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刑務所の役目が受刑者を拘禁し、市民社会から隔離するだけのことでしたならば、それほど難しいことではありません。 しかし、拘禁しながら、教育し、人権を尊重するのが刑務所の役目となりますと、これは至難の業です。 拘禁に力を入れ過ぎますと、教育も人権もなおざなりになります。 教育を重視しますと、拘禁も人権も危うくなります。 人権に重点をおきますと、拘禁も教育もあまり考えなくなります。 いずれも三すくみの関係になるのです。 この三者をどうバランスよく調和させるか、これが現代の刑事政策の課題なのです。 古代エジプト、ローマの時代から囚人を洞窟や城砦の地下牢に閉じ込めて隔離しました。 中世期になりますと、ヨーロッパでも日本でも孤島・無人島へ罪人を追放しました。 いずれも、隔離された囚人たちは、そこで悲惨な生涯を終える運命にあったのです。 こうした非人道的な扱いに反対した18世紀イギリスの功利主義者ベンサムは、囚人を人道的、平等に扱い、しかも功利的に管理できる理想的な刑務所を考案しました。 「すべて(pan)が目で見える(optikos)」 というギリシャ語源から名付けた 「パノプティコン(panopticon)型監獄」 がそれです。 数階建て円形ドーム型の建物内の中央に監視塔があり、それをぐるりと取り囲んで壁沿いに鉄格子のある独居房が並んでいます。 看守は、監房の窓から差し込む光で囚人の動きが監視できますが、囚人たちからは薄暗い監視塔の中の様子が見えないように作られた建築様式で、「一望監視監獄」 と呼ばれたものです。 ベンサムの考案した刑務所は、独居と沈黙を重視したペンシルバニア監獄で最初に採用され、その後、この建築様式は円形から半円形へ、放射状へと形を変えましたが、欧米諸国でも日本でも、この影響を受けた刑務所が20世紀初めまで各地に建設されました。 これは地下牢に比べれば、確かに 「最大多数の最大幸福」 の理想を具現した刑務所と言えるでしょうが、細胞型とも言われた厳正独居拘禁の建築様式は、現在の社会復帰を目的とした処遇施設とは程遠く、受刑者たちは、動物園の動物なみに監視されるだけでした。 20世紀に入りますと、ロンブローソの流れを汲んだ実証的犯罪学者たちは、かなり多くの犯罪者には心身に異常があり、これを治療することによって将来の犯罪を防止できると考えました。 医者が患者を診断し、治療するように、犯罪者ひとりひとりの問題を診断し、それに応じた処置をすれば、損なわれた社会適応性が回復できると、医療をモデルにした受刑者処遇が第二次大戦後、欧米で広まりました。 1950年代半ばに、米国カリフォルニア州の矯正施設で実施されたグループカウンセリングがわが国へ伝えられ、刑務所、少年院で試行されたのを始め、さまざまな学派の個別または集団での心理療法の技法が紹介されました。 いずれも、セラピストあるいはカウンセラーとクライエント(患者)と間の治療的な人間関係を通して自分の問題が明らかになれば、自己理解が得られ、自己責任、自立への感情が生まれ、やがては行動に変化が生じるという精神分析学理論に立つものでした。 この処遇技法は、非行少年や若年受刑者の更生にも効果があるのでは、という期待から、その頃、多くの施設で盛んに試行されました。 ところが、1970年代になって、医療をモデルにした社会復帰処遇への批判が米国で起こり、世界に衝撃を与えました。 45年から67年までに発表された多くの文献を検証した結果、医療をモデルにした処遇方法は、累犯の防止にほとんど効果がなかったことが分かったと発表したからです。 そして、処遇は受刑者のプライバシーやパーソナリティの領域に介入すべきではなく、犯罪の重さに応じた刑罰を重視すべきであると 「医療モデル」(medical model)に代えて、「刑罰モデル」(justice model)を主張しました。 その当時、犯罪の増加に悩んでいた米国は、これを機に、重罰化の方向へ進みました。 この主張は、刑罰が犯罪抑止に最も効果があると信じていた18世紀へ逆行したもののようですが、実はそうではなく、受刑者は、外界から隔離され、自己決定の自由が奪われる刑罰(自由刑)に服しているのであるから、拘禁に伴う以上の苦痛を加えてはならない、と受刑者の権利を認める主張で、自由刑の純化論とも言われたものです。 つまり、自由刑の純化論者たちは、刑務所の中の生活条件は、できるだけ社会生活と同じ水準にして、受刑者の人権を尊重すべきだと刑務所の社会化を主張しました。 この当時、わが国は、監獄法のもとで、受刑者の人権、教育よりも拘禁と管理を重視していましたので、人権、教育の不十分さが欧米先進諸国からの批判にさらされていました。 そこで、昭和45年に東京で犯罪防止と犯罪者処遇についての国連会議が開催される前年に、開放的刑務所を千葉県市原市に建設するなど、世界からの批判に耐えられるモデル施設をいくつか建設したり、外部通勤など新しい処遇を試行して急場をしのぎました。 また、今回の法律改正によって、書信発信回数は月4回以上、面会は月2回以上とそれぞれの回数が法律によって決められたほか、一定の条件下で、電話等による通信、職員の同行なしの外出、外泊が認めらるなど受刑者の権利が認められるようになりました。 ただ、自由刑の純化論を無制限に推し進めていきますと、賃金が支払われない刑務所労働は奴隷的労働であるとか、矯正処遇を拒否する受刑者に懲罰を科すのは自由刑の範囲を逸脱しているとか、犯罪の責任のない受刑者の家族が物心ともに苦しい生活を強いられるのは江戸時代の家族刑の「縁坐」 と同じで正義に反するとか、刑務所の中では受刑者の自治をもっと認めるべきである、等々の処遇緩和の要求があふれてきます。 これらの批判を認めますと、刑務所は外出禁止のホテルのような姿になります。 しかし、社会のルールを無視し、したい放題のことをしたために隔離収容をしている連中に自治を認め、無為の生活を認めたならば、どうなるでしょうか。 弱肉強食の世界をもたらし、ひいては社会の治安に不安を招くことになるでしょう。 もっとも、日本人の私たちから見ますと、受刑者の矯正指導を諦めて、社会復帰しやすくすることだけを念頭にしたようなホテルに近い刑務所が米国やスウェーデンにあるのですが、逃走件数は、統計によりますと、日本よりも何百倍も多く起こっています。 問題は、どの範囲まで、市民が刑務所の社会化を容認できるかです。 なお、最後に付け加えますと、70年代に 「医療モデル」 として批判された社会復帰を目標とした処遇は、90年代になって劣勢を挽回し始めました。 それは、医療技術の著しい発達によって、思考、感情、意欲といった行動を裏付ける脳の仕組みや働きが急速に解明されるようになったからです。 反社会的人格障害者の異常な行動が脳神経心理学の面から解明できるようになれば、これまでの処遇の仕方も根本的に変わるでしょう。
by dankkochiku
| 2006-12-31 18:06
| 刑務所を考える
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Comments(4)
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by
kimagurebito at 2007-01-01 17:56
医療モデルと刑罰モデル、人権とどこまで社会化できるかという問題は、とても難しい問題ですよね。同じような問題を他の分野でも感じます。
これからも楽しんで読まさせてもらいます。
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dankkochiku at 2007-01-02 09:56
いつもお読み頂き、励みになります。 受刑者の人権を守り、刑務所を社会化するのには賛成ですが、同時進行で、犯罪被害者救援、再犯防止策も進めるべきだと思っています。
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at 2007-01-02 12:57
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
at 2007-01-02 17:25
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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