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死刑制度については、以前から気に掛りながら、あえて避けてきたのは、戦前から死刑の存続・廃止を巡って、個人の信条や実証できないことを推測し、論争に興じる学者たちの水掛論の多さにうんざりしていたからだった。
しかし、1990年代以後、死刑制度の廃止国が急に増え、すべての犯罪に対して死刑を廃止した国が95か国、軍法下の犯罪など以外の通常犯罪に対する死刑廃止国が9か国、過去10年以上死刑を取り止めている事実上の死刑廃止国が35か国の計139か国と、死刑廃止国が世界の大勢を占めてきた中で、先進国では日本と米国(うち14州は死刑廃止)だけが死刑廃止に反対し、いつまでも世界のすう勢に逆行し続ける姿勢への疑問や近年、死刑やそれと僅差の無期懲役刑の確定者の無実が続いて明らかになるのをみて、従来の刑事政策に矛盾を感じるようになった。 国連の世界人権宣言の法的な裏付けとなる国際人権規約が1976年に発効し、日本も79年に批准した。 しかし、死刑を人権問題として、89年12月、国連総会で取り上げた死刑廃止条約の採決に日本は反対にまわり、「総論賛成、各論反対」、タテマエとホンネの違うお国柄を世界にさらけ出す格好になった。 国際人権規約は、死刑を直ぐには廃止できない状況にある国の事情を考慮し、それらの国には、廃止に向け、死刑が適用される罪の数を減らし、執行を減らすなどの努力を求めたが、この暫定措置を 「死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために援用されてはならない」(第6条6)と釘を刺し、その努力の成果を国際人権規約委員会へ毎年報告することを義務付けた。 これに基づいて、2008年10月、ジュネーブで開催された国連のB規約人権委員会で、日本の人権保障状況を審査した結果、10年前の前回審査で 「死刑廃止に向けた措置をとるべきだ」 と勧告したのにも関わらず、その対応がとられず、かえって執行数が増加したことなどに厳しい批判が集中した。 当時の日本の死刑執行人数は、97年が4人、98年が6人だったのが、その後の重罰化傾向の影響を受け、07年は9人、08年は15人と、急増したことが世界の死刑廃止の潮流に抵抗していると映ったのだ。 この会議で、日本代表は、死刑制度廃止に反対し、「国民世論の多数が凶悪犯罪については死刑もやむを得ないと考えている」、「死刑制度廃止は日本国憲法に違反する」、「国連総会決議の採択を受けて死刑執行の猶予、死刑の廃止を行うことは考えていない」 などと従来からの主張を繰り返しただけだった。 これに対し、17人の国連委員の間から、「死刑によって重大な犯罪を抑えることができるのか」、「人権問題である(死刑)制度の存廃を世論調査で決めるべきでない」、「この問題では、政府が世論をリードすべきだ」 など厳しい批判的意見が相次いだ。 フランスが、1960年代に凶悪事件が増え、1980年の時点で死刑廃止反対の世論が60%だった中で、死刑廃止を公約に掲げて就任したミッテルラン大統領が1981年に廃止を決定し、18世紀ルイ16世時代から続いたギロチンと別れを告げた実績を示した。 日本代表が死刑廃止の理由に挙げた国民世論とは、1956年から総理府がほぼ5年毎に、これまでに9回実施してきた死刑制度についての世論調査に基づくものだが、8回目の2004年以後、死刑制度存続に賛成が80%以上占めている。 特に、09年の世論調査では、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」(死刑廃止派)は5.7%に過ぎず、「場合によっては死刑もやむを得えない」(死刑存続派)は85.6%と、これまで行ってきた9回の世論調査の中で最も高率だった。 死刑廃止派の理由は、「生かしておいて罪の償いをさせた方がよい」(55.9%)だけが過半数で、次は、「裁判に誤りがあったとき、死刑にしてしまうと取り返しがつかない」(43.2%)、「国家であっても人を殺すことは許されない」(42.3%)の順だった。 この中で誤判の危険性を死刑制度廃止の理由にあげたのは、半数に満たなかったが、傾聴にあたいする意見だ。 人間には誤った判断が付きものだし、いくら裁判が慎重審議を重ねても誤判の可能性は完全に拭えないことは、これまでの重大事犯の冤罪事件からも明白だ。 ましてや、長年続いた供述調書中心の捜査と裁判が違法・不当な取り調べを生んだり、有罪に不利な証拠隠しが日常的に行われていたりしたことが明らかになり、刑事司法の改革が叫ばれている現在、確実な証言、物証のない状況証拠だけの死刑判決は冤罪を生む危険性が大きい。 人権重視の刑事政策を望むならば、「ごく稀に無実の者が処刑されても、犯罪予防に役立つならば仕方ない」、「死刑を廃止すれば、日本は犯罪天国になる」、「死刑がなくなると、無期囚は平気で刑務官を殺傷し脱獄を図る」 などの暴言は容認できるものではない。 他方、死刑存続派があげた理由には、「死刑を廃止すれば、被害を受けた人やその家族の気持ちが収まらない」(54.1%)、「凶悪な犯罪は命を持って償うべきだ」(53.2%)、「死刑を廃止すれば凶悪な犯罪が増える」(51.5%)が、過半数を占め、次いで、「凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと、また同じような犯罪を犯す危険がある」(41.7%)の順で多かった。 