カテゴリ
その他のジャンル
外部リンク
記事ランキング
画像一覧
|
永井荷風は、「現代の日本ほど時間の早く経過する国が世界にあろうか。 今過ぎ去ったばかりの昨日の事をも全く異った時代のように回顧しなければならぬ事が沢山ある」 と100年ほど前の銀座の変貌ぶりを書いている。 銀座ならずとも、人の波、車の流れ、騒音渦巻く大都市に住む者には共感を覚える一節だろう。
そんな大都市の中で、時代から取り残されたように、昔ながらのたたずまいの静けさの中を歩いているうちに、落着いた気持ちになれる所が世田谷区の北烏山2,4~6丁目だ。 そこには26もの寺院が集まっている。 殊に、京都の町のようだと言われる寺町通りは、民家も商店もなく、1キロ足らずの道の両側に寺院が並び、お参り客のためのバス停が5か所もある。 こんな平和そのもの寺町だが、困ったことは、賽銭ドロボーの多いこととか、ま、それはしばらくおいて、コンパクトカメラ片手に徘徊しよう。 この一帯に寺院が集中しているのは、関東大震災後の都市整備計画で、当時、一軒もお寺のなかったこの郊外の地が被災した寺院の移転地として選ばれ、昭和の初めにかけ浅草、本所、築地など下町の22の寺院が集団移転してきたからだが、そのほかに戦災を受け移転してきたお寺もある。 浮世絵師の喜多川歌麿の墓のある専光寺。 目黒川の支流の烏山川の源流で鴨が飛来する弁天池のある高源寺。 釈迦が岩や石の上で人びとに説法をし終えた時、石の上に残った足跡を刻んだとされる複製の石を置いてある多門院。 鍋島侯爵邸を移築してある妙寿寺。 家康が祖母の求めで建立した幸龍寺には、「君が代」 に詠まれている 「さざれ石」 を団結と繁栄の象徴として岐阜県から運んできた石塊が置いてあり(上の写真)、それぞれ歴史の長さを感じさせる寺院だ。 それらのうちで、個性的と言えそうなお寺をあげる。 法華宗の常福寺は、一見、お寺らしくない鉄筋2階建ての建物だが、永正8年(1511)浅草に創建され、関東大震災で昭和3年、ここに移転してきた。 山門に入る前から、沢山の狸の置物が見える。 徳利と通帳を持ったありふれた狸のほか、巡査、僧侶、ゴルフクラブやマイクを持ったものまで200匹とあるから笑ってしまう。 不謹慎にも、「タン、タン、タヌキのなんとかは、風に吹かれてふーら、ふら」 と子どもの頃、口ずさんだ歌を思い出したが、掲示板には、八相狸の由来が書いてあるので、参詣された方はその趣旨をご覧頂けるだろう。 浄土宗・稱往院は、慶長元年(1596)創立とあるから、天下分け目の関ヶ原の合戦以前からのお寺。 明暦の大火(1657)で焼失し、湯島から浅草に移り、関東大震災に遭い、昭和2年、ここに移転した。 墓地には、芭蕉の弟子だが、洒落風の俳諧師の宝井其角の墓とその脇に 「夕立や法華かけこむ阿弥陀堂」 と刻んだ石碑がある。 しかし、このお寺が、別名、 「蕎麦切り寺」 と呼ばれるのは、浅草にあった当時の、享保から天明年間(1716-1788)に住職の打つ蕎麦の旨さが江戸中で評判になるにつれ、蕎麦打ちに熱中し、仏の道が疎かになる自戒の念を込め、天明6年(1786)に住職が 「不許蕎麦入境内」(ソバ境内に入るを許さず)と蕎麦禁制の碑を建てたことである。 前号では 「マルサ無用」 の禁制石を載せたが、今回も傑作なものに出会えた。 ユーモア心のあるお坊さんに一票。 余談だが、蕎麦禁制の文言は石碑の裏面に刻まれ、しかも、植え込みや石塀に妨げられて全面をカメラにおさめることができなかった。
by dankkochiku
| 2010-03-31 23:02
| ぶらり、まち歩き
|
Comments(6)
Commented
by
tomahawk_attack
at 2010-04-01 19:28
x
Dankkochikuさんの今回の街歩きは、北烏山ですね。。
私の場合、以前、豪徳寺の時にもコメントしましたが、井の頭線周辺では八幡山や上北沢、豪徳寺、それに下北沢に続くラインは仕事の関係も有りまして通りましたので察しがつきます。。 ただ?「烏山」界隈ですと、多分、通っていたハズなんですが、回数が少ないのか、どうも思い出ません。なかでも「千歳烏山」の方が、駅名にもなってる関係でしょうか。ついイメージが先行してしまいます。。 石神井の方面にお住まいのDankkochikuさんからは、おそらく自転車などを使えば、約30分くらいで来れる距離ではないでしょうか・・・ ちなみに記事にある君が代の「さざれ~」ですが、歌詞では、この後で一端切れて、「石の巌とな~りてぇ」と続きますから、この「さざれ~」が、おそらくは風雨で風化して行くさまを言ってるのかと?・・私は勝手に解釈してました。。 そしたら「さざれ石」というのが存在してるんですね。ちっとも知りませんでした。こちらの記事で「さざれ石」というものを拝見し、初めて知った次第です。貴重な情報ありがとうございます。。\_(-_- 彡
0
Commented
by
dankkochiku at 2010-04-01 20:50
tomahawk_attack さん 私もさざれ石の実物を見たのは初めてでした。 小石のかけらの埋まっている所に、石灰岩が雨水で溶けて流れ込み、それがコンクリート状になって固まったものですから、地上において、苔のむすころには、風化して崩れやすくなっているのでは?
Commented
by
cocomerita at 2010-04-01 21:18
Ciao dankkochikuさん
東京って、意外にこういう現代のめまぐるしい時の流れから隔離されている、むしろそこだけ時が止まってるような場所があり、ほっとします。 いつまでも残っていてほしいです。 >「不許蕎麦入境内」(ソバ境内に入るを許さず) なんか一休さんを思い出しちゃった 北烏山ねー 行ったことなかったけど、今度行ってみようかなあ
Commented
by
dankkochiku at 2010-04-02 00:03
Ciao cocomerita さん そうですね。 これまで訪れた目黒不動の周辺、谷中、根岸もお寺の多いところでしたが、こんど訪れた寺町通りのように、民家も商店もなく、お寺だけという町は初めてでした。
Commented
by
yamanteg at 2010-04-06 20:59
寺院の集団移転・・・・・
「不許蕎麦入境内」。 酒や女や精力のつくもの、旨いものなどに一般ピープルがうつつを抜かさぬよう戒めたのでしょうね。 当のお寺衆が独占したかったのかも????? 地方の城下町ではお寺が群落をなす寺町というのが多いですね。 弘前、金沢、奈良、京都・・・・・などなど。
Commented
by
dankkochiku at 2010-04-06 21:53
yamanteg さんの禁制石塔の解釈、意味が深いですね。そこまで思いつきませんでした。
練馬区の豊島園遊園地の前に城下町も門前町もないのに浄土宗ばかりの11ヶ寺が集まっています。
|
ファン申請 |
||