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俳句は、日本人の心を芸術の世界で表す最も優れた文化の一つだ。 俳句の定義が分からなくても、簡潔な言葉の中に情景と心の動きを感じ取ることができる。 俳句をこの境地へと高め、大成したのが芭蕉。 芭蕉が 「奥の細道」 に出立した江戸・東京の史跡を訪ねることにした。
江東区芭蕉記念館の資料によると、三重県伊賀の国に生まれた芭蕉が俳人として江戸に来たのは32歳(延宝2年、1674年)またはその翌年。 しばらく神田上水関係の仕事に就いた後、深川(現・江東区)の草庵で俳諧の師匠をしていた頃の天和2年(1682)12月28日、現在の文京区本郷の寺から出火した、いわゆる 「八百屋お七の大火」 によって焼け出された。 文京区から隅田川を渡って江東区まで火の手が及んだというから歴史に残る大火である。 そこで芭蕉は、しばらく俳句の旅に出る。 深川の草庵(芭蕉庵)は、その後、建て直されたが、奥の細道へ旅立つひと月前には、芭蕉庵を売って、江東区の仙台堀川に架かる海辺橋の南詰にあった門人、鯉屋杉風の別屋 「採茶庵」(さいとあん)に移り、元禄2年(1689)46歳の時、そこから奥の細道の旅に出立する。 上の写真は、今しもここから旅に立つ芭蕉の姿の像だが、採茶庵は映画のセットのような表だけの板張り。 芭蕉像と並んで座り、写真を撮っていた微笑ましいお年寄り夫婦がいた。 旅立ちの朝、門人たちと別れを惜しみ、「行春や鳥啼き魚の目は泪」 と詠んだのはあまりにも有名な句。 私の昔からの友人で英文科教授をした方から、この句をわざわざ訳して頂いたのでご披露する。 Passing over spring in sky birds crying in water fishes tearing また、隅田川に架かる新大橋と清洲橋の間の河岸の高台にも芭蕉の銅像がある(上の写真)。 何のことはない芭蕉史跡の小庭園だが、凝っているのは、この芭蕉像が電動式で動くこと。 午後5時になると隅田川方向に向きを変え、ライトアップされ、遊覧船客にサービスし、午後10時には元に戻るが、この時間帯は閉園時間で一般客は入れない。 それにしても像が動くというのは、モーツアルトの歌劇、ドン・ジョバンニ第4幕に出てくる石像以外に聞いたことがない。 弟子の河合曾良を伴い、隅田川を舟で発った芭蕉が着いたところが千住宿。 千住船着場のどこに着いたのか不明だが、千住大橋南詰め大橋公園入口には、「奥の細道 矢立初めの地」と石碑があり、その脇道から河岸に下りると岸壁を利用したプチテラスに 「おくのほそ道 旅立ちの地」 など浮世絵が描かれている。 芭蕉は、この後、陸路、草加、春日部、日光東照宮へと向った。 千住大橋駅前を通る日光街道には、絶えず車が走っているが、この公園だけで観光客を立ち寄らせるには物足りない感じがする。 江戸の時代から千住宿の中心は、北千住だったのだから、どうもそっちへ向かってしまう。
by dankkochiku
| 2009-09-03 23:00
| ぶらり、まち歩き
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Comments(7)
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tomahawk_attack
at 2009-09-04 10:02
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近代的な中にも和のモダンを取り入れた都会的な小さな公園。。
最近、こういう公園が増えました。。 一見、殺風景にも感じられる公園ではありますが、夏の名残りを惜しむように百日紅(さるすべり)が色鮮やかに咲いていますね。。 そこにひっそりと佇むように「奥の細道 矢立初めの地」初めの地」の碑。・・・似つかわしいような、似つかわしくないような・・・何とも「う~む」な取り合わせです。。 ちなみに、ボールペンやシャープペンシルが一般的となった今日。「矢立」といわれても直ぐにはピンと来ませんが、兎も角も、貴重な墨と貴重な紙を懐に、芭蕉は前途三千里の行脚を、ここから始められたということは分かりました。。 自動車を使い慣れた私たちにとっては、鍛えられた芭蕉の見事な足腰と気力に、ただただ敬服いたすのみであります。。 やはり、この方は忍者でおられたのでしょうか・・・・\_(-_- 彡
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dankkochiku at 2009-09-04 21:00
芭蕉が忍者の里、伊賀出身者であること。約5ヵ月間の奥の細道紀行に歩いた距離が約2300キロ、つまり1日平均歩行距離が約15キロと驚異的早さであること。芭蕉の日誌と同伴した弟子の曾良の日誌の内容が異なること。などから忍者説あるいは密偵説があることを初めて知りました。 こういうことは国語の時間では聞けませんね。
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cocomerita at 2009-09-08 18:47
Ciao dankkochikuさん
古池や...は芭蕉ですよね。 この句はつくづくすごいなあと思います。 このたったの17文字で、静寂とその静寂を破る水音、そんなものがいっしょくたに眼前に広がる。 私的に言わせてもらうと、 こういう誰かを偲ぶ碑とか、場所とか、もう少しテーストをもって作ってくれないかな、、と思うんですよね。 もう少し芭蕉っぽく、、 なんでもいし使えばいいってもんじゃない。気がする なんか、そこに行ったらその人の匂いがして、その人の存在がしのばれるような、そういう風にできないかなあと お役所仕事。って匂いがするんです。 こういう作り方。 味わいがない。 すみません、文句つけて。 scusami. sono rompi scatola.
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dankkochiku at 2009-09-08 22:01
Ciao cocomerita さん 同感です。 子供達にも分からせようとする気持からか、あまりにも安っぽい複製を作ると、返って史跡を損なってしまいます。 むしろ、採茶庵なしの銅像だけでいい感じです。
ところで、教えてください。 私は箱を壊す sono rompi scatola は、「私は文句をつける」の慣用語でしょうか。
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junko
at 2009-09-09 01:44
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Ciao dankkochikuさん
そうそう、うっとおしい奴、うるさい奴、面倒くさい奴、なにかと文句をつけたがる奴、そういう感じです。 rompi palle 金xxつぶす奴っていうのもあります。 御察しのとおり、箱バージョンよりひどい。 私はむしろpalleの方なの。ハハハ(笑)
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dankkochiku at 2009-09-09 09:27
Ciao Junko さん いやー驚いた。 palla でなく、palle と複数にしたところが致命傷だ!
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