この中で、被害者感情を重視し、死刑の必要性をあげた人が過半数を占めたことは、被害者救済を忘れた死刑廃止論は支持されないことを示したものだ。 しかし、加害者を処刑した後でも、被害者やその家族の無念さは消えることはないだろう。 とすれば、被害者、その家族が置かれている経済的、精神的に困難な状況を少しでも緩和し、安全で安心して暮らせる生活を目的に制定された 「犯罪被害者等基本法」 の趣旨に則った継続的な支援を充実させることがまず必要条件であることは言うまでもない。 それにしても、日本の犯罪情勢が沈静化している現在、世論の85%以上が死刑を支持するのは何故だろうか。 自分の僅かばかりの正義感を表明するために、極刑に処するいけにえを必要とするのだろうか。 ずれにせよ、日本は、いま、死刑制度について再検討の時期にきていることは間違いない。 追記: 最後の死刑執行から7月28日で1年を迎えるのを機に、読売新聞(7月26日付け)のインタビューに応じた江田法相の記事を引用する。 法務省で死刑制度のあり方の議論が進められていることから、「(議論の)最中に執行することは、なかなかできる話ではない」 と述べ、当面は執行を命じない意向を明らかにした。 また、江田法相は 「人間というのは理性の生き物なので、理性の発露として人の命を奪うのは、ちょっと違うのではないか」 と死刑に対する消極的な考えを示し、そのうえで執行について 「法務大臣に与えられた権限をどう行使するか、世界の趨勢をにらみながら考えている」 と述べたとある。 法務省によると、28日現在の死刑囚は過去最多の121人に上っている。 ★ 「非行・犯罪」 をテーマにしたこのブログも今回で50回目となりました。 この機会に、別のテーマを模索しながら、しばらく夏休みに入らせて頂きます。
by dankkochiku
| 2011-07-10 21:19
| 非行・犯罪
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Comments(16)
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tomahawk_attack
at 2011-07-11 12:17
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つい最近、千葉県市川市のマンションで英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさんを強姦し殺害した市橋被告の裁判員裁判が始まったが、その法廷に臨むリンゼイさんのご両親が来日されていて、被告席に立つ市橋被告の態度に反省の情が見られないとして、記者会見の席に於いて、この国の最高刑を望んだ。即ち「死刑」の判決を、という意味だと思う。。
死刑というと、これまでは、大抵の場合、二人以上の殺害した場合に適用されることが多かった日本だが、裁判員裁判の導入以降、例え殺害人数が一人であっても、悪質な場合は容赦なく死刑が宣告されるようになっているように感じられる。。 確かに被害者と、その遺族らの悲しみを想えば、う~むという気もするが、あまりに厳しいのも如何なものかと言う気はする。。
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tomahawk_attack
at 2011-07-11 12:18
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ちなみに、三月にあった飲食店経営者の男性を殺害した伊能和夫被告の裁判員裁判判決でも一人の殺害で「死刑」を宣告されているし、つい最近でも、2009年に千葉県松戸市で起きた千葉大4年の荻野友花里さんを殺害した竪山辰美被告に対し、千葉地裁での裁判員裁判では、被告に対し「死刑」の判決を言い渡している。。
まっ裁判員裁判は、あくまでも一審の審査であり、その判決に不服なら、被告には上告の道が残っている訳で、直ちにオタオタする話にはならないと思うが、でも随分と世の中が変わったように感じられる今日この頃である。。\_(-_- 彡 それだけ酷い事件が多くなり、市民感情的には厳罰を求める傾向が強まっている表れなのだと感じられるところ。・・・う~むである。。。\_(-_- 彡
CIao dankkochikuさん
私は私の大事な人を殺されたことがないので、言うのは簡単だと思いますが、それでも死刑には反対です その時はよくても、その犯人の命を断って、果たしてご家族の人たちの気持ちは安らかになるのだろうか?と思うからです そして、いかなる人でも、その一個の人間の生を断ちきる権利はないと考えます その本人が、誰かの生を断ったとしてもです 目には目、歯には歯では、この負の連鎖は続き、断ちきれません ですから、dankkochikuさんが文章の中でおっしゃってるように、被害者のご家族の人々の、経済的かつ精神的サポートが必要であると考えます
続く
あくまでも個人的な意見で、なおかつ愛しい人を奪われたことのないものの意見として、後悔の念は周りから強制されて生まれるものではなく、そういう感情を持たない人間はそれを生きて悩む それは罪を犯したその本人のさらなる罪であり、それに向かいあうのは、また向かい合わなかったとしても彼個人の問題なのではないかとも思ったりします 殺されたあとで、反省してもらっても、失われた人が帰ってくるわけもなく、刑を軽くするためのお芝居ということだってありうるわけですからね 私には、その目には目の、の国民感情のほうが、ちょっと怖いです のんびりと良い夏休みをお過ごしください ^^
