野区に入ったところに1丁目から4丁目まであって、そこの小学校は、江古田小学校である。 公式には、江古田駅は 「えこだ」 と読み、中野区の江古田町は 「えごた」 と、読み方が違うだけでなく、江古田町へ行きたいひとが、江古田駅で下車して江古田町へ行くには、JR中野駅行きの関東バスを利用するのが無難だ。 何故、場所の呼び名が二つに分かれたのかはっきりしないが、とにかく、初めて江古田駅に降りた人を戸惑わせる所だ。
もう一つの不思議は、バス路線の話。 JR中野駅から練馬区方面へ行く路線バスは、駅北口には関東バス停が、南口には京王バス停があって、西武線の中村橋、練馬、江古田の各駅へ行くのには、2社が重複、近接した道を走るので、便利だ。
ところが、この路線の一部に、1日に1本。 それも早朝だけ。 単独路線を走る 「中村橋」 行きの往路だけで、中野方面への復路がないという不思議なバス路線がある。 JR中野駅から中村橋行きの関東バスは、中野道から左折し、新青梅街道を通り、江古田(えごた)1丁目にある関東バス丸山営業所を通って行くのだが、朝6時20分に丸山営業所を出庫する中村橋行きのバスだけは、下徳田橋から他の関東バスは二又交差点を右手に行き、「豊玉南1丁目」 のバス停に行くのに、このバスだけは左手に行き、次の 「中新井橋」 停に6時23分に着き、それから、氷川神社、西本村橋などのバス停を通り、「中村3丁目」 のバス停まで他のバスが通らない単独区間を走り、その先で、通常の路線と合流して中村橋へと向かう。
因みに、中新井橋バス停の前には、カトリックの女子修道院や高層マンションがあり、交通量は少なく、閑静な住宅街がずっと続いている。
日曜、祝日、平日を問わず、1日1本しか来ないのに、通常の路線バス同様、車内放送をし、停留所案内表示をしながら走るという不思議なバスに、わざわざ早起きをして、出かけて来る元気も湧かず、残念ながら乗ったことがないが、一体、どんな乗客が毎日、何人くらい利用しているのか想像もつかない。 好奇心の強いお方からの体験談をお待ちする次第だ。
なお、このバス路線についての記事は、「関東バス・アーカイブス 「味わい」 路線解説(中24-1)」 を参考にさせて頂きました。