カテゴリ
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
画像一覧
|
平成10年以後、12年間にわたって自殺者が3万人を超えている。 この数は、人口10万人当たり28.5人と、世界103カ国中、第6位と深刻な社会問題だ。 自殺の原因・動機は、個人的、社会的な様々の要因が絡み合っているので、一つとは言えないが、平成21年の警察庁の統計によると、健康問題が最も多く全体の47%、次いで経済・生活問題の26%で、併せて70%以上を占め、現在の社会病理を反映している。
では、現在と比べ、遥かに衛生、医療、生活程度の低かった江戸の庶民ではどうだっただろうか。 統計的には分からないが、意外と男女問題、心中が社会問題になった一時期がある。 その当時、幕府は次第に統制を強め、鎖国政策をとり、封建制のもと身分制度を定着させた。 他方、太平の世が続き、交通、商工業の発達、貨幣経済が普及し、町人が実力を増し、町人道徳が生まれ、経済面では武士階級を圧倒する時代えと進んだ。 こうした時代の変化の中で、俳句、浄瑠璃、歌舞伎、浮世草紙、人情本などの町民文学が台頭する。 特に、浄瑠璃から分かれた新内節は、世の掟、習俗に妨げられて叶わぬ恋心をあの世で叶えようする男女の心中事件を好んで題材にした官能的、退廃的な 「心中もの」 が大受けする。 その影響は、江戸、大坂では心中自殺の流行となって現れた。 幕府は、この風潮を危惧し、享保7年(1722)に 「心中禁止令」 を出し、心中した男女の取り扱いを定めた。 心中の男女のいずれか一方が未遂の場合は斬首、これを題材にした小説、戯曲類の出版・上演の禁止、心中死した男女には葬式を出さず、両方が未遂に終わった場合は、3日間、(江戸では日本橋で)晒しものにし、身分にかかわらず非人にする(「男女申合にて相果侯者之儀、一方存命に侯ハバ下手人に申付、且又此類、絵草紙又はかぶき狂言杯にも致させず、尤も死骸弔い侯事停止可申付侯。双方共に存命侯ハバ、三日晒し、非人之手下ニ而可申付侯」 有徳院殿御実紀巷15、撰要類集巻5) となかなか厳しい。 さらに元文元年(1736)には、新内節の自宅稽古の禁止、その4年後には全面禁止令が出た。 ところが、この禁止令も時がたつにつれて守られなくなり、明和6年(1769)に起きた男女の心中事件を題材とした新内、「明烏夢泡雪」(あけがらすゆめのあわゆき)が上演され、大当たり。 あらすじはこうである。 新吉原・山名屋の客、春日屋の時次郎は、遊女の浦里と相思相愛の仲となり、親の年貢金、親類や出入り先から騙した金で通いつめたが、揚げ代に事欠くようになる。 一方、浦里も年期奉公の期間を延ばし、時次郎との逢瀬を楽しむが、それにも限りがあり、時次郎は、人目を忍んで浦里の部屋の夜具の中に隠れて居続けていたのを遣り手婆に見つかり、男たちから袋叩きされ追い出される。 浦里は、時次郎と手を切るようにきつく申し渡されるが聞き入れず、廓の亭主から雪の降る庭で激しい折檻をうけ、これを止めようとする浦里付きの見習い小娘もまた庭の老木に縛り付けられる。 二人は涙にくれながら気を失う。 そこへ刀を口にくわえ、屋根伝いに忍んで来た時次郎が縄を切りほどき、3人一緒に塀の上から地上に飛び降りたところで、夢からさめる。 最後に夢物語にして、心中禁止令に触れない作者の巧妙さ。 しかし、この話には続きがある。 宮地敦子氏の 「新内明烏考」 によると、安政4年(1857)に為永春水、瀧亭鯉丈の合作 「浦里、時次郎 明烏の正夢」(通称、まさゆめ)が現れた。 廓の塀から飛び降りて逃亡した3人は、本所猿江にある時次郎の菩提寺、慈眼寺の墓所で、もはや逃れられないと覚悟の心中をする。 しかし、法華経の功徳と名刀の不思議な力によって生き返る。 その後も、別の義太夫や清元、常磐津などでは、小娘は時次郎と浦里の二人の子どもになるなど筋書きを変えた 「心中もの」 は、幕末から明治以後も観客にヒットした。 