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近年、重罰化ブームが続いている。 新しい犯罪を刑法典に書き加え、法定刑の上限を引き上げ、長期刑、無期刑、死刑の判決が増えている。 これが故無しとしない事情にあるのは分かる。 まず、犯罪の増加で、平成3年以降、一般刑法犯は、戦後最高の170万件を超え、10年から8年間にわたって毎年200万件台が続いた。 特に、平成10年以降、強盗事件が急増し、15年の強盗の認知件数は、昭和26年以降、最多の7,664件を記録し、その後、減ってはきたものの、それでも平成19年は、4,567件と元年の1,586件と比べ、2.9倍も多く発生している。 また、数こそ多くないが、通り魔大量殺人事件や猟奇的犯罪など、かつては5年に一度くらいだった凶悪犯罪が平成に入ってからは、毎年、ときには年に数回発生し、治安悪化を印象づける事件が続いている。 裁判もこれに並行し、第1審判決で死刑、無期懲役、10年以上の刑を言い渡したケースが平成元年は、それぞれ、2人、46人、156人だったのが、18年は、13人、99人、520人と断罪される被告人が増えている。 平成16年に刑法が一部改正され、有期刑の上限が20年から30年に引き上げられると、その翌年から懲役20年以上を言渡された者が3人、26人と増え、今後はさらに増えるだろう。 警察が犯罪増加を声高に訴えると、治安不安を煽り過ぎると批判する向きもあるが、犯罪増加の一方で、検挙が追い付かず、平成に入ってから検挙率が下がり続け、12年から17年までは20%台で、その後、なんとか30%台まで回復した段階なので、犯罪抑制にさらなる対策強化を市民に求めるのは理解できる。 刑罰の主な目的は、犯罪者の責任に応じて刑罰を科し、犯罪を抑制することだ。 犯罪と刑罰のメニューを前もって提示しておけば、犯罪の見返りに苦痛のあることが分かり、犯罪を思い止まるだろう、あるいは、実際に刑罰の苦しみを味わった者ならば、それに懲りて、二度と犯罪をしないだろう、と犯罪予防効果を期待する気持ちは今も昔も変わらない。 しかし、この目論見が現実にはあまり功を奏していないとなると、これまでの刑罰とは別の対策を模索するよりも、てっとり早く重罰化の方向に向かうことが多い。 その方が厳罰を求める大衆に受けるからだ。 刑罰は厳しければ、厳しいほど犯罪防止に効果があると、刑罰の厳しさのみをエスカレートさせた時代があった。 例えば、16世紀、イギリスのヘンリー8世が王位にあった37年間には、7万2千人が処刑された。 そのうちの1万2千人は、窃盗、しかも その多くは羊の窃盗のみで処刑された。 トーマス・モアは、その著 「ユートピア」(1516年)の中で、盗人はあちこちで、絞首台ごとに20人ずつ絞首刑に処し、処刑を免れる者はほとんどいなかったのに、依然として盗人が横行したと書いている。 また、近代にいたるまで、英国では、子供も大人と同じ刑罰を受けた。 コリン・ウィルソンの 「殺人の哲学」(和訳)によると、イギリス・ロマン主義文学最盛期の代表的詩人、シェリー、ワズワース、キーツ、バイロンと同時代の1808年に、11歳と8歳の姉妹が盗みをして絞首刑、1816年には10歳の少年が万引きをして絞首刑、1833年にはインクを盗んだ9歳の少年が公開で絞首刑になった。 当時の裁判官は、ほかの子供たちに同じような罪を犯させないための見せしめのため、と昂然として死刑を宣告した。 日本でも、江戸時代は、太平の世といわれながら、刑罰の恐ろしさを庶民に公開し、将来の犯罪を予防する 「見懲らし」 策をとり、死罪、獄門、はりつけ、火罪、のこぎり引きと死刑の執行方法にバラエティをもたせて執行を公開した。 道徳と法律、司法と行政の区別なく、刑罰は、為政者の恣意のまま、庶民の犯罪からキリシタン抹殺、反幕府勢力弾圧まで社会統制の道具として行使した。 威嚇のための刑罰の行使は、すさまじく、当時、米1石の値段だった10両盗めば死刑になり、縁座制、連座制で犯人の一族であれば、無実の大人も子供も処刑され、「御定書」では、15歳未満の幼年者も刑罰が科せられた。 明治になって以後も、13年(1880)には、財布を盗んだ16歳の初犯少年に終身刑が科せられている。 ちなみに、この年の死刑執行者数は、125人、その前年は154人で、その中には、日本行刑史上最後の斬首刑者、高橋お伝がいた。 人権思想の普及と重罰の威嚇効果、犯罪抑制効果への疑問の高まりから、近代に入って、世界各国とも刑罰の主流が死刑、身体刑から自由刑、罰金刑へと移った。 