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前に訪れた杉並区の妙正寺公園池(11年10月25日付ブログ)を源泉とする妙正寺川は、中野区に入って練馬区豊玉からの江古田川と合流し、刑務所跡の平和の森公園を通って北上し、哲学堂公園内を通り抜けた後、今度は南下して新宿区に入り、西武線新宿線にまといつくように曲がりくねり、下落合駅と新目白通りの間の道に架かる辰巳橋を最後に暗渠になる。
昔は、この辺りで妙正寺川と神田川とが落ち合い、高田馬場方向へ流れていたので、落合の名前の由来になった。 その後、川の氾濫を防ぐために、妙正寺川の流路を変え、現在は、(これも前に訪れた)面影橋の手前の高田橋で神田川と合流している。 目白台地とその西の武蔵野台地の谷間を流れる妙正寺川流域との高低差は大きく、地図だけを頼りに歩いていると、100メートル程先の所でも、その間に急坂があり、しばしば戸惑う。 目白台地にある中落合、下落合の住人には、どの家庭でも手軽で便利な自転車も、かえって厄介な荷物になるようで、急坂を息せき切って歩く姿がある。 また、この辺りには、農村当時の様子を彷彿とさせる名前の坂もある。 農民が水田への農道として使っていた 「市郎兵衛坂」、「久七坂」。 谷間にたなびく霞の情景を思わせる 「霞坂」。 「蘭塔坂(ニの坂)」 は、蘭塔と呼ばれ卵型の塔婆のあった墓地へ通じる坂だ。 下落合駅から新目白通りを高田馬場方向に行くと 「相馬坂」 の上り口がある。 その名のいわれは、明治時代末に相馬家がこの一帯の土地を買い取り、新井薬師道から相馬邸へ行くために切り開いた坂だからで、坂の途中に 「おとめ山公園」 がある。 「おとめ山」 とは、誰でも乙女山と思うだろうが、実は、江戸時代に将軍家の鷹狩り場として一般人の立ち入りを禁じた 「御留山」 から呼ばれた一画で、昭和40年代に区営の自然公園として市民に開放された。 公園は道をはさんで東西二つに分かれ、西側は、相馬家の、東側は近衛家の敷地だった。 西側の公園内の斜面から湧き出る水は、東京の名湧水57選に選ばれており、その湧水池では、ホタルが養殖され、夏の夜を賑わせている。 「見晴坂」 は、急な坂で、説明標に 「この坂上からの眺めは素晴らしく、特に富士山の眺めは見事であった」 と坂の名の由来が書いてあるが、今では、急斜面に建つマンションにさえぎられ、路上からは、富士山どころか新宿ビル街のごく一部しか望めず、とても気持ちよく見晴らせる場所とは言えない。 むしろ、おとめ山公園内の高台からの方が展望がよい。 それにしても、この急坂を上り下りしなくては仕事にも買い物にも行けないマンションの高齢者にとっては難儀なことだ。 ところで、目白台の、現在、中落合地区は、昔は、農作地だったのを、大正11年から昭和4年にかけて住宅地に造成し、目白文化村が生まれたことは、前号で触れたが、その後、この村はどうなったであろうか。 昭和20年に3回の大空襲で、その大半が灰燼に帰したまま放置されていたが、25年にはじまった朝鮮戦争による特需景気によって息を吹き返し、焼け跡に住宅が建ち始めた。 それと同時に戦争で中断していた環状6号線(山手通り)工事を再開し、38年に開通。 42年には山手通りと立体交差する新目白通り(放射7号線)も開通した。 その結果、目白台地はこの2本の幹線道路によって、文化村も縦横に分断された。 上の写真の山手通り沿いにそそり立つコンクリート絶壁上の民家を仰ぎ見ると、交通の便を優先した道路の開通によって、無残にも高級住宅地の姿は消え、更に、宅地の細分化も進み、建蔽率一杯に建てた家が密集するただの住宅専用地域になった。 ついでだが、放射7号線道路計画は、今も続いている。 予定される沿道周辺地区は、農地や屋敷林など練馬の原風景を残す緑を支える地域で、平成18年に、わが地域の練馬・大泉地区を分断する事業計画が都によって認可され、道路整備による利便性の向上と環境保護、防災、交通安全の確保などとどう折り合うかを巡り、賛否両論が戦わされ、署名運動まで活発化している。
by dankkochiku
| 2012-02-25 11:28
| ぶらり、まち歩き
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Comments(6)
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yamanteg at 2012-02-26 10:16
都会の中にも湧水池や緑が残っているのにはホッとしますね。
山手通り沿いにそそり立つコンクリート絶壁上の民家・・・・・・は刑務所みたいです。 都市計画が縦割り、バラバラなんでしょう。 東日本大震災の影響で少しは見直し機運が出てくるかどうか。
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dankkochiku at 2012-02-26 21:42
yamanteg さん 新宿区にこんな自然公園があり、湧水池があるとは意外でした。 山手通りの開通によって、抉り取られた台地の土留めコンクリート壁の高さは、刑務所の壁以上あります。 新目白通りの方も似たような場所が見えました。
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hisako-baaba at 2012-02-27 16:37
落合の地名はそういうわけでしたか。
東京散歩は大好きでしたが、今は出歩けないので、画像で楽しませていただいています。 足が良くなっても、こう、坂や階段が多くては私には無理ですね。 以前は、川沿いに散歩するのが好きで、石神井川や白子川を辿ったり、荒川を歩いたりしたものです。 新宿区って意外に自然がありますね。
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dankkochiku at 2012-02-27 20:36
hisako-baaba さん お久しぶりです。いつもご覧頂いているとは有難うございます。東京23区は広くはありませんが、江戸幕府の御膝もととあって、泰平の265年間に積み重ねられた文化の足跡を辿っていると、とても見尽くせない思いです。 ご健康にご留意下さい。
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tomahawk_attack at 2012-02-28 11:58
新宿区にある「おとめ山公園」のおとめ山とは、ズバリ「御留山」の意だったのですねぇ。・・・言われてみれば・・・「なるほど」・・・であります。。
昔のお殿さまには「鷹狩り」を嗜む方が多数おられましたから、その名残りを残す地名が今もあちこちに残っていて嬉しき限りであります。。 振り返ると・・・以前dankkochikuさんが目黒区碑文谷界隈を取り上げられたことがありましたが、あの周辺も「鷹番」などといって、当時の鷹番役人らが住んでいた屋敷跡らしい地名が今に残っていました。。 dankkochikuさんの散策は、地名から往時を偲ばせるものが多く、意味深いレポートに今さらながら興味を抱かされます。。。\_(-_- 彡
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dankkochiku at 2012-02-28 20:25
tomahawk_attack さん コメント有難うございます。 住み慣れた東京とはいえ、知らないところがたくさんあり、地図やインターネットで予習して出掛けるのですが、いざ現地に着くと、地元の人の助けや区の案内板なしには見逃すところも多かったり、カメラに撮りそこなったりで、改めて出直すこともあります。
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