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フランスの文豪、モーパッサンとの最初の出会いは、中学、高校生のころ、世界文学全集で読んだ 「女の一生」 だった。 話の筋は殆ど覚えていないが、ずいぶん暗い話だと思った記憶がある。 ただ、この小説の題名、Une vie を 「ある人生」 といった中学生の訳ではなく、女性不定冠詞をちゃんと生かして、「女の一生」 とした翻訳者の文学的才能の素晴らしさには感動したし、また、女主人公の、C’est la vie !(これが人生さ)の言葉で終る本文の格好よさにすっかり惚れて、得意がって、連発したことも忘れられない。
無駄話はさておき、こんな昔話を思い出したのは、先日、図書館でモーパッサンの 「ロックの娘」(大田浩一訳、パロル舎発行)という手頃の厚さの本を見つけたからだ。 8編の作品のうち、「ロックの娘」 と 「モアロン」 は、いずれも、殺人事件をテーマにしたものだが、サスペンス小説の類ではない。 社会的に人望を集めていた主人公が殺人鬼に豹変する動機、あるいは、犯行後の心の動きが描かれていて、奥が深い。 「ロックの娘」 の筋はこうだ。 妻と死別後、家事を使用人に任せて生活する村長が、夏の夕涼みに自分の敷地内の森を散策中に、ロックの家の12歳くらい少女が一糸まとわず、森の中の川で水浴びをしている姿に欲情を燃やし、犯してしまう。 発覚すれば身の破滅と直ぐに気付き、慌てて金でかたを付けつけようとするが、騒がれて殺害してしまう。 娘の衣類は川の深みに隠し、遺体はそのままにして、遠回りして、いつもの夕食時に帰宅した。 翌日、犯行現場を通りがかった郵便配達人が裸の少女の遺体を発見し、村長に告げる。 村長は、早速、警察、役場の書記、医者を手配し、自分も郵便配達人に案内をさせて現場へ急行する。 事件を聞いて予審判事、憲兵隊長、司祭らが駆けつけ、そしてヤジ馬たちも集まってきた。 昨夜から行方不明の娘を案じていた母親は、裸姿の娘の遺体に取りすがり号泣し、衣類が見当たらないと叫ぶ。 村長も皆と一緒になって、娘の衣類を探すが見つからない。 ところが、その翌朝、母親が家の戸口を開けると、そこに娘の木靴が一足、揃えて置いてある。 犯人は、昨日、役人たちが検証した現場に居合わせた村びとであり、母親に同情して娘の形見を置いたに違いない。 早速、日ごろ、評判の良くない幾人かが疑われ、逮捕されたが、いずれも無実と分かり、捜査は、夏中かかっても進展しない。 村びとの間に、殺人犯は今も村の中に住んでいるのではないかとの恐怖感と疑心暗鬼が広がる。 村長は、捜査が続けられていた間は、終日その対応に追われていたが、捜査が打ち切られ、一人になると、彼に犯され、絞め殺された娘の幻影に付きまとわれ、良心の呵責からではなく、後悔の念から疲労困憊の毎日に打ちのめされ、自殺を考える。 しかし、村長が自殺したとなると、その原因が追究され、彼の犯行が明らかになれば、これまでの名声も、また、代々、続いてきた家の名誉にも傷が付くのは明らかで、自殺するわけにいかない。 そこで、彼は、親しい仲の予審判事に罪を自白し、犯行を内密にするように依頼した手紙を投函した後、家の高い塔の上に立つ旗竿の修理中に、誤って転落する事故死を装うことに決める。 だが、いざとなると、決心が揺らぎ、先刻、投函した手紙を取り戻そうと郵便集配人の来るのを待って返却を求めるが、規則を盾に頑として応じない。 村長は、咄嗟に、塔に駆け上がり、壊れた旗竿の修繕を装い、旗竿を激しく揺らしたはずみで塔の上から転落死する。 もう一つの話、「モアロン」 は、ある地方の教師による殺人について元検事総長の口から語られる奇妙な事件。 モアロン氏は、聡明で、思慮に富み、信仰心があつく、その地方では、どこでも評判がよかった教師。 彼には3人の子どもがいたが、3人とも胸の病で亡くし、それからは子どもへの愛情をすべて教え子に注ぎ込む。 中でも、一番の優等生には、賞として、自腹でおもちゃを買い与えたり、砂糖菓子やケーキなどを食ぜべさせたりするほどの善意の心の持ち主で、誰からも好かれ、信頼されていた。 ところが、ある日、彼の生徒5人が相次いで、食欲がなくなり、腹痛を訴え、苦しみながら死ぬという奇妙な事件が起こる。 伝染病を疑い、死体解剖もしたが毒物は発見されなかった。 その1年くらい後になって、またもモアロンのお気に入りの優等生2人が相次いで死亡。 