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都会は絶えずその姿を変えている。 日頃、見慣れた場所の変化はあまり感じられないが、ある日、突然、そこに塀が立ち、幕が張られ、その中で工事が始まる。 そして、その工事現場も普段の光景に溶け込んだ頃、塀や幕が取り払われ、突如、新しいビルが現れ、周囲が一変しているのに驚く。 どうかすると、工事前には、そこに何があったのかを思い出せない。 よくあることだ。 そんな思いをする街が渋谷駅東口だ。 今から6年前の平成15年以来、地上8階地下1階の東急文化会館(下写真右)が消えた。 昭和32年開業以来、そこでは、プラネタリウム、今では数少ない客席数1000席以上の大シネマ劇場のほか三つの映画館、いずれも明治創業老舗の立田野、西村フルーツパーラー、三省堂書などが入っていた。 このビルの前を10年ほど通っていたのに、もっとカメラで撮っておけばよかったのにと悔やむ。 それ以来、駅東口再開発工事は今も延々と続いている。 上の写真は平成6年のものと今年のものだが、工事現場は鉄板が敷かれ、その上をブルトーザー、クレーン車が不器用な動きをしている以外、バスターミナルは15年前とあまり変わっていないように見えるのは、工事が地下で行われているからだ。 昨年開業したメトロ副都心線と現在、高架を走る東急東横線を地下3階で直結させるなど鉄道8路線への乗り降りができる地下ターミナル街を作り、東横線は、目下、工事中の明治通りの下を走って、代官山駅まで地下化される計画。 一方、東急会館跡の周辺地区は、あと3年後に地上34階地下4階建ての182.5メートルの超高層ビルが完成し、商業区画や劇場、展示会場のほか施設内の一部を災害時帰宅困難者向けの一時的収容所にする計画だが、地上のビル建設工事はまだ少ししか姿を現していない。 いずれにせよ、現在、駅西口に人通りが集中しているのが数年後には喧騒の流れが東口にも及ぶのは間違いない。 連日、工事、工事で騒然としている駅東口だが、歩道橋を渡って、渋谷警察署の裏通りに入ると、駅から徒歩5分のところにこんな閑静な通りがあったのかと思う地域がある。 この一帯は、高層ビルが近くに迫りながら、藤原時代以後の由緒ある寺院が集まっており、池波正太郎の 「鬼平犯科帳」 にもときどき登場する場所である。 まず、大木に囲まれた金王(こんのう)八幡宮は、寛治6年(1092年)、渋谷の地名のもとになった渋谷家の祖先、河崎土佐守基家が渋谷城内に創建し、その子、重家の時、渋谷の姓を賜り、渋谷八幡宮と称した神社である。 後継ぎに恵まれなかった重家が、八幡宮に願をかけ、金剛夜叉王のお告げで生まれた子どもに金王丸と名付け、以後、金王八幡宮と改称称したといわれている(上の写真)。 また境内には、源頼朝が鎌倉から移植したといわれる何代目かの金王桜の二本は渋谷区指定の天然記念物である。 八幡宮の隣接する東福寺は、承安三年(1173)圓鎭僧正によって、現在地に開かれ、その当初から、隣の金王八幡宮(渋谷八幡宮)の別当寺で、渋谷区内最古の寺院である。 宝永元年(1704)と銘のある梵鐘の周りには、「後冷泉帝のとき、 渋谷の旧号谷盛の庄は親王院の地にして七郷に分る。渋谷郷はその一なり」 と金王八幡宮の縁起など渋谷の歴史が刻まれており、渋谷の地を当時、谷盛(やもり)の庄とも呼んでいたことがわかる。 金王八幡宮脇の通りの向いに、派手な赤い鳥居が10以上の下をくぐって行った先に豊栄(とよさか)稲荷神社がある。 この神社のいわれは、少しややこしいが、境内の碑文をもとに話を進める。 この稲荷神社の由来は、金王八幡を建てた基家のひ孫の渋谷高重が鎌倉時代に現在の渋谷駅辺りにあった渋谷城の外堀の渋谷川のたもとに建てた外堀稲荷神社で、その場所は、現在、駅前の玉川通りの先で暗渠化された渋谷川が姿を現す最初の橋の 「稲荷橋」 に当時の名前をとどめているだけである。 他方、道玄坂上辺りにあった京極家の下屋敷に祀ってあった豊澤稲荷神社を明治初年に付近の稲荷神社を一つにまとめて豊沢稲荷と称したが、昭和36年、都の区画整備整理事業で、外堀稲荷神社と合祀し、現在の地に移転し、豊栄稲荷と改称したと境内の石碑にある。 東京オリンピック開催工事で街を追われてここに移されたのかもしれない(上の写真)。 それにしても、今の渋谷川の川幅は狭く、水量も少なく、城の外堀だったとは、とても想像できない。 金王八幡宮境内を出て、参道に沿って大鳥居をでた八幡通りに大正初期創業といわれる銅板建築の魚屋さんがある(上の写真)。 近くにデパチカもあるのに昔ながらの魚屋さんをよく続けているものだと、いつも信号が赤から青に代わる間、思いながら見ていたが、昨年からお弁当屋さんに店がえした。 店の作りは昔のままだが、「焼き魚弁当、さばみそ弁当、さしみ弁当、フライ弁当」 など魚を売り物にしている。 近くにあるコンビニやホカ弁屋よりも美味しいのか、今もサラリーマンの客が数人並んでいる。 こういう昔ながらの店が都会のビル街で頑張っているの見ると、応援したくなる。(つづく)
by dankkochiku
| 2009-09-30 21:55
| ぶらり、まち歩き
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Comments(10)
Ciao dankkochikuさん
渋谷東口は私にとっては思い出の多い、まさに「私の渋谷」なので、今回取り壊され、新しく建物が建てられるのは結構悲しい。 母に、よくプラネタリウムに連れて行ってもらったし、 あの映画館も初めて友達と行った映画館で、 昭和の文化と匂いの好きな私は、なんだか表面的で味わいのない平成文化はいまだになじめない。 日本に行くたびにがっかりするのは、こういう場所や大好きだったお店がなくなっていることを発見する時です。 なんで、こんなにみんな新しいものが好きなんだろ 一寸50年ほど我慢してみると、今ガンガン壊しているものが、重要文化財で妙に新しい感覚のいいものだとわかるのに、、