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dankkochiku at 2011-07-11 22:24
tomahawk_attack さん 今回裁判の死刑判決が妥当かどうかは別にして、この被告人は、18歳で少年院送致以来、凶暴な事件を重ね、2回服役し、出所後3か月足らずで今回の強盗強姦、強盗致傷、監禁、窃盗など9件の事件を起こしており、殺人の被害者は千葉大生1人だけでしたが、ほかにも被害者がおり、稀に見る凶悪犯罪者ですから、この判決も分かります。
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dankkochiku at 2011-07-12 20:30
Ciao Junko さん 古代には、目には目を、歯には歯を、といいましたが、現在、窃盗、詐欺、強盗、横領など財産犯罪の加害者は、一定期間、懲役刑を受ければ、もう、被害者への責任は果たし終わったと、サバサバした気持ちになれるのに、他方、被害者の方はいつまでも悔しい思いをするというのも、なにか矛盾していると思いませんか。 むしろ、財産犯人には損賠賠償を科し、それができない者は懲役刑にするのが合理的に思いますがどうでしょう。つまり、財産犯には目には目の刑罰です。
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desire_san at 2011-07-17 16:49
こんにちは。時々訪問させていただいて、ブログを興味深く読ませて頂いています。死刑の問題は、私も時々考えていますが、犯罪費被害者のお気持ちも考えると、論じるのは大変難しい問題だと思います。
海外に行ってみると、日本と驚くほど価値観やものの視点が違うことがあり、物事を考える上で視野が広がります。機会を見つけて、日本とは土壌の違う国を訪問するように勤めています。 私はブログに、北のヴェネツィアといわれるロシアでも最も美しい町といわれるサンクト・ペテルブルグの写真をブログにのせました。町の雰囲気が感じられる写真を選びましたので、是非見てください。 よろしかったらブログになんでも結構ですので、コメントをいただけると感謝致します。 これからしばらく、少しづつロシアの写真を紹介しますので、よろしかったら時々みて下さい。ロシアの人々の勝つ菅についてもいずれ書いてみたいと思います。
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dankkochiku at 2011-07-17 20:12
desire_san さん コメント有難うございます。 死刑制度についての世論調査結果、全国から無作為に選んだ1944人からとはいえ、死刑存続派が85%以上とは異常に高く、その原因がよく分かりません。
海外紀行の折には、是非、現地の人たちの物の考え方もお伝え頂けることを期待しております。
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melodynelson-2812 at 2011-07-31 14:24
こんににちは、junkoさんの所でコメントを拝見しました。
初めてコメントさせて頂きます。 私も長らく死刑存続派の多さの理由を考えております。存続派 の多さもさることながら、なんどかこの死刑廃止問題について 語り合いましたが残念ながら全く議論になりませんでした。 というのも、死刑廃止という立場を明確にする私は”ただの理想主義者”と位置づけられ ”麻原彰晃のような人に自分の税金を 使われるのは嫌だ”というような感情論を一方的に聞かされた だけで何故か相手が怒り出してしまいきちんとした議論ができた 試しがありません。 以前、亀井静香氏などは明確に死刑廃止論者と明言して勉強会など開いていましたが最近は触れなくなりましたね。 >>死刑制度の 再検討の時期にきていることは間違いない。 というのに同意いたしますが、果たしてその土壌ができているか どうかという事には甚だ疑問があります。
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melodynelson-2812 at 2011-07-31 14:35
>> 続く
記事内でも言及されているフランソワ・ミッテラン元大統領 の決定ですが、当時フランスでも ”心情的死刑存続 ”派の方が多数だったそうです。廃止決定は限りなくミッテランが強行した形で行われた訳ですが、半世紀を経た今、フランスでも凶悪犯罪が起きると ”死刑復活論”を唱える評論家も時々いますが 色物の極論扱い以上に取りあげられる事はないのが現状です。 当時のミッテランの強権的な決定ですが半世紀を経ての評価は 概ね彼は大統領として正しい事をした。という物です。 原発論議にしても以前は反対と推進の単純二項対立に陥り みなうんざりして、脇に追いやるというような形でしたが、 私はそのような過去を非常に悔やんでおります。 死刑廃止に関してはその愚かな失敗を踏まないように、 建設的な論争ができるようになれば良いと願っております が・・正直懐疑的でもあります。