検視の結果、今度は、どの死体からも細かく砕いたガラスの破片が内蔵器官に付着しているのが見つかる。 たまたま、モアロンが生徒のために買い置いた砂糖菓子を盗み食いした女中が、死んだ子どもと同じ症状に罹ったことから、菓子類を調べたところ、そのほとんどにガラスのかけらや折れた針の破片が見つかり、モアロンは容疑者として逮捕される。 しかし、日ごろから思慮、人望が高く、信心深いと評判のよい男がなぜ生徒たちを殺そうとするのか、動機が全く掴めない。 彼は、自分を陥れようとする者の仕組んだ罠だと自信をもって主張するが、彼の犯行を裏付ける証拠が次つぎに現れ、死刑を宣告される。 しかし、獄中でモアロンと接してきた司祭もまた、彼の犯行に疑いを感じ、特赦を申し出て来た。 検事総長は、考えあぐねた末、国王に恩赦を求め、皇后も、神の要請に従う司祭の言葉を無視して、無実の人を処刑するわけにはいかないと、特赦の決定を出し、労働刑に減刑する。 何年かがたち、事件が忘れられたころ、刑務所の司祭が検事総長を訪れ、一人の瀕死の囚人が会いたがっていると彼との面会を依頼され、出かける。 そこで、病床のモアロンに再会。 彼は、検事総長に犯行の一部始終を告白し、これまで犯行を否認してきた理由を話す。 モアロンが教え子たちを殺害したのは、神が彼の3人の子どもの命を奪ったからだという。 神は、命あるものを殺すのが好きなのだ、神が生き物に命を与えるのは、もっぱらそれらを殺すためであり、そのために、神は、病気、事故を考え出し、狩猟で動物を殺す楽しみを人に教え、時には、戦争を起こして何十万もの兵士の命が奪われるのを喜んで見ている邪悪な存在だと言う。 子どもたちを次々と殺したのは、モアロンであって、神ではないと、神にひと泡吹かせてやろうとしたからだと語る。 そして、裁判で自分がギロチンにかけられることになれば、さらに神を喜ばすことになるので、司祭を呼び、嘘をついて、特赦を受け、生き延びることができたが、それも今ではできなくなった。 しかし、「神なんか恐れてなんかいません。 あんなやつは屁とも思っていません」 と薄笑いする男と検事総長は別れ去って行く、ところで物語が終わっている。
by dankkochiku
| 2011-08-28 22:31
| 非行・犯罪
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Comments(6)
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cocomerita at 2011-08-29 18:38
Ciao dankkochikuさん
へ~~~モーパッサンがこんな類の小説を書いていたとは... 面白そうですね 村長だの教師だのって、つまり世間から聖人みたいに見られてる人にはその陰で、もしかしてそうではない自分との葛藤がたまって行くのかもしれませんね ちなみに、自分で聖人のごときと称する神父たちによる、ほぼ世界的規模でおこなわれていた幼児性的虐待は、あれだけ盛り上がったのに、今では誰も何も語らなくなりました ラッツィンガ―法王が謝罪をしながら、その陰で、ヨーロッパ一といわれる弁護士を立てたってのにも、笑いましたが... ちなみに、この事件が世界的に発覚する以前に、この現象を知り、被害者の口封じのための予算を組んだのは、法王になる前のほかならぬ彼だと言うことです あーあー
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dankkochiku at 2011-08-30 09:53
Ciao cocomerita さん そうそう、昨年、カトリック教会の司祭や修道士による子どもなどへの性的虐待が世界各地で暴かれ、ローマ教皇退位要求デモが世間から起こりましたが、どうなったのでしょう。 日本でも、50年代に杉並でスチュワーデスが殺害され、疑惑のベルギー人神父がそのまま帰国した事件がありましたね。 尊敬される地位の人のそれにふさわしくない犯罪は、とかく好奇の目で見られ、マスコミのいいネタになりますが、とかく、そういう地位の方は、普段、世間体を気にして、抑圧が高く、その反動も大きいのかも知れません。 一皮むけば普通の人。
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tomahawk_attack