平成18年現在、罰金刑を受けた被告人は、裁判確定者全体の88%を占め、懲役刑は1割強と少ない。 しかも、そのうちの6割弱が執行猶予を受けているが、その期間中に再犯などで執行猶予を取り消される者は15%ほどしかいない。 また、懲役受刑者のうち、過半数が、刑期の8割を服役した段階で仮釈放になっている。 出所後6年間の再犯率は、満期釈放者が6割前後で、仮釈放者が4割前後というのが普通で、早めに出所し、保護観察下におかれる仮釈放者の方が再犯率は低い。 それでも、最近は、重罰化の波を受けて、執行猶予率も仮釈放率も下がる傾向にある。 ところで、最近、現行の無期刑よりも重い重無期刑の創設を提唱する人が現れてきた。 しかし、この方がたは、現在でも、65歳以上の高齢受刑者が新入所者の5%以上を占め、それに刑の長期化が加わり、高齢による休養患者率が増え、生産作業に就けずに介護を必要とする養護処遇中の受刑者が多く、65歳以上の認知症率が一般社会よりもはるかに高い2割を占めている現状をご存じだろうか。 このうえ、釈放見込みのない受刑者を作れば、全員がいずれ高齢化し、体力・知力ともに衰え、贖罪どころではない要介護老人になることを承知の上で、刑務所を受刑者の福祉施設にすることを考えているのだろうか。 平成20年度の受刑者など1人1日当たりの収容費予算は1,367円、年間およそ50万円の予算が計上されている。 現在でも、高齢受刑者には病人が多く、このため、医療費予算(1日1人当たり102円)の多くがその方へかなり回されている。 また、高齢受刑者は出所後の保護が整わず、満期釈放になったり、獄死したりする者も少なくないとなると、刑務所が高齢長期受刑者のための採算無視の特別養護老人ホームになることは必然である。 こうして見てくると、重罰化の傾向は、刑事政策に計り知れない悪影響を及ぼすことは確実だ。 軽微な犯罪者には罰金刑、保護観察、週末拘禁(週末だけ拘禁し社会適応訓練をする)、社会奉仕命令などによって刑務所人口を減らし、金のかかる自由刑一辺倒からの転換が望まれる。
by dankkochiku
| 2008-07-04 22:59
| 非行・犯罪
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Comments(18)
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桜花
at 2008-07-06 01:09
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江戸時代の日本でも、未成年者が極刑に処せられた有名な話は1683年(天和3年)に発生した「八百屋お七の放火未遂事件」でしょう、数え年で16歳のお七は鈴ヶ森刑場で火刑に処されました(合掌)、日本行刑史上で最後の斬首刑に処せられた「高橋お伝」、同日に斬首刑に処せられる男性の死刑囚が怯える姿を見て「男のくせに情けない」と愚痴を零し、土壇場に連行された時に斬首する山田浅右衛門に対し「最期に情夫に会いたい」と申し出たが、それを役人に拒否され困惑する高橋お伝の首筋に山田浅右衛門が振るった斬首の刀が振り下ろされました、彼女の遺骸は谷中墓地に埋葬されています(合掌)
犯罪に対する重罰化は被害者の感情から強く求められるでしょう、無期刑の受刑者が増加すれば国家の負担が増すことは必定、ですが反省しない犯罪者を刑務所に送るにも限界があり、高齢者の受刑者が急増している昨今の苦しい事情に鑑み、刑務所を「高齢犯罪者の老人ホーム化」を避ける新たな矯正施策が急務だと思います。
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at 2008-07-06 01:24
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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dankkochiku at 2008-07-06 21:17
現在から見ると、江戸の刑事政策は一般予防重視の暗黒時代と言えるでしょう。 ただ、不思議なことは、遠く離れた洋の東西で互いに見ず知らずの生活をしていながら、同時代の人間は、同じことを考え、同じような刑罰を科していたことです。 DNAのなせる業だろか?