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igu-kun at 2009-10-01 21:12
はじめまして。
先日はご訪問頂きありがとうございます。 記事の方、たいへん興味深く拝見致しました。 渋谷駅の東口もここ数年で変化がとても激しいですね。 そうした中で、金王八幡宮や最後の魚屋さんのように 変わらぬ風景があるというのは、とてもホッとします。
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dankkochiku at 2009-10-01 22:24
Ciao Junko さん 平成12年に渋谷駅西口に2棟の高さ100メートル近いマークシティビルが建ち、駅前の景観が一変しましたが、今度、東口に建つのは、西口ビルの1.8倍の超高層ビルです。 ビル旋風もひどいでしょうし、空の広さもぐっと狭まるでしょう。 強い地震に建物は耐えられても、ビルの揺れで中の人間たちはパニックを起こすかもしれません。更に、古い文化はもっと軽視されるかも知れません。 現代のバベルの塔、どうなることやら。 Ē terribile.
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dankkochiku at 2009-10-01 22:34
igu-kun さん お越し頂きありがとうございます。 そちらのような迫真的な写真には到底及びませんが、絶えず変化する都会の中で失われそうなものをせめて写真の中に残し、私の生きてきた時代のよすがにしたいと思っています。
渋谷。私にとっても非常に思い入れの強い街でした。地方から東京に出てきて初めて町の大きさに驚き、プラネタリュームに感激し、オケの仲間とよく飲みに行った町でした。
渋谷のほとんどを知っていると思っていましたが(名前だけは聞いたことがありましたが)八幡宮がこんな近くにあることは知りませんでした。 今の渋谷はもう昔の面影はないんでしょうね。
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tomahawk_attack
at 2009-10-02 13:56
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渋谷は今もなお激変中ですね。建設がスタートした時は、ミニバブルの最中と思われますが、昨年からの予期せぬ世界的大不況。・・・さて、どうなりますかねぇ。。\_(-_- 彡
ちなみに金王坂ですが、その名は歩道橋に見えます。といって?私は、ここの神社へは行ったことはありません。。 不謹慎ながら、この歩道橋の下を通るたびには、いつも「金玉」と読んでおりましたので、私の中では、すごく印象に残ってます。。 脇に入れば、細い道も多い地区ですが、幹線の交通量を見ると、正に大都会であると感じさせます。。 で、ありますので、この辺りに車を止めて移動するのは?・・極めて困難です。普段、車での移動が多い私としては、どうしても通過エリアとなってしまいます。。 どうしても渋谷に止めて動きたい時は、道玄坂の途中に沢山の駐車場がありますので、大概、そちらを利用してから歩くことになります。。 ただ?246沿いや、六本木通り沿いは、この辺りで見る限り、これといった目ぼしきものが何もありませんので通過しがちです。。
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dankkochiku at 2009-10-02 18:09
braven さん お久しぶりのご訪問。 有難うございます。 私が渋谷駅界隈を知るようになったのは、定年退職後のことで、それ以前は、終戦後、戦災跡を玉川電車が走っていた頃とロシア料理店ロゴスキーがまだ東急プラザに入る前の頃に数回来たことのある位でした。 その頃と比べると、まさに隔世の感があります。
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dankkochiku at 2009-10-02 18:38
tomahawk_attack さん 東横線沿いの明治通りは昼夜兼行の工事で騒音の渦の中です。 明治通りを恵比寿方向へ渋谷警察署脇を左折し、金玉神社(笑い)境内の道沿いに立体駐車場があります。 その傍にある、落着いたフランス料理店や洒落たイタリアりアンレストランをお勧めします
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yamanteg at 2009-10-05 21:18
八幡宮に東福寺に稲荷神社・・・・・・
神仏混淆、多神教は古来日本の伝統で、キリスト、イスラムなど一神教の国の人たちには理解し難い面もあるのでしょう。 もっと世界に広めたい伝統、文化だと思っております。
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dankkochiku at 2009-10-05 23:24
明治維新は、ある意味で、日本の歴史的文化の破壊でした。 国学の影響を受けた王政復古主義の勢いが、仏教に反感を持っていた神職による神仏分離、廃仏毀釈運動へと進み、後に神社神道の国教化、天皇制護持を確かなもとしました。
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