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子どもの頃、怪談噺を聞くだけで妖気が身の回りに漂い、しばらくは一人でトイレに行くのも家の留守番をするのも恐ろしく、とてもそんな映画など見る勇気などなかった。 雨の夜も、からんころんと駒下駄の音が近づいてくるのは牡丹灯籠。 深夜、一枚、二枚と皿を数える声が聞こえてくる番町皿屋敷。 毒を盛られて顔が青黒く変形した女の幽霊が出てくる四谷怪談。 もう、その話のさわりだけで、あとは聞かなくても震え上がったものだが、蛍光灯、水銀灯下育ちの現代っ子たちは、昔のお化け話など怖がらないようだ。 ところで、この日本三大怪談の一つ、「四谷怪談」 は鶴屋南北の全くの創作ではなく、事実からヒントを得てのホラー・ドラマと聞いて、俄かにそのルーツを辿りたくなった。 そこでまず、四谷怪談の名前の発祥地、四谷へと、メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅から外苑東通りを南へ5分ほど行き、道幅4メートルあるかないかの裏通り住宅地に入ると、やがて道をはさんで斜め向かいに 「於(お)岩稲荷」 と染め抜いた赤幟を立てた二軒の寺社が見えてくる。 えっ、お岩稲荷が二つ! 一つは 「於岩稲荷田宮神社」。 もう一つは正門に 「於岩霊堂」 とある 「陽運寺」。 四谷怪談の女主人公、お岩さんのことはさておき、二軒ともお岩稲荷の幟が立っている。 どっちが本物のお岩さんの寺社かと、誰もが戸惑う。 両寺院の稲荷さんの狐に化かされた思いで、まず、田宮神社(上の写真)に入る。 東京都教育委員会の案内板 「都旧跡 田宮稲荷神社跡」 があり、ホッとする。 これによると、「東海道四谷怪談の主人公田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。 (略) 明治五年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和二十七年再びここに移転したものである。」 とある。 そのうえ、この神社こそ正統のお岩稲荷だと、主張するかのように、本殿前のさい銭箱の周りに、麗々しく田宮神社の由来についての雑誌、新聞、その他印刷物の切り抜きが展示され、それらのコピーを参詣者が持ち帰られるように置いてある。 よく事情が掴めないまま、次ぎに陽運寺に向かう(上の写真)。 お寺の正門には、お岩稲荷の提灯のほか、厄除け、縁結びの祈願と張り紙がしてあり、「毎月一日はお岩さま開運祈願祭、祈願料、金三千円也」 とあって、こちらは多角経営寺。 中に入ると、ここにも 「お岩様由縁(ゆかり)の井戸」 があり、そのそばの 「於岩稲荷水かけ福寿菩薩像に南無妙法蓮華経のお題目を唱えながら水を掛けると、あなたの厄が除かれる」 などと書いた立て札がある。 また、本殿のさい銭箱横には、開運お岩様絵馬、叶玉が置いてあり、感じのいい露天休憩所もある。 塗装職人が社に朱色を上塗りしていたが、一見して田宮神社よりもこちらの方が財政的に豊かそうだ。 さて、二つの寺院が対峙してお岩稲荷を互いに固持している謎が解けないまま、改めてインターネットをあちこち検索した結果、次のことが分かった。 お岩さんが亡くなったのは寛永13年(1636)。 文政8年(1825)に四世鶴屋南北の歌舞伎 「東海道四谷怪談」 の初演が大好評をおさめ、以来、出演者たちのお岩稲荷参りが始まった。 明治5年、お岩稲荷を、お岩さんの嫁ぎ先の田宮家の名をとり田宮神社と改称。 ところが、明治12年に火災で焼失し、現在の中央区新川の田宮神社へ移転。 その間に陽運寺が四谷稲荷と称した。 昭和20年3月の東京大空襲で陽運寺も新川の田宮神社も焼失。 昭和27年に再建し、新川の田宮神社を本社とし、翌年、現在地へ戻った田宮神社を旧社と称することになった。 こうしたいきさつから、もともとは、四谷の田宮家敷地内にお岩さんの手で祀ったお稲荷さんが、現在は、都教委の案内板のように、「お岩稲荷の旧地」 に変わってしまったのだ。 これで、二つの寺院が向き合って建っている謎は解けた。 いかにも、生き馬の目を抜く江戸・東京らしい話だ。 新川の田宮神社や西巣鴨の妙行寺にあるお岩さんの墓の話は別に譲ることにする。
by dankkochiku
| 2009-06-26 22:13
| ぶらり、まち歩き
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Comments(6)
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tomahawk_attack
at 2009-06-28 19:14
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ほほぅ。将門の首塚の次は、お岩稲荷ですか?・・・
これまた夏らしいテーマに取り組んでおられますね。。┐(´ー`)┌ 私自身は、田宮神社、陽運寺の、どちらも行ったことがありません。映画などの撮影で、現場スタッフや俳優などが、祟り除けとして、事前にお参りするようすは、作品のPRも兼ねて、ニュースなどで、何度か目にしましたが・・こうして、じっくりと写真を拝見することは有りませんでした。貴重なお写真を有り難うございます。。 見た感じは、やはり何処となく近寄りがたい佇まいと感じられました。おそらくここも、熱心な信者らにより支えられているのでしょうね。。 それにしてもdankkochikuさんにおかれましては、将門公の首塚をはじめ、両・お岩稲荷と、このところ大胆な撮影に取り組んでおられますが、その後における寝付き、寝覚めのほどは?如何で御座いましょうか?・・・・些か気になっております。。。(v_v)
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dankkochiku at 2009-06-28 21:26
鬱陶しい梅雨の頃から幽霊のシーズンに入りますが、縁なき衆生は度し難しと、幽霊たちからは見放されているのか、当方、快食、快眠(呵々大笑)。 それにしても、お岩さんについては、諸説芬芬で、信心深いお岩さんが、自分でお稲荷さんを敷地内に建てたという説もあれば、お岩さんの祟りを鎮めるため死後にお稲荷さんを建てたという説もありますが、前の説をとりました。 ところで、田宮家のご子孫がご健在のこと御存じですか。 その話は、後日、写真付きでお楽しみに。
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tokyo-boy3 at 2009-07-01 13:50
こんにちは!
こちらの方へは、出没したことがありませんが、 地元の近くにある西巣鴨の「妙行寺」へは子供の時から出没しておりました。 子供のころは、巣鴨にあるのに何故「四谷怪談」と言うのか疑問でした。 (四谷から寺が移転したと言う事でしたが・・・・。) 怪談話では、「四谷怪談」が一番怖いです。 \(〇_o)/コワイヨー
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dankkochiku at 2009-07-01 20:43
tokyo-boy3 さん お越し頂きありがとうございます。 巣鴨には有名人の墓のある寺が多く、いずれ出掛けようと思って言います。今後とも写真散歩にごお知恵を頂ければ幸いです。
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astrolabe at 2016-05-01 23:28
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dankkochiku at 2016-05-02 18:15
astrolabe さん コメントとネット情報有難うございました。ご研究心旺盛さに驚きました。こちらは、左門町、西巣鴨、新川とお岩さんゆかりのお寺、神社を回りましたが大した収穫なく撤退しました。
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