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dankkochiku at 2008-07-07 11:03
ローマにお住まいのcocomeritaさんに、統計書によると、イタリアの人口は日本の約半分でありながら、1年間の殺人事件数は2倍発生しており、死刑廃止国のイタリアでも、近年、死刑制度を復活せよとの世論が40%ほどあるとのことだが、一般イタリア市民の気持ちはどうかと伺いましたところ、早速、ご返事を頂きましたので、紹介します。
「その二倍という数字の多さは、マフィア間の闘争による殺人(信じられないくらい多いです)が、多分に加担していると思われます。 一般の殺人は日本のほうが圧倒的に多いです。 そして、こちらではまだ無差別殺人というものがなく、痴情がらみだったりするので、そのあたりが、殺人の動機が”まだ”人々の理解の中なのだと思います。 というわけで、市民は一般的に死刑には反対の姿勢を取っており、アメリカの死刑執行に反対電報を、アメリカ当該州に打ったり、といろいろな反対運動が盛んです。(私も、打ちました、) 死刑が取り消しになると、ローマのコロッセオは青いライトで点灯されます。)」 Commented by cocomerita at 2008-07-06 22:59
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cocomerita
at 2008-07-07 17:44
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dankkochikuさん、
私の稚拙なコメントをわざわざ載せていただきありがとうございました。 人の命の重さというのを、自分自身の命の重さの認識も含め 少しでも多くの人に考えてもらいたいなと思います。 そうすれば、学校での極端ないじめや他人の命をも危険に陥れる酔っ払い運転などできなくなると思うんですよね。
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tomahawk_attack
at 2008-07-07 18:28
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私は、はっきり言って現在の日本の死刑制度を支持し、願わくば刑法の更なる改正を求めております。ただ?重罰化のために、安易な刑期延長には賛成できません。昔と違って、一般市民の目線で見ても、明らかに快適すぎると感じる留置場では、受刑者も改心どころか?なかには生活保護の代わりを目論んでか?進んで入所しようと考える?ふざけた輩も出て来る始末です(大いに改善の必要あり)。そんな時代に、単に刑期を伸ばして対処する考え方には私は反対です。勿論、刑期を伸ばせば、被害者の満足度も高まり、拘留中における市民の安心安全は、当然、確保されますが、犯罪全体を見据えた上で、将来の『抑止』を考えると、大いに疑問を感じざるを得ません。(つづく)
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kawazukiyoshi at 2008-07-07 18:29
私がいる大学の学長は面白い人です。
学生が悪いことをしたら、罰を与えます。 構内清掃。 吸殻や、くず入れの掃除。 退学処分とか、停学処分なんてしません。 学生も仕方ないか、とまじめにやっています。 ふっふっふ 今日もスマイル
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tomahawk_attack
at 2008-07-07 18:29
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(つづき)
ではどうすればよいか?・・私なりの考えを要約するなら、・・今後の刑法では「より初期消火に、重きをおいた内容に改めるべし」と提案したいのです。つまり『小さな犯罪にこそ、むしろ厳しくしく当たるべきである。罰するべきであると・・・そうした、一つ一つの地道な積み重ねが、やがて大きな犯罪へ向かう芽を摘み取ることが出来る』・・・そう考えておる者です。 だから、あえて突拍子もない「百叩き」の復活を求めている訳でして、しかも私の求める「百叩き」は、決して昔のような時代がかった拷問刑ではありません。あくまでも叩く部位をケツに限定し、衆目の監視の中で、執行官が、そいつの親になり代わって、愛を込め渾身の力で打ち込むのです。しかも全ての者に百発打つのではなく、あくまでも、各自の罪状に応じた回数を決めれば良いと考えています。(つづく)
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tomahawk_attack
at 2008-07-07 18:30
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(つづき)
その結果、受刑者のケツが、例え「ミミズばれ」となり、向こう一ヶ月も風呂に入れない状況に至っても、決して同情をしてはいけません。(その結果、ケガを負っても、元を正せば?自分のセイであり、「痛いのと弁当は自分持ち」として、本人に対処させます。) 痛みは一時ですが人生は長いのです。荒療治は必要です。そして、逆に拘留期間は、現在よりも、大幅に短縮すべきと考えています。(殺人を除く) そうしたメリハリを付けた刑の積み重ねによって、より重大犯罪に向かう確立を落とし、拘留の短縮化によって、経費をも削減する可能性を期待できます。そうした努力にもかかわらず、殺人までに行ってしまった場合には、罪状によって、究極の刑である「死刑」で対処することは、当然、已む無しであります。繰り返しますが、そこまで行かないうちに、思い留まらせる「意識付け」こそが、宗教観の希薄した今の時代には、何よりも大事と考えます。
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dankkochiku at 2008-07-07 23:16
tomahawk さんのお気持ちは分かりますが、う~ん、自分の子供が悪さして教師に叱られようものならば、それを訴えるモンスターペアレンツの横行する世間の意識改革から始めなくてはならないでしょう。 丁度、tomahawk さんのコメントの間に入ってきたkawazukiyoshi さんのブログに、下のようなシンガポール事情が紹介されていますので、一部を引用させてもらいます。 ご賛同頂けるかもしれません。
「とかく(シンガポールでは)厳罰主義のようで麻薬所持者や、拳銃所持者は死刑 チュインガムを路上で吐き出したら、何百ドルかの罰金 日本の週刊誌などのちょっとエロチックなグラビアは没収 自由な発言は厳しく取り締まられているのが現実という具合らしいのです」
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dankkochiku at 2008-07-07 23:27
kawazukiyoshi さん たびたびのお越し、ありがとうございます。 校則違反学生へのお仕置きにお掃除、プラグマティックなやり方ですね。でも、それが大学生の話となると、いささか、嘆かわしいと思うのは化石世代の感覚でしょうか?
