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たまに郊外から都心に出てくると、お上りさんよろしく、林立する超高層ビルに圧倒され、思わず足を止め見上げてしまう。 これほどビルが密集し、空地もなく、もうこれ以上、増えないかと思うと、どうしてどうして、都心を訪れるたびにビルの高層化、群立化の波は一向に収まっていない。 大都市に超高層のオフィスビルやマンションが次々に建ち始めたのは、昭和38年(1963)以後のことで、それまでは関東大震災の教訓を生かし、市街地の建物の高さを100尺(31m)に制限してきた旧建築基準法を改正し、高さ制限を緩和し、容積地区制を導入するようにしたからだ。 その背景には、戦後経済の高度成長に伴って、都市部への人口集中化が進む一方で、都心に職場をもつ通勤者たちにとって、都市部の高い住宅地や家賃が妨げになって、郊外に住むことを余儀なくされた結果、満員電車での長時間通勤を強いられ、交通渋滞にイライラさせられ、ひいては企業業績にも影響する問題が深刻化してきたからだ。 昭和43年に日本最初の高さ100メートル以上の霞が関ビル(156m)ができ、49年以後には、200mを超すビルが次々に建つようになった。 その一方で、高層ビル建設が都市の緑地帯の縮小化、ビル旋風や日陰の問題、急速な情報化、国際化、少子高齢化など社会経済情勢の変化、良好な景観保護など戦前の旧建築基準法では問題視されなかったことが次つぎに浮上するようになった。 ![]() そこで、これらの建築法上の問題をクリアし、いま好評を得ている超高層ビルとして、今年竣工した高さ157m、地下4階・地上34階の丸の内パークビルディングに行ってみた。 このビルは、以前、三菱商事ビル、古河ビル、丸の内八重洲ビルのあった一画に建て替えたものだが、特徴的なことは、明治27年(1894)の赤レンガ造りの三菱一号館を忠実に復元していることで、現在、まだ一部しか一般公開していないが、来年4月には美術館として開館する予定とのこと。 ![]() 赤レンガの三菱一号館と超高層パークビルの間を行くと、中庭の広場に出る。 ![]() 中庭広場、「丸の内ブリック・スクエア」(Brick square) には明治時代のガス灯、池、草花、彫像、野外カフェがあり、パークビル地下1階から4階までの商業地区にはレストラン、喫茶店、ファッシヨン雑貨店など36店舗がある。 「これまでの丸の内になかった賑わいと安らぎが絶妙に調和した商業集積」 をコンセプトにしているが、先月3日に開業したばかりとあって大賑わいだけでカフェやレストランはたいてい満員。 矢田挿雲の 「江戸から東京へ」 によると、この一帯は、明治維新後、大名屋敷を取り払い、大手町から日比谷公園辺りまで近衛兵の練兵場にしたものの夜は茫漠とした原野になり、物騒で通る人もなく、治安上から陸軍が売りに出したが誰も見向きもしなかったのを三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎が頼まれて仕方なく坪10円で10万7千坪あまりを130万円ほどで買い取った場所で、側近がお金をドブ川に捨てるようなもの、と心配したところ、「なあに、竹でも植えて虎を飼うか」 と笑ったという話は有名。 先見の明のある人はやはり違う。 地階からJRや丸ノ内線の東京駅改札口への通路ができているが、人通りまばらな地下通路を数百メートルも歩かされるよりも地上を行くのがずっと気持ちいい。 いずれにせよ、東京新名所なので一度、行かれることをお勧めする。 ☆追記 パークビルの屋上には、太陽光パネルが面積600平米にわたって設けられており、パークビル街全体の夜間ライトアップの電力量がまかなえるとのことです。 ■
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by dankkochiku
| 2009-10-27 23:56
| ぶらり、まち歩き
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Comments(8)
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旧国鉄本社跡地に建てられた「丸の内オアゾ」から丸の内地区の再開発が進んだと聞いております。 明治初期に於ける丸の内地区は誰も見向きしない干拓地にて、三菱創業者の岩崎弥太郎が明治政府から土地の払い下げを受けて開発した場所、東京駅が建てられてから急速な土地開発が進み、「三菱商事ビル」「丸の内ビル」「新丸の内ビル」などのビルが建てられました。
丸の内地区の再開発で大きな存在は「丸の内ビル」「新丸の内ビル」の建替えでしょう、建替えられた「丸の内ビル」の商業区画のコンセプトは30代~40代が楽しめる空間、「新丸の内ビル」の商業区画のコンセプトは40代以上の熟年世代が楽しめる空間にて、両ビルで特筆する点は飲食店街が充実していることです。 ブリックスクウェアの映像を拝見して、温故知新を漂わせる作りには関心いたしました、昼休み時はサラリーマンやOLなどで賑わって同ビルの飲食店は長蛇の行列で出来ているでしょう。
桜花 さん ブリックスクウェアの道一つ隔てたJR東京駅丸の内駅舎も、昭和20年の東京大空襲で破壊され、縮小修復したものを、大正3年開業当時の姿に復元する工事がいま行われています。 これを機会に、駅丸の内口に一大地下街も作る計画とか
どんどんと高い建物が増えますね。。
最近は行ってませんが、ここは東京駅から見て、丸の内ツインタワーより左よりの建物ですよね。。 そういえば近くには、現総理の弟さまが、東京中央郵便局の赤レンガの建物を保存しろと、激しくブンむくれられたことが有りました。あの時は現総理も視察されていました。久しぶりに息のあったとこを見た感じです。。(^^ゞ それにしても、東京駅を始め、この界隈はレンガの建物が多いですねぇ。写真の建物も、かっての三菱村のシンボルでしょうし、これはこれで良い景観と思います。。\_(-_- 彡
tomahawk_attackさん 大都会の土地(平面)過密と上空(立体)過疎の問題解決にビルの高層化、群立化は当分止みそうにありません。横浜のランドマークタワーは296m、70階建てと驚いていたら西新宿で300mを超えるビルが予定されています。天空を求めたゴシック建築理想の再来か、神の人間への奢りを戒めたバベルの塔の道を歩むのか、超高層ビルの出現はこれまでになかった多くの課題を生むでしょう。
明治27年築の三菱一号館を忠実に復元、素晴らしい試みですね。
古き良き物を後世に残すという姿勢 通常の再開発よりも遙に意義があるように感じます。 丸の内ブリック・スクエアも、是非訪れておきたいです。
平成に入り、不況の連続ですが、人びとに心のゆとりがでてきたのか、合理性、利便性一辺倒の都会にも古き良き世界を保存、復元しようとする動きが近年うかがえるのはいいことです。 igu-kunさんのカメラアイからの丸の内、楽しみです。
明治、大正、煉瓦造り・・・・・郷愁を残しつつ新機能を加える最近の都心。効率一辺倒の時代から文化的なものに目を向ける時代ですね。
民と官の間でのせめぎあいと協調の成果とも。
久しぶりに訪れると、丸の内界隈の様子がすっかり変わっており、道に迷いながらやっとここに着きました。 前回来たのは97年の旧丸ビル解体直前でした。
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