at 2011-08-30 11:20
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社会的に功成り名を遂げた人が、或る日、殺人鬼に豹変する。あまり考えたくない展開ですが・・・世間ではワリと有り勝ちなことのように思います。。
ニュースで拾うと、最近は、医者や弁護士は言う及ばず、裁判官までもが、今では「当たり前」のように盗撮やストーカーを平気でします。それらを取り締まる側の警察官も万引きや同僚の金を盗み巻くってます。。 そういう人達の中には、立場から「オレは偉い」と勘違いをし、「奢り高ぶり」により、周りを見下すようになってる・・・のだと思います。。 神様は、そういう者どもを、空の上から、つぶさにご覧になっておられますので、あんまり調子こいてる者には程度に応じた「お仕置き」をなされることがあります。。 私たちは、それを「魔が差した」などと言って、極度に怖れますが、「謙虚さを忘れないように」という神様からの戒めなのだと考えれば・・・一定の納得もつきます。。
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tomahawk_attack
at 2011-08-30 11:21
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しかしながら、それらとは別に、子供の頃から「この子は良い子だ、良い子だ」などと言われ続けると、言われる方にしてみれば、義務感というか、そうせねばならなくなって、本当の自分とのギャップに苦しみ、激しいストレスを感じる事態も起きます。。
そうした窮屈な生活を送り続けると、或る日、なんらかの出来事を切っ掛けとして、本来の自分に立ち戻ろうとする「揺り戻し」が働く時が出て来ます。その揺り戻しの時にも、得てして、こうした悲劇が起きてしまうことがあるように・・・感じているところです。。 そして、社会的に功成り名を遂げた人が、内面にこうした悩みを抱えている場合もまた、奢り高ぶりから魔が差してしまうのと同様に、思わぬ結果を招いてしまうことが有るのではないでしょうか・・・ おそらく、今と違い宗教色の高かった時代なれば尚更のこと、自身のもつ良心との葛藤により、ここの主人公のような悲劇的な道を選ぶ者も多くいたと思われます。。
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tomahawk_attack
at 2011-08-30 11:21
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ちなみに、この小説に登場する村長でありますが、察するところ、内面に「小児性愛」の気が有ったのかもしれませんね。年頃の娘を見て欲情するのとは・・・本件は、ちょっと違うケースですから・・・
少なくとも旺盛な性欲の持ち主であったことは・・・間違いないところでありましょうし、印象としてはDVの気も少なからず感じられました。。 おそらくは、そうした事情が複雑に絡み合って、このような不幸な結果を招いてしまった・・・ということではないでしょうか・・・そんな気が致しました。。 中世のヨーロッパでは不条理な魔女裁判が横行した時代もあったと聞きますし、日本も同様ですが、今のような科捜研のなかった前時代なれば、こうした事も、わりと有り勝ちな風景だったのでしょうね。。 日本では、先ごろ、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさんを強姦し殺人をした裁判の一審が有ったばかりですが、この小説の村長と、市橋容疑者では人間性の面で、かなりの開きを感じました。。。\_(-_- 彡
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dankkochiku at 2011-08-31 22:46
tomahawk_attack さん 功成り名を遂げた人ほどでなくても、50歳半ばの人が、、破廉恥な犯罪をして、汚名を天下に流し、それまで、築き上げた貴重な人生を無駄にする、あー勿体ない思う人がいますね。
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