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cocomerita at 2008-07-09 02:54
こんにちわ
飛び入りさせていただきます。 最終的に、、、 罰せられるから、やらな~い。 怒られるから、やめとく~ という風潮には、感心できないのです。 罰がなくても、人道的に見て外れたことはしない。という社会を目指す。 くらい高いところに目標置いてほしいんですよね。
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tomahawk_attack
at 2008-07-09 13:13
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理想は理想として高く掲げるべきとは思いますが、まずは現実を前にして、何をどう考え、対処するか?・・急がれるべきとこは、急がないといけませんね。(ーー;)
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dankkochiku at 2008-07-09 16:33
cocomerita さん tomahawk さん むつかしい問題ですね。 自分は疾しいことをしていながら、他人の不正や悪には、何故、厳しく罰しようとするのか、本当は、これも犯罪心理学が取り上げるべき課題と思います。
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cocomerita
at 2008-07-09 18:25
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すみません、再び私です。
一応高くといいましたが、私の言ったことは高いことでも、 実現不可能な夢でも、理想でも何でもないです。 はっきり言って、 もう一応社会の上にいて、そこから社会を立て直していくという立場にある政治家たちには、 もう蟻のおならほども期待できませんので、下からやるっきゃないんです。 地道に、こつこつと、 なんていうんでしたっけ、こういうの、、、根っことか草とかいう文字が入ってたと思うんですが、、(恥、日本語忘れかけてるんですよ、、最近) だから、子供をどうやって育てるとか、 彼らにどうやって接するとか、 それには政治家はどうでも身近にいる私たち大人が、きちんとしたところ見せてあげないといけないんです。 素敵な大人がいないから大人になりたくないなんてもう言わせないぞ。というね。 これは、政治家じゃなくてもできるでしょ。 これも理想かもしれないけど、優しくされて気持ちいいと思えば、 誰かにもしてあげようと思うんです。 人間は、経験と実践の動物なんだから、 これは子供じゃなくて大人もいっしょ 優しくされたという思いは、結構ここぞという時に、私たちを支えてくれる。 続く、、、
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cocomerita
at 2008-07-09 18:27
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続き
アーこの話始めると長くなっちゃうんですけどね 要するに、きちんと価値観見せてあげて欲しいってことです。 子供や子供となんら変わらない大人にも、、 うんこも汚いかもしれないけど、 出なかったら大問題。ということは、大事なものってことです。 きれいなもの、完璧なものだけで社会や環境を作り上げようとしてる 日本の社会が一番気持ち悪いんだから。 あ、思いだした草分け運動って言うんでしたっけね。 だから、そういう全体的な意識の改革が大事なのではないかと、、 で、そういう意識の改革は、 身近な所から十分に行えると思うんですよね。
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dankkochiku at 2008-07-09 23:31
cocomerita さんの仰ること、総論賛成、各論問題あり、です。 何故ならば、今の日本には、子どもに見せたいきちんとした価値観が何か分らないほど価値観が多様化してしまっているのが、問題なのです。 つまり、道徳教育をするにも、何が道徳か具体的には分からない大人たちが多いので、道徳の最低基準である法律を守ることしか言えないのです。だから、道徳にうらづけされていない法律を破る政治家、官僚、教育者などが続出している大変な異常事態なのです。
イタリア滞在20年、忘れますよね。 日本語。 正解は 「草の根運動」 です。Come si dice questo in italiano? イタリア語にはない言葉かも。
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cocomerita at 2008-07-09 23:57
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