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dankkochiku at 2011-08-01 12:42
melodynelson-2812さん コメント有難うございます。 これまでの死刑の存廃論の殆どが、双方の論者の感情、信条に基づいた主張の水掛論に終始してきました。こうした議論の仕方ではいつまでも決着をみることはないでしょう。
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dankkochiku at 2011-08-01 23:43
melodynelson-2812 さん そこで、実験的に、死刑を廃止してみることです。それが不安ならば、死刑の執行停止を続け、その結果を実証してはどうでしょうか。 日本で死刑に当たる重大犯罪の認知件数は、1955年以降、減少傾向にあり(昨年の殺人件数は戦後最低でした)、一方、死刑の執行件数も減り、77年以降は、2008年を除くと、年間10件以下、0~5件以下の年が15年間続いた時ありました。 つまり、それくらいの死刑執行件数が、犯罪抑制にどれほど威嚇効果があるのか、極めて疑問。 とするならば、死刑を存続しようが廃止しようが、重大犯罪の発生にそれほど大きな影響はないのではないでしょうか。
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desire_san at 2011-08-04 14:11
こんにちは。また訪問させて頂きました。
話題に関係ない話で起用祝ですが、世界で最も美しい宮殿建築とエカテリーナ宮殿の写真をブログに載せました。 見ていただけるとうれしいです。 その前には。ロシアの歴史と文学について書いてみました。ロシアの国民がいかに厳しい歴史を経験してきたかを考察してみました。あわせて読んでいただけは、幸いです。 よろしかったらブログに感想などなんでも結構ですので、コメントをいただけると感謝致します。
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marquetry at 2011-08-05 00:09
私は、今のところ死刑存続派です。
もともと死刑など法の裁きは、悪い事をしたらこうなるのよ!的な部分が大きく、何ら、当事者や被害者遺族の処方薬になる訳ではないものだと思います。(捜査によって、真実が伝えられる事で、少しは違うとは思いますが..)もし、私が大事な人を殺されたら、私はきっとその相手を殺したいと思うだろうし、どうして殺されなきゃ行けなかったのか?知りたいと思うでしょう。私の事だから、目の前にいたら、迷わず、殺そうと行動する気がします。本当に相手を殺せるかどうかは別として、私の中にあるそうゆう部分が有る以上、死刑反対を私が言うのは、何だか矛盾するきがして...。
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marquetry at 2011-08-05 00:09
つづきですそれに、私がもし法の番人なら、強姦殺人者には、死刑よりも強姦される刑を言い渡しそうですし...どちらにしても、私の中には、かなり残酷でおろかな部分がしっかり存在しています。
死刑廃止になることで、捜査のミスなどにより失われる命は無くなるかも知れませんが、死刑の廃止には、もっと、再犯についてや、犯罪者と共存する可能性に対し、一般生活者が対峙出来る様なサポートも必要だと思います。 もちろん、dankochikuさんが言うように、被害者遺族へのサポートが充実する事が大事ですし、ここに至れば、警官たる者の職務も変わらなければならないと思います。 私自身のなかの凶器な部分を、自分でコントロールする事が出来ると思えたら、死刑廃止と言える様な気がしてます。 死刑制度について、自分が考えられる事は、こんな程度ですが、コメントしてしまいました。すみません。 良い夏休みを...。
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dankkochiku at 2011-08-06 15:50
marquetry さん 殺人の被害者の遺族、ひどい後遺症に悩む被害者にとって、加害者を殺しても余りある心情は理解できますし、こうした原始的報復感情から逃れることはできません。ただ、被害者側の加害者に対する無念の晴らし方には、差があるようです。 例えば、人権弁護士といわれ死刑反対論者だった弁護士の岡村勲氏は、妻を殺害されて以降は妻を殺害した犯人の死刑を望むようになって死刑存置論者になった例とか、やはり死刑廃止論者だった弁護士の磯部常治氏は、妻子が殺害されてもなお死刑廃止の立場を変えなかった例があります。また、昭和55年に新宿駅西口バス放火事件で全身火傷を負い、奇跡的に回復した杉原美津子さんは、無期刑で服役中の犯人と幾度も面会し、寛大な刑を求める上申書を出しました(その後、犯人は受刑中に自殺)。また、最近では、刑法を応報的司法とする考え方から加害者と被害者の関係修復による癒しにあるとする思想も広がっています。
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