この心中ものの舞台となった慈眼寺は、後水尾天皇による元和元年(1615年)の創建と伝えられ,深川本村町にあったのが,明治45年(1912年)、現在の豊島区巣鴨に移り、その境内の片隅に時次郎と浦里の比翼塚がひっそりと建っている。 江戸の一時期、民衆の熱狂的な共感を集めた 「心中もの」 は、封建制度下の人倫、道徳の束縛に反抗し、本人同士の道を求める心情の発露だが、明治以後、自由恋愛が広がるにつれて、次第に心中事件も減り、今では、「情死」 という言葉さえ死語になってしまった。 現在、心中などの男女問題に起因する自殺は、上の統計では、3%に過ぎない。 なお、慈眼寺の比翼塚は、昭和20年4月の空襲で破壊され、現在のものは28年に再建されたもの。
by dankkochiku
| 2010-11-07 23:50
| ぶらり、まち歩き
|
Comments(7)
Commented
by
tomahawk_attack
at 2010-11-09 00:57
x
テレビの番組で見たのだが、近年、自殺の多い県のトップは、・・秋田だという。。
働き者の県らしく、年老いて自分が家族の役に立たなくなった・・・と意識し出した辺りから、或る日、発作的に首吊るものが多いのだという。。 今は家族に足手まといになりたくない・・・と考える高齢者が増えていると言われ、都内においても、最近は生前より「自分が死んだら葬式は良いから火葬だけしてくれ」と要望する者が増えているといわれる。実際「火葬」だけというケースが多いのだそうだ。それらには血縁がいない訳でなく、単に家族に迷惑かけたくないから・・・という高齢者が増えているのだという。。 子供としても、親を見てやりたいのは山々ながらも、自分が食べて行くのに精いっぱいというのが増えているからだと思い、そこに「やるせない」ものを感じてしまう。。
0
Commented
by
tomahawk_attack
at 2010-11-09 00:57
x
最近、都内では、自殺だか、孤独死だか、判別付かないような遺体が発見されるニュースが増えている。こうしたニュースでは、大概の場合、遺体の発見された状況だけを伝え、死因については、目下、警察で調査中・・・と結んでいるものが多い。。
ちなみにこの手のニュース・・・余程のことがない限り、続報が流れることはない。事実上、殆どが良く調べられないまま、孤独死として処理されているケースが多いように思われる。。 確かに発見時に既に白骨化が進んでいたり、かなり腐乱している場合などは、自殺、他殺、孤独死・・・の区別も付きにくいと思われる。。 そんな時、今の警察の姿勢として、出来るだけ事件にしたくないのか?・・・余程のことがない限り、孤独死として処理するのが通例と見える。憶測も入るが、ここはチョッと気になる部分だ。。 ということで、東京という場所は、もしかして?・・秋田以上に「隠れ自殺者」がいる可能性も否めず、江戸と呼ばれた前時代のように、「色恋」で心中した時代とは、同じ場所でありながらも、「隔世の感」を感じさせ、別なる寂しさを抱かせる。。\_(-_- 彡
Commented
by
dankkochiku at 2010-11-09 17:32
東北地方は宮城を除いて以前から自殺率が高い地域でしたが、秋田県が全国のトップとは初耳。 秋田美人と言われながら、婚姻率も低いともいわれています。寒冷地という厳しい自然条件と所得水準や貯蓄の低さなどが人心に影響しているのでしょうか。
Commented
by
idea-kobo at 2010-11-11 07:58
Commented
by
dankkochiku at 2010-11-11 21:30
Commented
by
cocomerita at 2010-11-11 22:42
Commented
by
dankkochiku at 2010-11-12 20:09
Ciao cocomerita さん
墓地を歩きながら、死者の思いが込められた墓石に出会うことがあります。
|
ファン申請 |
||